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芸術雑記

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私なりの芸術論。私の専門はデザインですが、美術系の記事が多いです。
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#日記

資生堂書体はどこから生まれ、どこへ向かうのか -2020年7月18日

資生堂書体はどこから生まれ、どこへ向かうのか -2020年7月18日

 (大学のとある授業で、日本のデザインの変遷について学んだ)
 私は今回、日本のデザイン界を今も昔もリードしている資生堂のデザインを中心に、日本のデザインが与えた影響と、これからのデザインにどんな影響を与えるかを考えた。

 


 資生堂の意匠部(現在の宣伝・デザイン部)は1916年に設置された。その頃の日本ではデザインという言葉は浸透しておらず、エンジニアが製品のデザインまで行う時代だったこ

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ディズニーランドは現代美術の場たりえるか?(川俣正)のタイトルの問いに対する考え

 私の思う美術作品とは、作者の思想によってその作品が作られ、そのコンセプトを観客が受け取る、一連の作業を伴うものである。すなわち、コンセプトの相互理解である。

とするならば、ディズニーランドの作られた目的とは何だろうか。人を楽しませることだろうか?それとも、作品の再現性だろうか?少なくとも、私はディズニーランドの真のコンセプトを知らない。
観客を楽しませようとする工夫を感じとることはできるが、デ

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あいちトリエンナーレは「表現の不自由展」というテーマで表現の自由を主張したが、皮肉にもそれが否定される。

今回のあいちトリエンナーレについての一連の騒動は、日本中でニュースになり、取り上げられた。それがきっかけで、興味を持って調べた人がいたと思う。とても良いことだと思う。「表現の自由」について、いろいろ考えた。

展示をすぐに切り上げた理由として、プロデューサーの津田大介氏は、苦情が多数寄せられ、展覧会での安全性を考慮しての決断だとしたが、いまいち納得ができなかった。
公共の福祉を守るために、アー

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ミュシャが挑んだ「芸術」と「デザイン」の境界 -2020年6月4日

ミュシャが挑んだ「芸術」と「デザイン」の境界 -2020年6月4日

 「芸術」と「デザイン」の境界は、実に曖昧なものである。しかし、その目的や観客は異なるものだ。今回私は、アルフォンス・ミュシャという人物の生涯と作品を題材にとって、「芸術」と「デザイン」の境界を探ろうと思う。
アルフォンス・ミュシャの生涯の作品は、どこまでがデザインで、どこまでが芸術なのだろうか。



 ミュシャの出世作は1895年、舞台女優サラ・ベルナールの為に制作したポスターだった。ポスタ

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