「3月のライオン」に学ぶ、カッコウ上司の生存戦略とリスクマネジメントの精神。
今回の記事はフィクションです。現実に起きたことでは決して御座いません。
…そう、そうに決まっている。これは夢なんだ。
目が覚めたとき、ぼくはまだ12歳。起きたらラジオ体操に行って、朝ごはんを食べて、午後から友達とプールに行って思いっきり遊ぶんだ…
先月、3年間つきっきりだった案件が片付いた。
ひとつの案件に長く時間を使わざるを得ない業界で働いているため、3年で、しかも円満に案件が片付いたことは、個人的には奇跡であった。ちなみに、前の案件は片付くのに11年かかった。(だいぶ状況は違うが)
いろいろと幸運な風が吹いた結果でもあるので、達成感を感じるよりもどこかホッとした気持ちが大きい。初のプロジェクト責任者だったということもあり、少しは役目が果たせたのかなと感慨深くもなった。
しかし会社員である以上、そんな気持ちでいられる時間はほんの僅かだ。黙っていたって、厄介な仕事は空(経営層)から降ってくる。気づけば、頬を叩かれているような状況に陥っているなんて日常茶飯事。油断大敵なのだ。
(いつも気づいたら殴られている:『鬼滅の刃』1巻より引用 吾峠呼世晴著)
当たり前ではあるが、それなりにキャリアアップをすると、降ってくる仕事の質がどんどん変わってくる。
メーカーに入社したての頃は、決められた試験を延々と繰り返し、ひたすらデータを取り続けることが仕事であった。文字通り山のようなサンプルからデータを抽出し、傾向を纏めて報告書を提出、それが終わるとまた別のサンプルの山を渡されるという日々を繰り返した。
それから徐々に製品や試験系の設定と、設計思想や根拠が求められる仕事が増え始め、次第に自社だけではなく協力会社も含めて業務を行うことを求められるようになった。
増え続ける責任範囲とは裏腹に、上司からの具体的な指示はどんどんなくなり、曖昧になっていく。
先に述べた11年かかった案件を振り返ると、始めの頃は、
上司「○○の案件、設計の✗✗のところの根拠が曖昧だから、△△を参考に条件検討してデータ取ってくれる?」
私「わかりました〜」
と明瞭で遊びのない指示をもらい、粛々と進捗させていた。力量の足りない新入社員への対応としては的確であり、明確な指示もらえる良い会社だなと思う。
これが11年経つと、以下のようになる。
上司「これ、いい感じにしておいてくれる?」
私「わかりました〜」
「いい感じにしておいて」
ここ10年くらい、これしか言われてない気がする。
信用されていると捉えることもできるのだろうが、言われた方は溜まったものではない。何を望まれているのかを察して、それなりに上手くプロジェクトを進めることが出来なければ、いい感じではないのだ。「近ごろ私達は、いい感じ」という状態を続けることの、なんと難しいことか。
(果てしないPUFFY道:『これが私の生きる道』Youtubeより動画引用)
月日はさらに流れる。最近、「いい感じにしておいて」の中身が変容していることに気づいた。
平社員の頃の「いい感じにしておいて」は、面倒だけど頑張れば何とかなるかなといった内容だ。便宜上、ここでは「B級いい感じ」と呼ぶことにする。大体こんな感じ。
・いい感じに「データ取って考察」しておいて
・いい感じに「性能出せるように」しておいて
・いい感じに「面倒な許可取り」しておいて
ところが昇進したあたりから様相が変わってくる。私ではどうにもならないような内容が増えてくる。「A級いい感じ」の登場である。
・いい感じに「メンバーを成長させて成果出るように」しておいて
・いい感じに「毎年数億円売れるような商品を開発」しておいて
・いい感じに「50年後に流行る商品を提案」しておいて
(『大長編ドラえもん のび太の鉄人兵団』より引用 藤子・F・不二雄著)
誰か一人でもやれる奴いるんかいと、文句を言いたくなるような質の仕事が、「いい感じにしておいて」というオブラートに包まれて、空から降りそそぐのである。
会社員に安息の地はない。無茶振りという星が自分のもとに落ちてくる前に、燃え尽きることを祈るより他ない。
「S級いい感じ」の登場
とまぁ、このような"A級いい感じ"な仕事にも慣れてきた(出来るとは言っていない)中、直近の案件が片付いた私は、新たな仕事に任命された。それは今までやってきた仕事とは異なる内容で、なぜ私が呼ばれたのかなと少し不思議に思った。
それから数日後、メンバーとの顔合わせの後に、やり手と噂の社員からプロジェクトの概要が説明された。
