山下達郎起点で考えるスポーツの集客・会場やガバナンス


集客と会場と成長

Bリーグは、5000人キャパのアリーナの増加にこだわっている。でもアリーナを増やすにはどうしたらいいか?はあまり具体的に聞こえてこない。とはいえ、多くの地方自治体が建設や改修に進んでいるニュースは見るが、箱を作ったのちのプランもあまり聞こえてこない。。。今一度ここをもう少し深くみていかないといけないのではないだろうか?
山下達郎のチケットを取ろうと思っても全然取れない個人の経験と共に、スポーツにおける集客と会場と成長について考えてみたい。

コロナ期間は、みなさん同様嫌な体験も多く、ふと悔いを残さない生き方に対して少し敏感になった。そんな中、昨年だと思うが、山下達郎の新しいアルバムが発売され、Brutusなどで特集も組まれていて、ふと思った。この人はもうかなり高齢で、この人の生の声を一度も聞かずに終わるのはもったいないなということ。
ということで、そこからずーっと彼のコンサートチケットを取ろうとしているが、見事に1枚も取れない。。関東在住の私が、山口だろうが山形だろうが、1年以上所構わず意地になって申し込んでいるがまるで当たる気がしない。

途方に暮れていると、こんな記事に遭遇した。

要約すると

  • 2,000人規模のホールは見やすい場合が多い。

  • この規模感なら埋められるアーティストが多い。

  • しかし、老朽化などの理由で相次ぐ閉館のため、2000人クラスのホール不足が起きている。

  • そのため、講演が集中したり埋まっていて、2,000人規模集客が適しているアーティストの開催機会が減少している。

  • とはいえ、その上の規模のアリーナで開催できるアーティストはまだ少ない。

  • そして交通の便が良い都心での2,000人規模ホール減少のため、地方からのお客にとって当日中の帰宅が困難なケースなどお客さんにとっても不幸なケースが増えている。

などなどということで、完全に需要と供給がおかしなことになっている。最近のトレンドがモノからコト消費なんて言われている中、ライブ市場は伸び代を注目されている(コロナで大打撃を受けたものの、その前までの勢いは凄かったです)訳で、ビジネスチャンスが埋まっていることは間違いないだろう。

そこで山下達郎のチケットを買えない私はふと思った。山下達郎って、2000人のホールより、もっと大きいアリーナを埋められるのではないか?いったことないし、詳しくも知らないが、聞くところによると、山下達郎のコンサートはクォリティーが高いらしい。ちゃんと声でるし、装飾とかはないが、とにかくパフォーマンスのレベルが高いと。そのため、リピーターが多く、コアファンががっちり掴んでいると。。。なるほど。。
では今後の彼のコンサート会場のキャパを見てみよう。

2700[大阪]フェスティバルホール
2000[京都]ロームシアター京都メインホール
2000[大阪]フェニーチェ堺 大ホール
(堺市民芸術文化ホール)
3800[東京]NHKホール
2710[宮城]仙台サンプラザホール
2001[山形]やまぎん県民ホール
(山形県総合文化芸術館)
1707[石川]本多の森ホール
1275[北海道]北ガス文化ホール
(千歳市民文化センター)
2302[北海道]札幌文化芸術劇場 hitaru

大体がこの減少気味の2,000人クラスの会場で、アリーナは見当たらない。
毎回2000人規模を満員にできるアーティストは、おそらく次の規模のアリーナを狙えるだけの集客力はあるはずで、アリーナでもっとやってくれると、経済的には好循環が生まれるはずだ。

  1. アリーナの需要が増える→Bリーグが求める5000人規模の会場が増える・もしくはそういう会場の収益が稼働率アップによって改善される。→つまりBリーグなどが収益のある魅力的なリーグになり、ガバナンスが取れる魅力的な職場にもなっていく。

  2. 大物アーティストがアリーナに移行することで、2000人規模キャパの会場に他のアーティストがコンサートを開ける機会が増える。

  3. 仮にもしその流れで2000人規模キャパのアリーナも増えてくると、集客力のまだ少ないスポーツにとっても会場の最適化が生まれる。現状ハンドボールの試合を5000人のアリーナでやっても、空席が生まれ、逆にシラケてしまう空気を生み出してしまう可能性はあるが、満員の2000席の会場でできれば、かなりの盛り上がりが生まれるだろう。イメージはこれです。https://www.instagram.com/reel/CtcxNM9sZfq/?utm_source=ig_web_copy_link (埋め込みがうまくいかない。。。)


