おれィディオ

百貫でぶ肥満児が街一番のマドンナをゲットする為一大奮起!見事get✌️〜その気になりボク…

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百貫でぶ肥満児が街一番のマドンナをゲットする為一大奮起!見事get✌️〜その気になりボクサーデビューするも散々な戦績。引退後は鮮魚さばきの包丁道数十年→これまた引退、令和主夫のあり方と息子弁当をクリエイト。只今Mステ出演を目指し元保護犬♀ワンコ⑹を散歩中U^ェ^U

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最近の記事

足あと、と笑顔で「証し」を。

最々愛の母を亡くしたとき、お寺?施設の紹介?だかで、まるでゆかりも無い葬儀社での式を行いました。 会場側から生前のフォトを数枚用意して下さい、と言われモニターに映す簡単なハイライト映像を作って、流し続けてくれました。 哀しみのなかではありましたが、不思議と遺族間に笑顔がうまれ写真当時の思い出なんかを話したりしました。 義母もとうぜん来てくだり「良い空間ね、私のときも此処でお願い笑」との軽口に皆で談笑してたのですが、そのあと僅かの期間で、それは現実になってしまいました。 現在、

    • インガスンガスン 笑

      とは、なかなかの意味深な言葉かも?と最近、思うのです。笑 幼少期に、後ろから鈍器を振り落とされたような… 錆びっ錆びの日本刀で斬られ、もがき苦しむような?苦〜い体験をしました。 〜それ未だに夢に見て、うなされ飛び起きたりで… 決して『納得』などあり得ませんが、結局それは50となったいま思えば、良くも悪くも、私自身の人間形成の大半を占めているものだと思うのです。 でホント最近 、Youtubeで「三木大雲チャンネル」なるものを発見し、よく観ているのですが三木和尚曰く… 今

      • コン玉

        ふと思い出したんだけど…こどもの頃、朝からフツーに「コン玉」なるメニューがありました。 赤ムラサキの何やらおいしい具が、玉子焼き(オムレツ)に入った、一品。 たまの外食のときでも、オカンやおばあちゃんから、何にする?と聞かれても「コン玉ぁー」と兄妹で答えるほど大好物!わが家オリジナルのメニュー。 土曜の昼なんかに下校して、よろこんで食べる妹とわたしを昨日のように思い出します。 そんな大好物の「コン玉」! 少しばかり大きくなり、お互い中学生になったある日… 「てっちゃん知ってる

        • はじめてのライバルであり、親友。

          彼は今どこで何をしているのだろう。幸せな人生を送っているのだろうか… 小3の時、何をどうやっても、かなわないヤツが現れた! 記憶にないチビの頃からジャイアン気質だった私は、公園などでファーストコンタクトの相手と接触をすれば、ほとんど「たたき合い」になって、泣かしてしまっていたことを、よくオカンが話していた。 うーん、・・・まぁ、そんなきらいは確かにあったのかもナ(笑) 小3で同じクラスになった「 I 」 との関係も、例にもれず、最初は当たり障りない距離だったのだが、近

        足あと、と笑顔で「証し」を。

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        • 音楽
          1本

        記事

          怪童「プーさん」、との出逢い。

          関東に越して1年経ったくらいかなぁ…妻が突然、犬を飼いたいと言いだした。幼い頃から犬がいる生活をしていた彼女、知り合いのいない関東の街でふと、ペットを飼いたくなったようだ。半ばムリからペットショップへ連れて行かれた。 私も幼い頃から、鳥や爬虫類、といろんな動物を飼ってきていて、大の動物好き。実家では長老の愛猫がいたほどだ。犬も嫌いではない。だが、あまり詳しくはなかった。だから、もしも犬を飼うのならば漠然とではあるのだが、毛の短かい大きな犬種がよかった。〜そう、例えるならば、

          怪童「プーさん」、との出逢い。

          まじ、リアル(^_^;)! 〜産みの苦しみ。

          14年前の今日、わが家に第一子である長男が誕生しました。 結婚10年目にして授かった妻の妊娠中、出来るだけ通院にも付き合って、産まれてくるのを楽しみにしていました。何よりも嬉しく感じたのは、日々変化する妻の表情に様子、もちろん体形の変化にさえ家族が増える、という未知の未来にワクワクする毎日でした。 その当時の妻は美容関連の学校で生徒さんを持つ職に就いていたので、予定日が4/15だったこともあり、身重のカラダで学年末のギリギリまで働いてくれていました。 そして産休に入って

          まじ、リアル(^_^;)! 〜産みの苦しみ。

          時が経っても色褪せない豊かさ。

          20代のころの音楽に賭ける「熱量」ったら、ものすごいものがありました。独身でしたし、結婚しても、しばらくは子どもがいなくて妻の理解もありましたし、親は若く元気で、社会的に背負っているものはなく、年齢的に勢いよく向こう見ずでいた時代でした。安定した収入と購入したばかりの新居を置いて、デビューを目指して仲間たちと上京したくらいです。注いだ熱量のぶんだけ、彼らと作り上げた音楽はとてもいいものでした。事実、いくつかの音楽事務所やレコード会社からオファーを受けていました。…ですが、若か

          時が経っても色褪せない豊かさ。

          新月のよるは… 新たな挑戦で(^_-)

          夕べはわたくし多村哲、初めてのアコースティックライヴを行いました! わたくしの ヴォーカル&マラカスに バックはガットギター1本のみという、これまでにない究極にシンプルな編成にチャレンジ。 普段はもうなかなか、ステージ上での緊張など味わえなくなってきていたのかな?…夕べはとても良い意味で、「緊張」しました。 ガットギター担当は、なんと!!! わたくしの愛する妻(笑)! いつの頃からだったか、何とな〜く 夫婦でバンドをするというイメージが私の中に湧いてきて、それ以来は折

          新月のよるは… 新たな挑戦で(^_-)

          人生は「ほうれい線」との戦いだ!