やり手社員の話しぶりから、かなり気合が入っていることが分かる。事前調査は念入りにやられ、プロジェクトの価値を力説し、今までにないブレイクスルーを目指そうという熱意が感じられた。やり手感を存分に感じさせるプレゼンであった。
具体的に何をやるのかがボンヤリしていることが少々気になったが、今日は初回、これから詳細な説明があるのだろう。そう思いつつ、ミーティングが終わろうかという時に、私の想像の斜め上をいく出来事が起きた。
やり手「それでは初回の説明は以上です、皆様、頑張りましょう!」
メンバー「ありがとうございました」
やり手「最後に、このプロジェクトのリーダーは"Aさん(私)"になります!Aさん、よろしくお願いします!」
私「……は?私?」
やり手「はい!!」
私「えっ?やり手さんは?」
やり手「私はオブザーバーとして参画します!」
私「これからの計画は……」
やり手「私から説明したフレームワークを基に、いい感じにお願いします!」
・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・
(『サラリーマン金太郎』3巻より引用 本宮ひろ志著)
ということにはフィクションなのでならなかったが、気持ちの整理をするまでに数時間を要してしまった。またしても気づかない内に、鱗滝さんにボコボコにされてしまったようだ。鬼殺隊には入れそうにないが、社会人でいられそうにもない。絶望しかない。
あまりの出来事に見逃しそうになってしまったが、これは新種のいい感じ案件、A級を超えるS級いい感じ案件だったことに気づいた。
今回の「いい感じにしておいて」は、指定されたフレームワークの中で、かなり無茶な要求を達成しなければならない。自由度のない「いい感じにしておいて」なのである。
A級いい感じは、無茶な目標に対しても、取り組み方は自由であった。目標達成のために、どのような方針が考えられるのか。100%無茶振りに応えることは出来なくても、ここまでならなんとか、という被害を最小限に抑えるような着陸方法を考えることが出来た。
しかしS級いい感じは違う。勝ち筋のないフレームワークの中で、もがき苦しまなければならない。見える未来が9割くらい墜落という、新種のいい感じなのだ。普通の人は気づけないだろう。オレでなきゃ見逃しちゃうね(白目)。
なぜS級いい感じが、結界を越えて魔界から人間界に堕ちてきたのかは分からないが、徐々に状況が飲み込めてくると、ふと、ある漫画のシーンが頭に浮かんだ。
あっこれアレだな、『3月のライオン』でみたやつだ。
妻子捨男という衝撃
『3月のライオン』は以前取り上げた『ハチミツとクローバー』の作者、羽海野チカ先生の最新作である。大変良く出来た漫画で、登場人物全てが愛おしく、人間の不合理さや美しさを感じることができる。どんな人にも間違いなくオススメすることができる稀有な作品だ。
東京の下町に一人で暮らす、17歳のプロ将棋棋士=桐山零。史上5人目の中学生プロデビュー棋士として周りから期待される零だが、彼は幼い頃に事故で家族を失っており、生活の中でも盤上でも、深い孤独を背負っていた。彼の前に現れたのは、あかり・ひなた・モモの3姉妹。彼女たちと接するうちに、零は心の内に温かな気持ちをゆっくりと取り戻していく…。
『3月のライオン』公式HPより引用
先ほど「登場人物全てが愛おしく」と書いたが、今回取り上げるのは唯一愛おしくないキャラクター、甘麻井戸誠二郎、通称「妻子捨男(さいしすてお)」である。
本名の誠二郎よりも、妻子捨男の語呂の良すぎるので、本記事内では妻子捨男で統一しようと思う。
(妻子捨男:『3月のライオン』11巻より引用 羽海野チカ著)
妻子捨男は、本作で最重要キャラクターである川本家三姉妹の父親なのだが、彼は浮気をきっかけに離婚し、家を出ていったきりで、10巻まで登場することはなかった。
しかし、一緒になった新しい奥さんが病気になり、子供の面倒をみなければならなくなったことから、川本家の娘たちに奥さんの看病と子供の面倒を押し付けようと帰ってきたのであった。また、別の女性との不倫トラブル、会社のリストラ、社員寮からは退去を迫られ、不倫相手とも揉めている最中と、多くの問題を抱えている。問答無用のクソ野郎だ。
これだけでもインパクト十分なのだが、娘たちに全てを押し付けようとする様を主人公に咎められた時に、妻子捨男が言ったセリフが、これまた衝撃的であった。
(妻子捨男はカッコウ男:『3月のライオン』11巻より引用 羽海野チカ著)