単純に、スポーツ視点で考えると、アリーナが増えるとリーグや球団にプラスの循環が生まれるはずで、いいことが増えることは間違いないだろう。音楽という点で見ても、プラスが多そうだ。

と、経済的な側面だけで話を進めていくと、いいことづくめだが、ことはそう簡単にいかない。
例えば、
音響の問題。アリーナで音響の質は保たれるのだろうか?
見やすさの問題。スポーツにとってみやすくても、コンサートにとってみやすい座席配置と傾斜になるのだろうか?
そしてアーティストの意思や意識の問題。より多くの人に届けたいと思うのか?わかってくれる人だけでいいのか?音の質にこだわるのか?届ける人数にこだわるのか?
いずれにせよ、最初の大きな問題として、
2000人キャパ規模のアリーナと5000人規模キャパの良質アリーナが足りない!
もしくは
需要と供給のマッチングがうまくできていない!

ただ、エンタメとかスポーツの経済性を考えた際に、より多くの富を生み出すことはある意味不可欠で、それをライブ観戦、観賞という形で実現するには、一定のキャパの会場が必要ということは、不変の事実だ。では、会場という課題にどれだけ議論がフォーカスされているだろうか?とても抜け落ちている気がしてならない。

アリーナという箱物を作る上で、稼働率が大事になってくるのは、誰でもわかることだろう。つまり、ホテルと同じで、空室がない状態、365日稼働することが理想で、イベントのほかに飲食などでいかに売り上げをあげるか?が大切なビジネスだ。その中で、上記の記事を読む限り、音楽業界とスポーツ業界が話し合っている様子は全く見られない。。。
5000人キャパ!と叫んでいるBリーグは、音楽業界やエンタメ、さらには他のスポーツのリーグにアリーナ増設や会場の改善について話を持ちかけているだろうか?
それをいうならば、屋外スタジアムを利用するJリーグも例えばラグビーやアメフトやフィールドホッケー界に話をしているだろうか?
みんなバラバラにやっていないか?
今後アリーナが作られたり、アリーナ側がハブになって色々な業界に声をかけにいくかもしれないが、逆(リーグ側、競技側)も幅広く連携していかないと、自分たちも損をする。
アメリカのスポーツ界やヨーロッパの主要クラブだと、複数チームを持っていたりするので(NY Knicks(バスケ)とNY Rangers(アイスホッケー)は同一企業傘下のはず。そしてその企業はアリーナ「Madison Square Garden」の持ち主でもあるはず)(FCバルセロナは、サッカー、バスケなど複数競技チームを持っているから施設の共同利用などはある程度行なっているはず。サッカーだけ別格なケースがほとんどだろうが)自然と行なっている部分もあるだろうが、日本の場合、オーナーシップがそれぞれ別なケースがほとんどだろうから、いかに連携して稼働率を上げるか?はアリーナビジネスの経営・運営の根幹となる問題のはず。

なので、山下達郎起点で、スポーツの集客と会場について考えると、言えることは

異業種連動で、より大きな稼働率を大きなキャパでできるシナリオを考えよう!

ということに尽きるかと。
いかに2000人規模クラスを毎回満席にできる人たちを、いかに5000人規模アリーナで公演してもらうか?
その結果、いかに5000人規模もしくはそれより大きいアリーナを増やすか?
2,000人規模の小規模アリーナをもっと増やすことは可能か?
その際の稼働率はどうなるのか?演劇でも他ジャンルでも利用可能かどうか?
音響や音質の担保は?
リーグや業界や競技を超えてもっと活発な議論があっていいはずだ。
複数業種で、いかに多くの多様なアリーナが増え、いかに稼働率を上げるか?をみんなで議論して実行しよう!
それがマーケットの拡大につながる!


