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鬼のユリ


 村の外れの雑木林に、鬼が出るらしいという噂が立つようになったのは半年前からだ。今では村の百五十戸に住む老若男女、誰もが知っている話だ。それはもう噂話ではなく、ゆるぎない事実として語られていた。実際に鬼の姿を見たという村人もいた。その話によると、大きなクマのような体格で、口には二本大きな牙があり、髪の毛は逆立っていて、手には鋭い爪が生えているということだった。

 村人が一番恐れているのは、朝と夕に雑木林の方から聞える大きな太鼓の音だった。朝は日の出の刻に、夕は日の入りの刻に叩かれる。それはその鬼が叩いている太鼓の音だとされていた。荒れた海の打ち寄せる波の音のようでもあり、山津波の地響きの音のようでもあった。太鼓の音を聞いた者は、大人でも耳を塞ぎたくなり、子どもは泣いて怖がった。太鼓の音が聞こえるようになったのも、半年前からだった。

 村の長は村人たちが太鼓の音を怖がり安心して暮らせないのを憂いた。そこで村中の男たちを集めて、雑木林に棲みついている鬼を退治することにした。男たちは狩りに使う弓矢や農具を武器にした。村の長の長男与一が男たちをまとめて鬼退治に向かった。

 雑木林はクヌギやコナラなどで構成されていて、木々は村人たちの燃料用の薪や椎茸栽培のほだ木に使われていた。村にとって大切な場所だったし、鬼に棲みかとして使われる訳にはいかなかった。

 男たちは雑木林へ通じる道を一列になって進んでいった。そして、うっそうと茂る林の中に入ると、数人ごとに分かれ、慎重に歩を進めていった。奥に進んでいくと、道ではない藪にも分け入ってくまなく探した。そして鬼の棲みからしき怪しい小屋を発見した。小道から外れた林の奥に小屋が建てられていた。

 与一は雑木林のあちこちに散らばっていた男たちを集め、小屋を取り囲み、じりじりと輪を狭めていった。小屋からは物音一つ立たず、しんとしていた。

 声を潜め、鬼が中にいるのかどうか探った。もし鬼が出てきたら、与一の合図で引かれた弓から矢が放たれることになっていた。男たちは弓を構え、農具を持った手にぐっと力を込めた。

 先ほどまで聞えていた鳥の鳴き声がやみ、雑木林はしんと静まりかえっていた。

 与一が合図をかけようとした時、小屋の中からあの恐ろしい太鼓の音が鳴り響き出した。それは村から聞く音よりもずっと大きな音で恐ろしく、鬼が大きな叫び声をあげて地獄から現れたようなすざましい音だった。男たちは与一の声を待たずして、あわてて弓から矢を放った。しゅるしゅると矢が飛ぶ音があちこちで鳴り、小屋にたくさんの矢がささった。すると太鼓の音がやみ、大きな音を立てて戸が開き、熊のような大柄の鬼が現れた。男たちは退治するどころか、腰を抜かして後ろを振り返ることなくいっせいに散りぢりばらばらに逃げてしまった。与一は恐れずに何本か次々と矢を放ったものの鬼には当たらず、放つ矢を怖れずに向かってきた鬼に背を向けて、一目散に村へ逃げ帰った。

 村中はこの世の終わりというような大騒ぎになってしまった。そしてそれ以来、鬼の叩く太鼓の音は以前にも増して大きな音になり、怖くて家から一歩も出ることができない子どもまで出始めた。村人は安心して暮らせずに村の長は困り果てた。

 村にはハナという十六歳の女がいた。両親を幼い頃に亡くし、身寄りがなかった。村一番の知恵者で姿もかわいらしいので、村中の男たちが嫁にしたいと思っていた。与一もハナを嫁にもらいたがっていた。

 ある日、ハナは村の長のところへ行った。鬼のことは私に任せてくださいと言う。
「おめえは鬼の怖さを知らないからそんな事言えるんだ」
 与一はハナを馬鹿にして言った。
「策はあるんです」
 ハナはこともなげに言った。
「おめえは、あの太鼓の音怖くねえのか?」
「私はちっとも怖くありません」
「おなごが一人で何とかなると思ってるのか?」
「あんなに素晴らしい太鼓を叩く鬼の姿を見てみたい」
「本気でそんな事言ってるのか?」
「私は本気です」
「おめえはどうかしてる」
 与一とハナの遣り取りを黙って聞いていた村の長が口を開いた。
「ハナ、よお分かった。でもおなごのお前一人ではどうにもなるまい。村の男一人、供に連れて行くがいい。言うても総がかりでもどうにもならなかった男どもだけどの」
「ありがとうございます」