「子育てに縛られず自由を生きるオレ、カッコウみたいだな…って」と言い放ったのだ。カッコウに例えてカッコつけているという、苦笑いしか出来ない状況だ。妻子捨男はカッコウ男だそうだ。
ということで、次はカッコウについて述べたいと思う。
カッコウの托卵と人間の理性
カッコウはカッコウ目カッコウ科に分類される鳥である。他にカッコウ科に分類される鳥としては、ホトトギスやツツドリがいる。
(カッコウ:『カッコウ』Wikipediaより引用)
まず初めに、私はカッコウが嫌いだ。
もし神龍(シェンロン)やジーニー(ランプの魔人)が願いを叶えてくれるなら、転売ヤーとカッコウのどちらを滅ぼしてもらうか悩むくらい、身の毛がよだつほど嫌いな生物と認識している。
このような感情を持つ原因は、カッコウが行う托卵への不快感にある。
カッコウは、他の鳥の巣に卵を産み、子育てを任せてしまう托卵習性を持っている。この托卵という行為が狡猾で、厳しい自然環境の中で生き残るための生物学的習性という前提を理解していても、私の人間としての理性が強い不快感を感じてしまう。
以下にカッコウの托卵フローを要約する。
・托卵先はカッコウよりもずっと身体の小さいオオヨシキリなど
・雌カッコウは「ピピピ」と鷹の鳴き真似をする
・警戒した寄生先の親鳥が巣から離れる
・留守を確認し巣へ侵入
・巣から寄生相手の卵を1~2個抜き取る
・相手の卵を加えたまま産卵、そして巣を去る
・侵入から巣を去るまで、おおよそ10秒前後
参考;『托卵習性に見る鳥類の繁殖適応. 樋口広芳. Journal of Reproduction and Development. vol.41, No.6. 1995』『トリノトリビア』
上記托卵フローは狡猾だ。寄生先の親鳥を自ら離れさせ、侵入から巣を去るまで10秒、ほとんど防ぎようがない。ちなみに雌カッコウが抜き取った寄生相手の卵は、そのまま雌カッコウに食べられてしまう。鬼畜。
とはいえ、厳しい自然の中で生き抜くためには、これくらいの行為はあって然るべきと、多くの寛容な読者は思うのではないだろうか。少しざわつく感情を持ちつつも、受け入れて生きていくのが大人というものだ。
しかし、問題はこの後である。
・カッコウの卵は寄生先の親鳥(仮親とする)に抱卵される
・仮親の卵より先に、カッコウの雛が生まれる
・仮親からの給餌より、一番ノリで栄養を得る
・数時間後、カッコウの雛は孵化していない他の卵を巣の外に落とす
・仮に孵化した雛がいても、巣の外に落とす
・仮親がいても構わず、巣の外に落とす
・一羽となったカッコウの雛は、給餌を独占する
・仮親よりも大きくなっても、巣から離れても、給餌を受け続ける
参考;『托卵習性に見る鳥類の繁殖適応. 樋口広芳. Journal of Reproduction and Development. vol.41, No.6. 1995』『トリノトリビア』
エグすぎんか。
(度し難い:『メイドインアビス』4巻より引用 つくしあきひと著)
仮親の気持ちを考えると堪えきれない。生んだ卵は全て捨てられ、その事に気づくこともなく、他の親の子に永遠と給餌し続けるなんて……。
他の卵や雛を巣の外に落とすというこの行為、文字で読んでも不快なのだが、動画で見るとさらにヤバイ。生まれたばかりのヨボヨボのカッコウの雛が、卵を落とすためだけに平たく進化した背中にヨタヨタと卵を載せて、巣から捨てられるまで何度も繰り返す所業に、精神が追いつかなくなる。
カッコウ撲滅を掲げた宗教団体とか立ち上げたら、信者集まりそうなくらい、ただただ不快である。
(鬼畜の所業:『Cuckoo chick coup - Common cuckoo's deposition, Daurian redstart.』Youtubeより動画引用)
下記の動画は雛を落とす様子が含まれる。作者には申し訳ないが、サムネイルが不快過ぎるのでリンクだけの紹介とする。別に見なくても良い。
『カッコウのクーデター(カッコウ 托卵).ep1』
カッコウが自ら子育てをせず、托卵という手段を選択した理由は、諸説ある。カッコウは体温変動が大きいため、他種の鳥類に抱卵してもらったほうが繁殖に有利とか、複数の巣に卵を産むことでリスクを分散しているとか。恐らく複合的な理由から、このような進化を遂げたのだろう。
その中でも、個人的に最も納得感があったのは、子育てという大きなリスクを押し付けることが、自らを危険に晒す機会の減少に繋がるという説だ。頑張って子育てをするよりも、卵を産み続ける方が種の存続に有利という考え方である。
