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相対性理論なんて無縁だ。

気持ちばかり先走って、今12月初頭におります。
雪は綺麗 。と言うかもう空気感がクリスマス前週のそれすぎる。いや全然雪は降っておりませんが、朝の空気が白雪に雑念雑音吸い込まれて澄んでいるあの凛と冷たい結晶みたいなので感覚がバグります。


って感じがずっと透明だったのだけれど、まあ中1辺りで淡い水色と断片的な蒼が混ざる感じだったのね。
それが今は、遠くにクリアーなマリンカラーでビビットピンクに濃い血の真紅がタレかかると言うか、飛び散っている感じで。いつかきっとこれは赤黒く染まると思う。
感覚も、空気みたいな何も掴めないあの空を切るって言葉がお似合いのあの日から、さらさらとしたひんやり冷水浄水、そして泥々と熱い滑って凝固した塊がごろごろするなかで段々と一つに纏まって行くみたいな感じ?
そして最後は重量を増して、冷たくなる。

共感覚

活字を追ったときに、目を走らせたところだけ緑色に光って進む。
光は流れるので、発光が保たれるのは2、3行ずつ。
一文字読むと、一文字消えるみたいな。

小学校高学年のその日は、祖母の葬式へ向かう車内で読書をしてた。そのときの発色がえぐすぎて目を擦るなり目頭をマッサージしてみたり、本を開いたり綴じたりしても変わらんすぎて最終的に早めに表紙鑑賞に移ったことを覚えてる。
新幹線に飛び乗って、険悪な関係の従兄弟一家の車で、母とも妹たちとも、歳の近い従兄弟とも引き離された助手席の冷たさ。嘲笑。痛いほど感覚としても残っているので夢じゃないです。
不死身の身体は手に入れてないし手に入れたいとも思っていないが、皆様のおかげでどんな悪口を言われても折れない強靭なハートメンタルを習得しました。

妹2人は持っている音楽プレイヤーは、私だけ持っていないし、イヤホンなんて遠い存在だし、お年玉という概念も、お誕生日プレゼントなんて言葉すらそこにはなかったし。

耳と心を塞ぐには物理的な対策よりも、読書が一番でした。作中の台詞と語りは脳内再生するから音楽は流れますし、劇中音楽と監督と配役を考えながらふけてれば苦痛の一日はすぐ終わる。
だから、相対性理論なんてお洒落な言葉、歌詞と小説ポエマーの常套句、ドラマの普遍的テーマなんて糞食らえなんだよばかやろう。
どんな一日も、その日を過ごしたあの日には死ぬほど長く感じたし、はよ殺してくれって何度目願うの意味もないのに、ってなりながら何かしら暇を潰せば終わる。
あっという間だったなって瞬間は後付けの思い出ですし、相対性理論が説得力を持つのも、どうでもいい誰かから指摘されて、言葉を聞いてほんのりああそうですね、って流されているだけ。

人は心を軽く殺せるし、心が死んだ人間は簡単に脆く朽ちます、って学んだのは本でも授業でもなく、昔話のように読み聞かせられて来た、自分の家系の実話でした。
泥棒猫の存在も、決してドラマの登場人物ではなかった。ていうか実際、ドラマであってくれよ、せめてフィクションにしてくれよみたいな出来事ばっかり起きるし。これ詳細語り始めたら地獄みるわお互い。
そりゃ家族諸共病むわ。医療費をください。
収入といじめには相関関係があるんですよ。慰謝料もください。収入格差ぴえん。
あの子は今日もうざったらしく憎悪が増して僕の心もどんどん燻むわビクニン


色字 色聴
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