 与一は自分が選ばれるものと思っていた。前回はしくじったが今度こそという気持ちも持っていた。

 ハナは少し考えて、働きもせずに絵を描いたり花を摘んだり遊び暮らしている、村の長の七男、与七を選んだ。

 与七は生まれつき病弱で、男たちが集まって鬼を退治しに行くときも、一人参加せず家で絵を描いていた。
「ひ弱で、遊び暮らしている与七に何ができる!」
 与一の声が響いた。
 村の長は少しがっかりした様子だったが、与七をお供につけさせた。

「与七さん、この間なぜ鬼退治に行かなかったのですか?」
 ハナは与七に尋ねた。
「あの太鼓の音、素晴らしい音だと思うがの」
「与七さんもそう思いますか?」
「おめえもそう思うのか?」
「与七さんはなぜそう思うの?」 
「鬼が太鼓叩き始めてから、海の幸も山の幸もいっぱい獲れるようになったでねえか」
「そうだよね。私もそう思う」
「それにあの太鼓の音には悲しみや淋しさが滲み出てて、恐ろしいだけではないと思うがの」
「そうでしょ。私もそう感じる」
「それにしてもハナ、おめえどうやって鬼を退治するのだ?」
「退治なんてしません」
「おめえ、鬼怖くねえのか?」
 ハナは少し考えて言った。
「やっぱり怖い。でも、太鼓を叩いているところをこの目で見たい」
「食われるかもしれねえぞ」
「その覚悟はできてます」
「そうか」
 与七はハナにそんな強さがあることを今まで知らなかった。知恵者であることは知っていたが、やっぱりおなごはおなごだと思っていた。

 雑木林の奥へ進むと、鬼の棲みかがあった。
 ハナは勇気を振り絞って、大きな声を出した。
「お願いがあります。私たちのお願いを聞いてもらえないでしょうか?」
 鬼の棲みかからは物音一つ立たなかった。
 ハナは腹の底から大きな声を出した。
「どうか小屋から出てきてはもらえないでしょうか?」
 林の中がしんと静まっていて、ハナと与七は息をのんだ。
「うるせえな!なんだ!」
鬼の小屋の入り口が開いて、屈むようにくぐって出てきた大きな人間がいた。それは村人が話していたような鬼ではなく、大きな人間だった。しかし、髪の毛はぼさぼさで逆立っていて、手の爪は長く鋭かった。
与七は鬼ではなく人間ではないかとぼそっと呟いた。
「何の用だ?」
「お願いがあります」
「何だ?」
「あなたの叩く太鼓を恐れて、村の人々が惑わされています。私はあなたの叩く太鼓の音は惑わされるべき音ではないと感じています。しかし、太鼓を叩くのをやめてほしいと思っています」
「それはできねえ。あの太鼓は決まった刻に叩かねばならんのでの」
 ハナは少し考えた。
「それではこうしましょう」
 そう言ってハナは腰にぶら下げていた巾着からユリの球根を取り出して、大男に近づいて見せた。
「このユリの球根が芽を出して、花を咲かせるまでの期間でいいのです。その期間、太鼓を叩かずユリの花が三本とも全て咲きそろったら私はあなたの妻となりましょう。あなたの叩く太鼓の音を聞きながら共に暮らします。この雑木林ではなく、もっともっと森の奥深くに入れば村の人々の耳に太鼓の音は聞こえないでしょう」
 ハナはよく通る声で大男に言った。与七はハナと大男の遣り取りを黙って聞いていた。ハナは大男の鋭い爪のある大きな手にユリの球根を三つのせた。
「お前の名は何という?」
「ハナといいます」
「わしは道実という。ユリが咲いたら、私の妻になってくれるというのか?」
 道実は真っ直ぐにハナを見つめた。
 ハナは、はいと返事し、真っ直ぐに見つめ返した。
 そして、約束ですと道実の小指に自分の指を絡めて、指きりげんまんをした。道実の長い爪はハナの手を傷つけそうになったが、道実は器用に指を動かして、彼女に傷一つつけなかった。
「せっかくだから太鼓の音を聞かせてはもらえまいか?」
 与七は道実に尋ねた。
「では、用意しよう」
 道実は大きな太鼓を小屋から出してきた。村にある一番大きな太鼓の三倍はあるかという大きな太鼓だった。
 二人の前に太鼓をどかっと置き、両手にバチを持って叩き始めた。退治に来た男たちが逃げ出したというだけあって、間近で聞く太鼓の音は迫力があった。人間の業とは思えない、鬼気迫る音だった。ハナは道実の太鼓の音を聴きながら、涙を流していた。
 太鼓を叩き終わった後、道実はハナに尋ねた。
「お前はわしの太鼓の音を聞いてなぜ泣く?」
「私にも分からないのです。ただ、これまでを振り返って、淋しいことも多くあった人生だから」
「そうか。お前も淋しく生きてきたのか。それでわしの太鼓の音が怖くねえのだな」
 道実は同じ匂いのする仲間を見るような温かな眼差しで彼女を見つめた。
 与七も感動していた。顔を真っ赤にして、体から湯気を立ち昇らせて力を込めて叩く太鼓の音からは、この界隈の自然に畏敬の念を感じたし、それは道実の生き様でもあるように感じた。そして、与七の生き様にも重なるような気がした。この二人は恐れるどころか感動して、太鼓の音に聞き惚れた。