業界の成長 私人か公人か?ガバナンスの課題

多くの薄給労働者の愛で支えられているエンタメとスポーツの世界で、ガバナンスにまつわる様々な問題が多発する理由の一つとして、ちゃんとお金が回っていないことが挙げられるだろう。
そんな中、山下達郎のチケットが取れないで約1年苦戦していると、いつの間にか山下達郎もジャニーズ問題の渦中に放り込まれていた。
ここでも彼起点で、スポーツ業界について思うことがいくつかあった。

持続的成長について


山下達郎と同世代(厳密な年齢差は知らないのでご勘弁ください)の矢沢永吉はインタビューで、最近今までと違う若い客層がコンサートくるようになってすごく嬉しいというような発言をしていた。もちろん長年の永ちゃんファンは大事と言いつつも、広がりに喜んでいるようだった。
対照的に、山下達郎のこだわりは音の質(サブスクにいない理由がこれだと言われている)だったり、こだわりの音を理解してくれる人に届けることのような気がする。
勝手な推測だが、業界全体の発展や後輩の育成ということに、あまり興味がなさそうだ。業界の発展を願うならば、より多くの人が多くの機会を得られるよう先人が道を築いていく行動が増えるだろう。大きなアリーナの稼働率をあげ、さらにアリーナ数を増やし、中規模の会場も増やすような行動に動くはずだ。でもそれは彼のこだわりとは違うところで、彼はすごく職人気質なのであって、それはそれでいいのだろう。好きな音楽を愚直に求めて、創作活動に力を注ぎ、理解してくれる人に届ける。彼の哲学に周りがごちゃごちゃいうことではなくて、それが彼の生き方で、彼の選択だ。そして彼にはそれができる経済的余裕があるのだ。
でもこのやり方をしていると、マーケティングでいうと新規顧客がなかなか生まれにくいので、事業規模が成長することは難しいだろう。成長するとすれば、コンサートの数を増やすか?新しい曲をたくさん出すか?単価を上げるか?セールスチャンネルを増やす?(サブスク)などしかなくなってくるため、新規顧客が増えない以上、パイと母数は増えないので、大幅な成長は厳しい。持続性という観点からも、期待はしづらい。山下達郎というアーティストと共に終わる経済である。もし彼が弟子や後継や業界の育成にすごく注力していたとしたならば、それはこちらの無知でこちらに非があるが、それが今のところ見えないし、聞こえてこない。
山下達郎に関しては、経済的な成長は彼の価値観の中での優先順位が低いのだろうから、まぁこれも人それぞれ。
やはり彼は職人気質なのだろう。そこに惹かれるファンが多くいるのも頷けるわけで、これはもう価値観の問題。
でもトップアーティストがみなこの思考だと、業界が尻すぼみを起こすことは間違いない。奇跡の棚預金を大量に投入するシニアが大量に現れれない限り、人口減少が起きている中、海外に新規顧客を求めるか?裾野を会場などが増えることで増やしたりしない限りは、厳しい。
あくまで職人、私人というスタンスだけのトップアーティストが君臨したままだと、次の世代の機会が減少して、業界の持続的成長のスピードは遅れる。そして経済的余裕がなくなると、当然心身ともに乱れが発生してくるのが、組織の常だ。

ガバナンスについて 私人か公人か?

さて今回の山下達郎のジャニーズ問題での対応を見て、スポーツ業界のガバナンスで思うことがいくつかあった。
結論からいうと、やはりこの人はかなりの職人で、完全に”私人”としての見解を示したのだなぁということ。音楽業界、芸能界を代表した”公人”としてのスタンスを全く取っていないということ。
この視点から見ると、彼がなぜサブスクをやらず、なぜアリーナでやらないか?なども見えてくる気がする。
そして同様の感覚を、不祥事が起きるリーグや管理団体から垣間見える。

まず、作品とアーティストの人格は別物か?
彼の公人としてのスタンスを期待している多くの人にとって、彼の受け答えには失望や怒りを覚えるのかもしれない。
単純に、例えばプーチンが素晴らしい芸術作品を描いたとして、我々は受け入れられるだろうか?という話で、それはちょっと厳しい。
でも私人のスタンスで、仮にお世話になった親戚のおじさんが犯罪を犯してしまったとして、我々はどのような対応を取るだろうか?
あくまで職人で、狭い世界で芸を高めている山下達郎にとって、似たような感覚があるんではないだろうか?
そしてこれが概ね芸能界の大物の感覚かもしれない。
お世話になった親戚のおじさんを公に断罪したくないし、する必要性も感じておらず、そっと処理したいのだろう。
やはり「ご縁とご恩」の世界に生きている。
(なんか鎌倉時代の武士みたいだなと思うし、そういえば、鎌倉殿を見た人は皆思うはずだが、ガバナンスの欠如の最たる例のような組織だ。。。)
突然方々から攻撃を受けるわけが理解できないのだろう。
被害者意識もあるかもしれない。
なので、理解できないなら放っておいてくれという断絶になってしまうのだろう。

