詩/ニルヴァーナ あるいは 言葉の向こう側へ

ニルヴァーナ あるいは 言葉の向こう側へ

意味について
言葉で伝えようとする その無意味さ、
という意味を生じさせてしまう
ジレンマを抱えながらも
それでも伝える、を選択するのは
そのジレンマが
次元への感受性の未熟さに過ぎないから。

物理的な痛みは
甘んじて受けるしかない
時折襲ってくる、強い恐れも
脳のメカニズムに変調をきたした結果としての表れ
その耐え難きを
道端にうずくまって堪(こら)えている
足音が遠ざかっていく

その痛みを
苦しみに変えない方法が
一つだけある

「初めに言葉があった」(ヨハネ1:1)
聖書に誤りがあるとすれば、ここだ。

初めに言葉などなかった
ロゴス、ダーバール、
何と呼ぼうが同じこと
神の言葉を
人の言葉で表してはならなかった
言葉こそが偶像だったのだから

言葉によって
そこに意味という幻が生まれた
そして
意味があなたを苦しめるのである

曰く、時折襲ってくる強い恐れ
曰く、どうしても愛されないのだ
曰く、このまま狂ってしまうのではないか
曰く、人間とは何か

神とは何か、私は誰か

「私」などいない
それは言葉だから。
「今ここ」などない
それは言葉だから。

初めに言葉はなかった

そもそも何もなかった
何の問題もなかったのに
言葉で名づけて
意味づけして
勝手に苦しんでいる

わかるということは
言葉でわかるということだから
言葉を捨てて
何も知らない、わからない、に留まる
その時
問いも答えもない世界が現前している

それがニルヴァーナだ
苦しみを知る者だけが来れる場所

2024年7月

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