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友達を感じた日

わたしは友達が少ないと思う。
いや、狭く深い人間関係を保っているのだ!とでも言っておこうか__________

先日、その少ない友達のなかのひとりに転職関連の相談をした。
「○○○について、どう思う?」

そこでふと、わたしってこうやって誰かに相談することって
あんまりなかったかもなということに気がついた。
だれかに相談されることはあるけど、自分の悩みって打ち明けることはだいぶ少ない。これは友人を信頼していないだとか、仲が良くないとかという理由ではない。たぶん、単純に人付き合いが下手ってとこだろう。
人との距離感の詰め方だったり、どこまで人の領域に踏み込んでいいのかを考えすぎてしまう。これが感覚的にわからないのだ。とくにはじめはね。

まずいまずい、何を書こうかわからなくなりそうだった。
とても簡単にいうと、友達にふいに相談したところ、
こんなに素敵な友達がいるじゃないか!って嬉しくなったという話である。

わたしは、なぜかSNSに相談をしていた。
解決の糸口を常にネット上で探していたように思える。ググれ!という言葉があるように、Google先生に聞いて簡単に解決することもあるし、もちろんネット上に答えがあるならばそれはそれでいい。
ただわたしの場合は、それに頼りすぎてリアルな人、に相談していなかったなということ。別にだれかに弱みを見せたくないという気持ちはまったくないのになぜだろう。こんなこと聞いていいのかな…という気にしすぎ精神だろうか。


自分が苦しくもがいていることは、同世代の友達も同じような経験をしていることが多い。
友達に相談をしてみて、返ってきた言葉は、
「これから辛いときはすぐ連絡してね。」
「わたしが何を持っているか、持っていないかというそういう要素ではなくて、わたしの人に対する向き合い方とか生き方が好きでそばにいてくれるひとがたくさんいると思う。それが何にもかえられない自分の価値だと思う。」


この言葉をかけられたとき、泣きそうになってしまった。
ああ、わたしにはこんな友達がいたんだと。

今度は、わたしがそんな言葉をかけられる側にいたいと思う。
ある言葉に勇気付けられたとき、同じような言葉でまた他のだれかを勇気づけたいとそんなことを思う。
そうやって言葉のバトンが続いていくといいな。

すごくすごく自分自身を肯定されたのです。
本質的な自己肯定感とはこういうことなのかもと直感的に感じた。
すーっとあたたかい言葉が、わたしの力の入っている肩を包み込んでくれた
感じを今でも覚えている。
こんな言葉をかけられる友達が、あなたがすごくすごく素敵だ。
このnoteを書くためにLINEを見返したのだけど、いまもジーンときている。


わたしは友達が少ない。それには変わりない。
だけど、何にも変えられない、ずーーーっと大切にしたい友達が多いって
ことなのかも。これは間違いなく、自分の財産だ。

鶴の恩返しならぬ、言葉の恩返しをしよう。

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