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思惟かねのノンジャンル随筆

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私が書いた文章のうち、ジャンル分けができないごった煮の文章を集めたマガジンです。画像はおでんです。
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#社会

「謝れてえらい」VTuberコミュニティの光と影:愛すべき「常識」との付き合い方

「謝れてえらい」VTuberコミュニティの光と影:愛すべき「常識」との付き合い方

VTuberというコミュニティの美点の一つとして「肯定の文化」があると私は思っています。
かつて私は自分の文章の中でこのように述べました。

"インターネットではその匿名性ゆえに、批判的・攻撃的な投稿が目立ちやすい中、VTuber界隈は例外的ともいえる「優しい」クラスタだと感じます。否定の言葉よりも肯定の言葉を。黙視ではなく積極的な称賛を。"
"それを同じく美点と見ている方が少なからずいるというの

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「生きていく」ことの大変さとVR世界という止まり木:今日も一日生き延びてエラい!

「生きていく」ことの大変さとVR世界という止まり木:今日も一日生き延びてエラい!

先日の全3回に渡った連載「全てがVになる」。
今回の記事は、いうなればそのあとがき、あるいは付録のような文章です。

VTuberが「自分のなりたい姿としてふるまえる」仮想人格となりうると指摘した上で、それが当たり前に受け入れられる土壌となるVR技術の社会への浸透と、価値観によるコミュニティの分散化という未来図を提示しました。
そして後編にて「一つの矛盾しない存在であらねばならない」という現実世界

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小論:分散化する未来の社会と個人の「しあわせ」のかたち

先に予告します。私は毎度これでもかと長文ばかりを書いていますが、今回はとても短い文章になるでしょう。

今回のnoteは、昨日書き上げた「全てがVになる:VRが変える私たちの社会、2050年のその姿(中編)」についてのとあるコメントに、私がいたく感じいるものがあったがために、それを言葉にしたくて書いた「自分の著作に対するコメントへの感想文」だからです。

私はこのエッセイの中で、VRが浸透した未来

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私と同居人の「クモ」:嫌い合うもの同士がいっしょにいられたその理由

私と同居人の「クモ」:嫌い合うもの同士がいっしょにいられたその理由

連日、少し短いエッセイの投稿となってしまっていることをお詫びします。
はたして、さして深い思索の伴わない私の文章に、皆さんに見て頂く意味があるのか…と悩みつつも、結局は思ったことを筆に仮託せざるをえない性分ゆえ、こうして今日もエッセイを書きます。

なお本文はTwitterに投稿したものを、多少追記・改稿したものです。元ツイートは↓のツリーから(と、いいつつ結局かなり加筆しちゃったけど…)

(以

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