 村へと帰る途中で与七はハナに聞いた。
「おめえ、あんな約束してかまわねえのか?」
「鬼に会う前から決めていたことです」
「与一兄さん、がっかりするだろうな」
「でも叩いていたのが鬼ではなく人間だったと言っても、誰も信じてはくれないでしょうね」
「そうかもしれねえな」


 それから太鼓の音はぴたりと聞こえなくなった。太鼓の音が聞こえなくなり、村の長は喜んだ。村人たちも安心して暮らせるようになり、子どもも外で元気よく遊べるようになった。村の長はハナの勇気や知恵に感心し、褒美を与えた。与一のこともあって、与一の嫁に来てくれないかと申し出た。ハナは道実との約束もあって、村の長たっての希望でも決して首を縦にふらなかった。
 それでも与一は彼女に何度もいいよった。
「どこからやって来た者かも知れぬ鬼のような奴との約束なんて守る必要はねえ。あんな太鼓を叩く男だぞ」
「私は約束を守らないような人にはなりたくないのです」
「奴は暴れたりするかもしれねえぞ」
「与一さんはどうしてそう思うの?」
「あんな太鼓を叩く男にろくな奴はいねえ。とにかく一番の幸せは、皆に理解されて、誰からも祝福されるような結婚をすることだ」
「私はあの太鼓の音、とっても好きなの」
「勝手にしろ。あんな奴と一緒になったら絶対に後悔するぞ」
 与一は捨てゼリフを吐いて去っていった。

 与七とハナはそれから度々、道実のところへ出かけた。春の初めに球根は三つとも小さな芽を出した。三人はユリが少しでも育つと喜んだ。与七も自分のことのように喜んだ。道実が手塩にかけて育てた甲斐あって、今では三本のユリとも大きな蕾をつけ、三日後には一輪花が咲きそうだった。橙色の花の蕾だった。

 ハナが雑木林に出かけることをよくない事と思う者が村の中にいた。村の平穏が壊されることを怖れる者たちだった。村の人たちは、ハナと与七に雑木林には行かないようにと何度も忠告した。あの鬼のような奴と関わってはいけないと。

 春ごろから、田畑の作物が何者かに度々荒らされるようになった。それは人間の仕業でも、獣の仕業でもないような、ひどい荒らされ方だった。村の人たちも最初は黙っていたが、荒らされ方がひどくなっていくにしたがって、不満が出るようになった。そして、田畑を荒らしているのは雑木林の大男ではないかという噂に発展していった。荒らされている者の正体がはっきりとはしないが、まず道実の仕業に違いないということで、今度こそ遠くへ追いやってやろうと結託した。太鼓を叩かない今ならいい機会だ。

 明日にもユリの花が一輪咲くという日、村の男たちは数人で、道実の小屋の四方から囲んで火をつけた。火はまたたく間に小屋を燃やし、それだけで火の勢いは収まらず、雑木林全体に広がってしまった。村の男たちは、小屋ごと道実を焼くだけで良かったのだが、思いのほか火の勢いは強かった。雑木林はあっという間に火の海となり、三日後雨が降るまで消えなかった。