          物心ついたとき、既にヒデキの大ファンでした。 未就園児?幼稚園児?…まぁその頃から、ヒデキとジュリーとが双璧の私のアイドル ! そんな幼少児がすることと言えば、似顔絵。 ジュリーの帽子にピストルに加えて、白いスーツに赤い薔薇や、USAタイツ姿のヒデキをクレヨンや色鉛筆でひたすら画用紙いっぱいに描きました。 その時の私の目に焼き付いたのが「ほうれい線」。 〜なるほど、カッコいい大人になればこんな線が顔に出るんや!と、大人になるのを楽しみにしていました。 それ以来、誰かさんの

          人生は「ほうれい線」との戦いだ!

          恐怖の「小舟」 …

          まだ幼いころ、親戚のおばさんの故郷である石川県の「能登島」へ連れてってもらった。 何より「島」というワードに惹かれ、行くまえから三つ下の妹と、とっても盛り上がっていた。 その日はまず大阪駅から金沢へ、でたしかナナオ?という海辺の町から船に乗ったと思う。 初めての船で、さぁどんな体験ができるのだろうとワクワクしていたところ、目のまえに現われたのは超がつくほどの小っちゃな小舟!…例えるならば、タイ国の草ボーボーの岸に挟まれた泥河で?三度笠のようなかぶり物をした水夫が河に杖の

          恐怖の「小舟」 …

          ベルサイユのばら

          今夜は「ひなまつり」にちなんで 女の子の話をひとつ。 10代のころバンド仲間数人で、こぞって肉体労働のアルバイトに精を出した時期がある。 時は80’sバブル全盛で、1日の日当¥13000は何かと入り用のバンドマンの懐をたすける。ゴリラ並みの重労働もなんのその!で次々とこなし、現場のオジちゃんたちには、なかなか気に入ってもらえた。 だけどそこは10代の少年、帰りに日当ぜんぶを使ってしまうお調子者もいた(笑)。 その土木事務所は阪急電車の宝塚線「門戸厄神」駅まえにあり、仲

          ベルサイユのばら

          フィエスタレッドの誘惑。

          あまり馴染みのない色、フィエスタレッド。 15歳からバンド活動を始めてグラムロック?にもひと段落ついた20歳くらいのころ、傾倒してた音楽は ロバート・クレイ や デイブ・ギルモア、エイドリアン・ブリュー …すなわち「ストラト」の音楽。 クラプトンも盛り上がっていたし兎に角、ストラトありきで音楽を聴き漁っていました。 当時の流行であったパワーのあるハムバッカーのピックアップよりも、なぜだかあの枯れたような?それでいてジャキジャキしたストラトサウンドが大好きでシングルコ

          フィエスタレッドの誘惑。

          肥満児誕生秘話。

          オカンは新婚のころ、家事や炊事を積極的にがんばった、と言っていた。 が、私が小学校低学年くらいになると「料理は大嫌い」と口にするようになっていた。 なんで嫌いなん?と私ら兄妹が聞くと、新婚のころは料理本などを見て粛々とがんばっていたのだが、 ある日のレシピで「豆腐を揚げて下さい」を忠実に実行したところ、その一時間後に 「何やのこれ!厚揚げやないの!」となり、 アホらしなったわと(笑)。 ↑ その一件が、料理を嫌いになった理由らしい。 なんともオカンら

          肥満児誕生秘話。

          「3っ子のタマシイ、100まで。」

          70s後半〜80s前半の幼少期、映画館へ連れてってもらうのは、胸が高鳴る最高のレジャー! 梅田OS、敷島シネマ … 三宮新聞会館など、〜もうそれはそれは。 チビだった私は「スターウォーズ」に「E.T.」が観たいにきまってるが、父親がそれを許さない(涙)、 Bレイノルズ か Cイーストウッド、もしくは Sマックイーン。(Pニューマンはなぜか❌) 「トランザム7000」や「ダーティーハリー」シリーズなど、否応なしに連れていかれました。 いちどテレビCMでみて「Aパチーノ

          「3っ子のタマシイ、100まで。」

          「これでおよしよ〜♪」

          前回は阪神大震災にすこし触れましたが、家族でほとほと困り果てたのがズバリ「断水」です(~_~;) これにより👆オカン に火がつき、救援物資が届く近くの公園まで、まいにち早朝から大きな「カメ」を台車にのせ、テンション・アゲアゲの腕まくり姿で被災地を非常識なほど元気に(笑)何往復も、何往復も…そしてカメに擦り切れいっぱい、水を汲んでくるのです(~_~;) …1日に何度も(−_−;) 〜その水が風呂桶いっぱいになると、満足気に含み笑いを浮かべるのです。 そんなオカンに私は言

          「これでおよしよ〜♪」

          ルーツを紐解く…

          うちのオカンは無類の「裕次郎ファン」で物心ついたときから家の中ではひとしきり裕次郎の曲が掛かってる、という環境。 曲だけに納まらず、映画もTVドラマも、かなり観せられた(^◇^;) 「西部警察」なんかはリアルタイムでわざわざコタツに座らされてのマスト、さらに「太陽にほえろ」は再放送まで見せられ、なぜだか優作は良いがショーケンは好かん、などのうんちくまで聞かされる小学生でした。 「あんた、コレが銀恋や」とか「かっこええ

          ルーツを紐解く…