養育は決して安価な労働ではない。子への給餌やこの保護は、親の採食効率を著しく低下させるだけではなく、時には直接生命を落とす危険をもたらすこともある。
騙しを見破るテクニック:卵の基準,雛の基準ー托卵鳥・宿主の軍拡競争の果てにー. 田中啓太. 日本鳥学会誌 61(1): 60-76. 2012より引用
別の記事でも話題にしたが、子育てにリスクを含んでいることはカッコウだけではない。人間も同じである。
人間は子育てをする上で支障のないパートナーを魅力的に思うよう進化したが、カッコウは子育てを放棄する代わりに、複数回の産卵にリソースを投入することで子孫を残せるよう進化したようだ。このようなカッコウの生存戦略は、倫理面はともかく、意外と合理的なのかもしれない。
カッコウ上司がプロジェクトを托卵する理由
托卵という選択を選んだカッコウは、巣を作る習性を失っている。それゆえ、いまさらリスクを負って巣作りや子育てを始めるという選択を選ぶことは出来ない。
妻子捨男も同様である。
塾講師を辞め、和菓子屋の手伝いを拒否、浮気から家庭を去り、新しい家庭でも不倫をする彼の行動理念は、「好きなことだけして生きていたい」と「リスクを一切取りたくない」の2つである。
この2つの理念を両立することは困難だ。働かないけどお金はたくさん欲しい、お金は欲しいけど嫌なことはしたくない、と言っているのと同義なのだから当然である。
Youtuberとして生きていくと会社を辞めるも、なんの面白みもないVlogを垂れ流しし続ける人は、妻子捨男と同じマインドなのかなと想像した。もし妻子捨男のYoutubeアカウントが出来たらと思うと、ちょっと見たくなるのが悔しいが。
兎にも角にも、莫大なお金や権力を持たない妻子捨男は、倫理観を捨てて、ただ逃げ続けるより他なかった。
(育て方が分からないカッコウ男:『3月のライオン』より引用 羽海野チカ著)
さて、ようやく話を冒頭のフィクションの話に戻そうと思う。
やり手社員は熱意を持って、フレームワークの設定やビジョンの共有を行っていた。このまま自らがプロジェクトリーダーとなって、成果を出すことができれば、やり手社員は更に大きな評価を得ることになっただろう。
しかし、ここで問題となるのはプロジェクトの成功確率だ。
やり手社員が提案したプロジェクトは、会社にとって理想的ではあるが、これまで検討しつくされたプロジェクトの焼き直し感が強く、かなり画期的な技術のブレイクスルーが見込めない限り、目標の達成は困難なように思えた。そして、やり手社員は優秀なので、この事実に気づいていない訳はない。
こうしてカッコウ上司は完成する。
成功確率が低いが会社から求められている仕事という、やっかいなリスクを抱えるより、プロジェクトを誰かに托卵して、次の仕事に取り掛かるほうが圧倒的に合理的だ。見込み通り、プロジェクトが上手く行かなかったとしても、それは托卵先のプロジェクトリーダーやメンバーの責任で、立案者の責任ではない。
それに、もしプロジェクトが上手くいったら、「あのプロジェクトは私が発案した」と言えば良いのだ。
(あのデッキブラシはわしが貸したんだぞ!:『魔女の宅急便』より引用 スタジオジブリHPより)
まとめ
カッコウの生存戦略から、カッコウ上司がなぜプロジェクトを他人任せにするのかを考察した。自然や会社という競争世界で生きる個にとっては、リスクを分散するという行為は妥当である。
実際には、カッコウの托卵先であるオオヨシキリは、孵化する前のカッコウの卵を見分けて捨てたり、カッコウの雛を排除するということもあり、托卵の成功確率は高くないそうだ。
寄生される側だけではなく、対寄生者防衛戦略も進化していく。このような共進化プロセスを軍拡競争と形容される。
リスクを負わされる側と負わせる側の戦いは、カッコウとオオヨシキリに限らず、人間であっても高度化していくことだろう。出来ることなら、このような面倒くさいスパイラルに巻き込まれることなく生きていきたい。
何度も繰り返すが、今回はフィクションの話なので助かった。これがもし現実なのだとしたら、任された側は成功確率2%くらいの超ハイリスク・ハイリターンの博打をやらざるを得ない。
フィクションでよかった…私は幸せだ…。
さて、そろそろ友達とプールに行って、思いっきり遊ぼうかな。
それでは。
(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』)
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