見出し画像

短文小説紹介 #4

概要

 僕は自分のTwitterアカウント(@OnishiHitsuji)で小説の紹介をしている。ここにまとめられた7つの紹介の文章はそちらで共有しているものと同様だ。
 今回は025から031までとなっている。

025-リチャード・ブローティガン「東オレゴンの郵便局」

 とても好きな作家。あるいはお気に入りの作家。べつに好きだってことはないんだけどもこれまで沢山読んできたし、新刊が出ると手に取ってしまう作家――僕の場合には村上春樹。
 習慣的に小説を読む人には、おのずとそのような作家がいるものだ。

 それで、友達のような作家はいるだろうか? 僕にはいる。そう。リチャード・ブローティガンだ。
 彼はアメリカのしがない短篇作家だ。オレゴンや、その地域のことをよく書いている。よく書かれているのは笑ってしまうような現実世界のファンタジーだが、ハンティングや釣りもかじっていて、まるでヘミングウェイのような世界を書くことも、ないこともない。すごく有名な作家というわけではない。彼はオレゴンの作家なのだ。
 彼はじつに書くことを楽しんでいるようだ。本作でも読んでいてその気持ちが伝わってくる。書くのを楽しむこと。なんだかばかの話みたいだが、実際書き手としては最も重要なことのひとつだ。

 この小説で主人公はクマの死体を見ることになる。狩られて、トラックの荷台に積み込まれたクマの死体だ。主人公はそれを見てわくわくとしている。連れの叔父さんも歳は食っているけれど、まだその種の雰囲気を放っている。
 話の中で、クマの死体は無くなってしまう。さっきまで確かにここにあって、村長にプレゼントすることになっていたのに。村長はクマが大好物なのに。「クマはどこじゃい」と話して、うきうきしているのに。

 小さな話の中に、馬鹿馬鹿しさ、懐かしさ、純文学としての思いやりを内包している本作。それらのみでなく、読んでいればリチャード・ブローティガンその人の、懐っこい人柄も伝わってきて、自然と大好きになれるだろう。だから彼が自殺したと知ったとき、ひどく悲しい思いをした。

026-ペーター・シュタム「誰もいないホテルで」

 ゴーリキーについて、主人公の僕は学会での発表を控えていた。ただ、原稿はほとんど進んでいなかった。過去に話されたことを思い出す。あの山のホテルは素敵だよ。ホテルに電話をかけて、予約を取る。ここで原稿を完成させようと考える。
 終点で降りる。ホテルを目指して僕は歩いていく。それは高いあの山にある。辿る山道はしばらくすると途切れ途切れになり、獣道になり、まったくの雑木林になってしまう。後悔しながら進んでいくと、渓谷の隣にそびえるホテルの建築が目に入った。
「誰かいませんか」と僕は話す。
 ホテルはじつにしんとしている。
 ややあって、一人の女性が姿を現す。彼女には近づきがたい奇妙さがある。彼女はアンだと名乗る。そしてホテルの管理を任されているのだと話す。他には誰もいない、その闇に沈むような山間のホテルで。

 静謐さ、その言葉に相応しい短篇。現代の人らしい、僕のふるまいと、どこか超常の印象があるアンとの間で輪郭のぼやけたコミュニケーションが交わされる。物語の背景にあるホテル、その自然の空間は青く薄い影を始終に渡って落としている。静かに紡がれる物語。その終わりの謎に、このうえない寂しさを覚えるのは私だけだろうか。

027-レイモンド・カーヴァー「大聖堂」

 僕はカーヴァーが好きだ。なんというか、タイプが合うのだ。初めて『頼むから静かにしてくれ』を読んだとき、電流が全身に走った。なんだこの作家は? どうして面白いんだこの作品は?
 それで僕はみんなに見せて回るわけだ。すごくうきうきして。直下の後輩には「足元に流れる深い川」、他大学の友人には「あなたお医者さま?」を、文学部のガールフレンドには「ささやかだけど、役に立つこと」を。さて、結果はどうだろう? ガールフレンドは言う。
「たしかに、プロの作家だから書けてはいるけれど、うーん、私はちょっと違うのかな」
 仲の良い教授は話す。
「僕が学部生のとき、英語の先生がカーヴァーの専門だったよ。でねえ、カーヴァーはねえ、うーん、なんか面白く読めないんだよねえ」
 やれやれ。

 翻訳を担当する村上春樹は本作「大聖堂」について、次のように語った。
「この作品はりっぱな人がひとりも出てこない、りっぱな小説です」
 僕も同じように考えている。じつにカーヴァーのらしさを味わえる小説であり、再読にも相応しい傑作だ。カーヴァーを知らない人がほとんどだと思う。だからこそ、短編の魅力が詰まったこの作品に一度触れてみてほしい。

028-ミランダ・ジュライ「水泳チーム」

 最近、長篇小説を読む機会があった。
 それも、僕と同じ大学生の作品だ。ごく個人的な繋がりを経て、そのような機会を得た。僕は会ったこともないその人の作品を読んで、考えを巡らせていた。

 そこでやはり感じるのは、長篇の面白さだ。雫の滴るようなおっとりとした調子で展開されるその物語は、読み進めるにつれて個人的な体験のように思えてくる。つまり、まるで自分自身の体験のようなのだ。そこには思い入れが生まれる。登場人物に対する温かみを感じる。最後のページのあとには、心を雨にうたれたような、清々しい悲しみを覚える。
 では、短篇は何が面白いのだろう? 

