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「自発的隷従論」エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(著)
なぜ人は支配されるのか?
この問いは今に至るまで世界史の中で長く議論されてきた一つの問いだと思います。
著者であるエティエンヌ・ド・ラ・ボエシはフランスが宗教戦争で分裂して争い合っていた16世紀、この問いに16歳~18歳という若さで挑みました。その成果が本書になります。
人が支配されることを「よし」としてしまう理由を彼の言葉で平易に書いているのが本書です。
学術的な論理構成がされているというよりは所感(感覚)という部分が近いように思える内容ですが、だからこそ読みやすく「学術書はちょっと難しいからな」と距離を置いてしまうような人でも気軽に読める一冊だと言えます。
・私たちは隷従に甘んじている
ボエシが本書を通して解消したい疑問は
「これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばただひとりの圧政者を耐え忍ぶなどということがありうるのはどのようなわけか」
という問いです。さらにこの問いを持った理由を
「その者(圧政者)の力は人々がみずから与えている力にほかならないのであり、その者が人々に害することができるのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからにほかならない」
といいます。
これこそまさに本書の題名である「自発的隷従」という部分に重なります。そして今にもこの構図は当てはまります。
民主主義とは自身を支配する権力者を投票によって決める政治の方法です。私たちは自身で支配して欲しい人を選んでいると言えます。
選挙であれば各政党の総裁・党首が総理大臣になる可能性があるわけですから、私たちの一票は各選挙区の議員とは別に、各政党の総裁・党首に総理大臣になって欲しいという一票という意味も持っていると言えます。
これは統治構造上、仕方のないことですが、政府が権力を通じて自由を奪うことも、自由を与えることもできる以上、私たちの一票はそのまま隷従への道を歩くことにもつながるかもしれないというのは紛れもない事実です。
ボエシは「人間というのは元来、自由」であると言います。
政治学でいうところの「自然権」の発想ですが、ボエシはさらに「元々は自由だったけど、一度支配が定着した社会に生まれる最初から自由であるとはいえない」と続けます。
ここから隷従というのは習慣で体に教え込まれているというのです。
習慣というのは恐ろしいもので良い習慣はメリットになりますが、悪い習慣はデメリットになります。そして最初から悪い習慣を植え付けられていると脱却するのは難しいのです。
ボエシは隷従の習慣が身についていることからの脱却するための行動の必要性を説いています。
・圧政者による支配の作戦
圧政に対抗する動きというのは世界各国の歴史を見ると大体あるものです。
日本でも農民による一揆は地方の圧政への抵抗ですよね。フランスだとフランス革命、イギリスだとピューリタン革命、アメリカは革命どころかイギリスから独立しました。
このように隷従していても行動によって現状打破を目指すこともあります。しかし、支配者側も抵抗されないように作戦を練っています。
皆さんの周りにも「何であんなひどい奴なのに関係を継続しているんだろう?」と疑問を持つような人間関係を目にすることありませんか。
それもきっと同じような手法を使っているからかもしれません。
ボエシは5つ紹介していますが、ここでは2つ代表的なものを紹介します。
まずは被支配者に対して娯楽や誘惑を与えることです。ローマ時代は「パンと見世物」と言いました。
たとえ不満があってもその不満を軽減できるような娯楽や誘惑を提供して、活用させることで不満について考えさせなくします。こうすれば娯楽にはまっている間は不満が再び大きくなることはありません。
人は目先の利益、誘惑に弱いものです。
次に権威付けです。これは詐欺なんかに多い感じがしますが、人からの信用を得る時にそれっぽいすごそうな肩書きを語ると一気に信用されたりしますよね。
投資詐欺なんかは特にそんな感じがします。実績を語って成功したことをアピールしてお金を自分にあずけさせてその後は、、、みたいな(笑)。
環境問題で融資を集めて捕まった人もそんな感じだったような気がします。政治家も騙されてて「それくらい調べろよ(笑)」と酒のつまみにしてたのを覚えています(笑)
まぁ信用しきってしまったらどうしようもないんですけどね。日本人は特に外国語の識字率が低くて、海外のこと知らない人が多いので、そこに付け込んだ権威付けアピールは結構効果あるんじゃねって感じます(笑)。
・まとめ
フランスの若き青年が書いた「なぜ人は支配されるのか?」という問いに関する答えは極めて単純でありながら、本質をついているものだったと言えます。
本書は「支配」という部分に着目していますし、支配されないためにどうあるかについても語っています。
国だけでなく個人間においても通用する話だと思いますので自分が自由でいたいと思う人は一読しても良いのではないでしょうか。
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