 与七とハナは道実のことが気にかかり、雑木林に行ったが、焼け野原となっていて小屋も焼け落ちていた。
「道実は焼かれて死んだかな?」
与七はハナの顔を心配そうにのぞきこんで言った。
「きっと生きていると思う」
そうであってほしいという願望のこもった返答だった。
「ユリの花もきっと焼けてしまったな」
「ユリは強い花だから」
どんなに探し回っても道実の姿は見えず、遺体らしきものも見つけることができなかった。村人はこの火で焼け死んでしまったか、どこか遠くへと逃げ去ってしまったかどちらかだろうと噂した。
 二人は道実がユリを植えていただろうところを探した。道実が大切に育てていたユリは焼けて、炭になっていた。

 ハナはすっかりしょげていた。しばらく家から出て来ず、村の者たちは心配して、交代で彼女に食べ物を届けた。与七も心配して、かいがいしく世話した。しばらくするとハナは元気を取り戻したので、村人たちは皆安心した。
 ハナが元気になった頃に与一が彼女の家を訪れた。
「なあ、ハナ。あいつはもういなくなったのだから、俺の嫁になれ。お前もこうなることを望んでいたのだろう?太鼓の音が聞こえなくなって、村に平穏が訪れたでねえか!」
 ハナは唇を強く噛んで、与一を睨んだ。
「私はまだあの人とは約束をしたままです」
そうきっぱりと言い放った。
 それから、村に平穏が訪れたかというとそうではなかった。太鼓の音が聞こえなくなってからというもの、山のものも海のものも獲れなくなり、川の水は枯れ、田畑でも作物が取れなくなってしまった。
 村人は、道実のたたりだと噂した。

 焼け野原となった雑木林は、真っ黒に焼けた大地から雑草が芽を出し始めて、草原になっていた。
 作物の取れなくなった村では、人びとは生活していけなくなった。最初は村中で力を合わせて、何とか生きていけるように頑張っていたが、一人、また一人と村を捨ててどこかへ移り住んでいった。
 村の長と与一は、村人が安心して暮らせるように力を尽くした。しかし、村は荒れる一方だった。

 ある夏の日、ハナの姿がこつぜんと村から消えた。何も言い残さずに消えた彼女を、村人は総出で探したがどこを探し回っても見つけることができなかった。雑木林にいた鬼がハナをかどわかしたのではないかと村人は噂した。

 与七はもしやと思い、焼け野原から草原に変わった雑木林跡に行くと、夏草が生い茂る中にユリが咲いていた。しかも三つの球根とも芽を出して花をつけていた。

 草原に爽やかな風が吹きぬけていた。広い草原の中に、ひっそりとユリの花が咲いている姿はなんとも、ハナらしくもあり、道実らしくもあるなと与七は感じた。

 大地の表面は焼けていても、大地の下にある球根までは焼けてなかったのだ。何とか焼けずに生きていたのだった。橙色の花びらに黒色の斑点がつき、花びらの先がくるりと反り返った美しいユリの花だった。ハナは約束を守るために、消えた道実を探しに旅に出たのだろう。道実との約束の地である森の奥を探し回っているかもしれない。ハナはユリの花が咲くことを信じて、ずっと待っていたのだろう。草原の端からこのユリの花まで一本の細い道ができていた。彼女が通った道だろう。与七はユリを見ながら、そう思った。
 ハナが無事に道実のところへたどりつけるといいなと思った。道実は今でも森の奥で太鼓を叩いているかもしれない。あの太鼓の音なら、彼女はきっとたどり着けるだろう。そのことを村人に伝えたところで、彼女の真意を本当に理解しようとする者はいないかもしれないと思った。

 荒れきった村では人は生きていけなかった。村の長と与一は最後まで村を立て直そうと力を尽くした。特に与一の活躍は目を見張るものがあった。しかし、その力も及ばず最後の最後で村を捨てて、村の長とともに自然豊かな場所へ移り住んでしまった。
 村では人っ子一人見えなくなり、ひっそりとしていた。

 今では草原には、三本から増えて育った千本のユリがいっせいに咲き乱れていた。

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