そりゃどこにも対話しようという余地がないのだから、断絶したくなるのは理解できるが、これはこれで現代社会の問題で、対話をより促す仕組みと器が社会には必要とされている。
ちなみに、分断をなくす対話についての重要性は別の機会に考えてみたい。

本題に戻って、こうなると完全に”私人”として発言しているのに、周りは”公人”の発言を期待しているから、これは議論の本位が定まらないので、荒れるだけだ。
つまり、広報的には最悪な状態と化している。
今回は、「一アーティストとして私が申し上げられることはありません」と職人のスタンスを徹底的に貫くことが、広報的な正解だったかもしれない。
何せ、業界の健全化とかガバナンス改善に興味がないならば。
一方で、多くのファンや人に影響を与えるアーティストやスポーツ選手やその管理団体やリーグ、関連企業は社会の公器だと考えると、ガバナンスが求められる。
それが社会責任として法でも定められているし、倫理的にも妥当とされている。
しかし、中の人間が”私人”の感覚で、社会と距離がありすぎると、大抵ガバナンスが効かなくなり、私利私欲に走ったり、世間とのズレが起きる。
山下達郎という職人は、このズレが起きてしまったばかりに攻撃されてしまっているのかもしれない。
このあたりのガバナンスに関しては、為末大さんがとてもよくまとめられているので、読むことを推奨します!

最後にまとめると、やはりガバナンスを改善するためには、持続的成長による、関わっている人々が健全に過ごせるレベルの経済的なパイの拡大と配分が必要であり、次にそれをきちんと回していくためのスキルとガバナンスが必要になることが求められ、そして最後にお客の求めていることに耳を傾けてサービスを改善していく姿勢という企業にとって当たり前のことの重要性が改めて浮かび上がってくる。いうは易しで、これこそ現代社会の問題である対話のなさが浮かび上がるが、そこの課題に関してはまた後日。

さて、山下達郎起点で考えてきた訳だが、彼はコンサートに行けないファンの声に耳を向けているだろうか?向けていれば、大きな会場で行うか?コアファン以外の機会を設けるかもしれない。そこで彼に新たな発見があるかもしれない。それが新たな音楽制作への意欲やアイディア、衝動を導くかもしれない。そして大きな会場でやれば、波及効果としてより多くのアーティストの新たな道が開けるかもしれない。なんか機会損失な気がしてもったいない気がしてならない。私が彼に対して批判するところがあれば、そこだ。今回のジャニーズ騒動に関しては、彼が”私人”的な対応しかしない以上、それは彼の勝手だ。
大きな力があるものには、大きな責任がある。
この価値観を押し付ければ、この議論は論破できるのかもしれないが、あくまで”私人”として職人として活動している人に、価値観の押し付けは多様性の否定でもあり、健全でもない。
対話の余地がない今回の騒動に、勝者も納得もどこにもないだろう。
対話ができる様々な仕組みや思考が増えることを願うばかりで、その必要性を浮かび上がらせたのが、今回の件だと思う。

様々な価値観と対話をして、より良い環境を整える機会がエンタメとスポーツの目の前にはあると思う。
まずは、集客と会場によりフォーカスをして議論をしてもらい、そこからガバナンスにより目を向けていくようにしてほしい。
さて、山下達郎のコンサートに、いずれ私は行くのだろうか?


追伸:Bリーグが5000人キャパのハッパをかけているが、台湾との全日本の観客数は、4000台で、5000より下で、そしてホスピタリティーにも多くのクレームが見受けられることが、どうもチグハグで、今後の改善が求められるだろう。嘘でもいいから代表の試合は、観客動員目標を1万とか言ってほしいが、これも会場とアリーナの問題があるし、問題提起としてはいいタイミングだと思う。そして異業種と話すきっかけとしても。





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