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わたしにとっての「正しさとはなにか」という問いに向かっています。その過程で、これまでの経験を「現実・事実・真実」という視点で捉えるという試みを行っています。

心がざわつくような、思い出したくもないできごとが起きたとします。起きてしまった以上、これは紛れもない「現実」です。
しかし、わたしにとっては単に起きた事柄だけではない意味を持っています。その意味を帯びたできごとが「事実」であり、わたしにとっての「真実」が潜んでいる・・・と考えています。


さて、ここで取り上げた「現実・事実・真実」の定義を、改めて調べてみました。

【現実】
いま目の前に事実として現れている事柄や状態。
「夢と現実」「現実を直視する」「現実に起きてしまった事故」
⇔理想。

小学館:デジタル大辞泉

【事実】
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
「意外な事実が判明する」「供述を事実に照らす」「事実に反する」「事実を曲げて話す」「歴史的事実」
2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。

小学館:デジタル大辞泉

【真実】
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。
「真実を述べる」「真実な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。

小学館:デジタル大辞泉

おおむね、わたしがイメージしていた意味に近いようです。


目の前で起こったできごとはなかったことにはできません。夢ではなく「現実」なんです。ただしこの時点で正誤の判断はしていません。

ところがそのできごとに対して、「わたしにとっての意味を見出そう」と試みる課程で「事実」へと変わっていくのではないでしょうか。できごとを自分なりの解釈で捉えようとするわけです。ここで正誤の判断が加わります。

やがて、このできごとについて一つの答えを出します。それは自分にとっての「真実」であり、正しい/誤っているという判断が明確になされているはずです。

その真実の積み重ねが、自分にとっての正しさにつながり、正義感へと発展していくのではないでしょうか。


人と人が相対する以上、一人ひとりの正しさがぶつかり合います。
「~すべき」「~は当たり前」「~しないわけがない」という言葉はすべて「正しさ」からくるものです。すなわち、物事をどのように捉え・見ているかという「自己概念」そのものです。
その「自己概念」をつくりあげたのは、紛れもなく過去の経験です。経験から受け取った意味が、自分の中で「真実」をつくあげてきたとも言えます。
そして「真実」は、できごとをどのように見たかというその人にとっての「事実」に基づきます。当然解釈が含まれていますから、これを実際に起こったできごと=「現実」と、そこに込めた「解釈」とに分離して捉える必要が出てきます。

これが「経験代謝に基づくキャリアカウンセリングなのでは・・・」と、ぼんやり考えているわけです。


なんてことを、毎日考え続けています(笑)
人から与えられた答えでは満足できないんですよね。
やっぱり自分で見出した意味こそが、わたしにとっての「正しさ」であり、「自己概念の成長」の礎になると考えています。
別に哲学者になりたいわけではないのに、なんでこんなに考えたがるんでしょうかね?

あなたも一緒に考えてみませんか?




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