 本作「水泳チーム」は短篇を考えるうえで、非常に素晴らしい題材だ。ストーリーはごく単純だ。さえない女性がいる。老人もいる。さえない女性は水泳のことを話す。老人たちは水泳をやりたいなあ、と話す。それじゃあということで、女性は水泳を教える。ほんとう、ただそれだけだ。老人たちがアパートの床を泳ぐことを除けば。

 短篇の面白さはその奇妙さだと僕は考えている。現実のように見えるその文章は、よくよく見ると何かがおかしい。太陽が二つあったり、指がソーセージになっていたり、第三の感覚器官が胸毛のところに顔を出していたりする。その奇妙さは、読者を惹きつける。公衆便所の蛍光灯が蛾を魅了してやまないように、われわれもその物語の特異さに、ぞっとする愉しみを見つけることができるだろう。

029-ネイサン・イングランダー「若い寡婦たちには果物をただで」

 読者はマジック・ミラーのこちら側の存在だ。
 そして、小説は向こう側の存在だ。
 だから読者は小説に干渉することはできない。向こうでいま起こっているそれを眺めることしかできない。じつに無力だ。
 無力であると同時に、安全も保障されている。実際、小説の側で何が持ち上がろうとも、読者の世界に影響が及ぶことはないのだ。悲惨な殺人ゲームも実際に死人が出るわけではない。失恋も、本当の人物が悲しむわけではない。もちろん自殺する人もいない。だから、戦争だって、それは小説の世界の出来事だ。読者は眺めているだけだ。安全なところにいるのだ。
 それなのに、どうしてあんなに悲しい思いをしたり、涙を流したりしてしまうのだろうか?

 短篇「若い寡婦たちには果物をただで」は戦争を巡るひとつの物語だ。主人公の父は果物屋を営んでいる。日がな店先に立ち、その新鮮な果物を武器に商人として戦っている。ただ、一部の人々にはただで果物の詰め合わせを贈る。まだ幼い主人公はその理由を知らない。そしてあるとき、父は決意とともにその理由を話す。自分の最も大切なものを、差し出すように語り始める。

 この小説を読んでいるとき、なぜかエラ・フィッツジェラルドの歌う"Sumertime"を思い出した。そして少し悲しくなった。

030-ナサニエル・ホーソーン「ウェイク・フィールド」

 古い小説には、どうしても古臭さがつきまとう。もう、これは仕方のないことだ。昔はあんなに若かったおやじも、今では加齢臭をぷんぷんさせている。じきに僕たちもぷんぷんさせることになるのだ。娘に文句を言われるのだ。たぶん。
 ただ、ナサニエル・ホーソーンの「ウェイク・フィールド」はじつに不思議だ。『ニューイングランド・マガジン』 1835年5月号が初出だそうなのだが、今読んでも目新しい作品として読めてしまう。しかも、とびきり面白いのだ。どうして?

 登場するのはウェイク・フィールドという男、そしてその妻である。
 ウェイク・フィールドはほんとう凡庸な男で、最たる一般人だった。しかし、ある日急に変な考えを起こしてしまう。まるで雷にうたれたみたいに。
 さて、みなさん。その変な考えとはなんだと思いますか?

 本作はその物語の流れがじつに面白い。主人公である彼にも理解できない、運命の無垢さに振り回されるようなその展開。そしてその終わり方。ぜひ手に取ってみてください。一等級の妄想の旅を楽しんでみてください。

031-レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」

 誰しもが老いてしまうように、青春の時代というものも分け隔てなく訪れる。だから、その時代から読書趣味のひとであったなら、きっと一冊は思い出のかたまりのような本があるだろう。
 僕の場合はどうだろう? それは「たんぽぽのお酒」だろうか? 「晩年」だろうか? いや、「春琴抄」であるかもしれないし、「青い麦」であるかもしれないな。
 じつのところ今の話は狂言だ。僕の青春の一冊は「ロング・グッドバイ」、それであって他ならない。

 駐車場で男がぐったりとしている。酔っぱらっているし、その暗がりに倒れ込んでいる。髪は白の色に染まっていて、顔つきは整っている。優しさの印象もある。
 私立探偵のフィリップ・マーロウはそんな彼を助ける。家に連れて行ってやり、面倒を見てやる。酔っ払いの介助、そこから始まるこの物語はあの稜線のような変化を伴って、心地よい結末のほうへと下っていく。

 この本はいわゆるハードボイルド小説だ。高校時代の刺激と憧れを求める僕の心にマーロウの振舞いは深々と刺さった。その楔は時の奔流に曝されて、確かに今では錆びてしまっているが、同時に僕の核を成すものの一つに間違いない。間違いない名作と呼ばれる長篇の本作だ。初夏の甘い午後に、あるいは長い雨のなかで、アメリカン・コーヒーとともに読んでもらいたい。

おわりに

 一週間を振り返る行為がだらしない自分を浮き彫りにしてしまうこともある。だから、今回はやめておこう。とにかく、今の天気は素晴らしい。彩度の高い美しい光が、町のそこかしこに自分の形を刻もうと試みている。

 今週のイチオシはもちろん「ロング・グッドバイ」なのだが、同時にレイモンド・カーヴァー、リチャード・ブローティガンといった大好きな作家も欠かせない。二人は本当に短篇の人だから、時間、集中力はそんなにないけれど……という方にもお勧めできる。

 音楽もよく聴く。最近は"Clear As Water"というサンバにはまっている。
 あと、アイフォンのCMでおなじみ、クンクスの"This Girl"もナイスだ。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,508件

#読書感想文

188,902件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?