【#93】2000年の日本、ドラクエ7が発売
【社会編】
携帯電話で写真を撮る。
今では当たり前のように行なわれているこの行為は、この年に始まった。2000年11月、J-PHONEからシャープ製携帯端末『J-SH04』が発売されたのだ。
しかし当時はそれほど普及していなかった。利用者にカメラ機能を使いこなす知識が普及していなかったからである。
カメラ付き携帯電話は、あるきっかけで大ブームになるのだが・・・・・・それは2001年になってから。
この年の3月に日産自動車社長にカルロス・ゴーン氏が就任した。
二千円札が発行されたが、自動販売機などで使用できずあまり普及していなかった。
シドニーオリンピックでは、日本人が大活躍。
「最高でも金、最低でも金」と目標を立てたヤワラちゃんこと田村亮子が悲願の金メダルを獲得し、メダルにそっとキスをした。
高橋尚子は陸上競技において日本人女子初となる金メダルを獲得し、メダルにかじりついた。
ちなみに、高橋尚子は岐阜県岐阜市出身のため、岐阜県の各地ではポスターなどでその姿を拝める。
【文化編】
IT革命という言葉が流行語に選ばれた。
IT革命とは、「コンピュータの高性能化・低価格化」「通信の大容量化・高速化」という二本の柱によって、インターネット利用を急速に普及化させようというものである。
実際に普及は進み、電子商取引の比重が増えた。
今では当たり前のようにスマートフォンやパソコンで業務が実行されているが、それはIT革命があってこそ。
テレワークも、IT革命があったから実現できている。
【ゲーム編】
プレステ2が発売された年であるが、初代プレステもまだまだ現役だった。
『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』が2000年8月26日にエニックスから発売された(なんで夏休み終わりやねん。もっと早く出せいよ)。
SMAPのCMが、まず話題になった。
クリアまで70~110時間程度かかるという圧倒的なボリュームだった。最初の戦闘まで5時間ほどかかるのもザラで、『スライム』に出会うだけで感動(別の意味で)した。
私はなんといっても『ダーマ神殿』のシナリオが好きである。過酷な状況だからこそ、乗り越えた先にある『転職』の嬉しさは半端なかった。
中学校でも流行しており、「主人公は、何に転職させた?」が挨拶代わりだった。
『戦士』『武闘家』『船乗り』といった魅力あふれる職業があるなか、『遊び人』を選んだTくんは真の勇者だった。
仲間との会話システム、からくり兵との攻防、過去と現在がつながるストーリーなど、思い出がいっぱいである。
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【ヒット曲】
バラードが大ヒットした。
代表的なのは、以下の曲。
サザンオールスターズ『TSUNAMI』(300万枚に近い売り上げ)
MISIA『Everything』
小柳ゆき『あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜』
倉木麻衣『Secret of my heart』
他にも、
中島みゆき『地上の星』
モーニング娘。『恋愛レボリューション21』
ポルノグラフィティ『ヒトリノ夜』『ミュージック・アワー』
などがヒットした。
【セガ編】←ゲームに興味がない方はスルーしてください。
『ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド』がドリームキャストで発売された。
『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2』というガンシューティングゲームをベースにした、タイピング練習ソフト。高いゲーム性と練習機能を両立した、素晴らしい作品である。
当時のタイピングソフトなんて、つまらないのが当然だった。『ガ〇ダム』とか『北斗の〇』とか、基本的には静止画だった気がする。
しかし、このゲームはヌルヌル動く。「もっと先に進みたい!ラスボスを倒したい!!」という気持ちによってメキメキとタイピングが上達するのだ。
私が持っていたのはパソコン版で、毎日のようにプレイしていた。個性的で気持ちが悪いボスが、実に好きだった。
特に5面ボスのマジシャンは、『ノーミスで入力せよ』という高い難易度と、所々ミミズみたいなやつがはみ出ている外見がインパクト抜群。
主人公の「お前は・・・・・・まさか!?」という中二病全開のセリフは恋人のように愛でていた。
タイピングする言葉もジョークが効いていて楽しい。
「スキヤキだから帰ろう」「見た目ほどラクじゃないのよ」「御社というほどの会社か」といった言葉に、クスっと笑ってしまったことも数々あった。
私がタッチタイピングできるようになったのも、このゲームのおかげである。
人気だったゲームとタイピングを悪魔合体させるセガの発想は、本当に心から敬服する。(今でもこのゲームと、動作するパソコン(windows XP)を持っています)
出版を目指しています! 夢の実現のために、いただいたお金は、良記事を書くための書籍の購入に充てます😆😆