「リバタリアンとは何か」江崎道朗/渡瀬裕也/倉山満/宮脇淳子(共著)
・2022年で最も刺激的な本かもしれない
新年が始まってまだ二か月ほどしか経過していませんが、本書はきっと今年の年末に振り返った時でも刺激的な一冊だったと断言できる内容であることは間違いありません。
日本の現実社会で意識されている政治思想は「保守」「リベラル」の二つだけのように感じますが、現代においてもはやその二つの区切りで政治を理解することは不可能です。
さらにその二つも言葉だけがふらふらと利用され、中身についてはろくに議論され精密化されることもありません。党派性だけを持ってレッテル張りの道具となっています。
こんな現代日本で利用される政治思想の文言の退廃具合に喝を入れ、これまでとは違う政治思想をわかりやすく、そして詳細に紹介している一冊が本書です。
・私の財産は私のものだ
本書は「リバタリアニズム」というアメリカで発展した政治思想について紹介した本です。「リバタリアニズム」はよく自由至上主義という風に訳されます。
ですが、本書ではリバタリアニズムを主張するリバタリアンは「自由」に重きを置いているというよりは「自身の財産=権利や所有物など」に重きを置いている集団であると紹介されます。
「自身の財産が自身のものである」というのは一見当たり前のように感じるかもしれません。
きっとそれは盗む主体が「人」という思い込みからくるものだと推測されます。
実は私たちは毎年、いや日常的に財産を盗まれているのです。
盗んでいるのは「人」ではなく「政府」です。政府は私たちの財産を税金という名目で盗んでいきます。政府は合法的に個人の財産を盗むことができる唯一の機関です。
リバタリアンはこの財産を合法的に盗み出す政府の活動を徹底的に批判します。
彼らは「自由を求めているから政府ダメ」というよりも「政府は税金という形で個人の財産を侵害するからダメ」ということを述べます。これは私の中のリバタリアンに対する誤解を払拭するものでした。
彼らがどういう政治思想・政治学者の理論の影響を受けているかというものは何となく他の本で知っていましたが、そこでは基本的には「自由」が中心とされていました。
ですが実際はただ自身の財産(自分の稼ぎ)を守りたいという一心で政府活動の縮小を求めているのです。これは今の日本では意識されていないことだと言えます。
・画一化か多様性か
政府は方針を決めて画一化してしまう点で選択肢がありません。特に教育の分野に感じることです。
今の義務教育は文部科学省が方針を決めた上での教育です。先生たちの教える内容には決まっていて、個性がまるでありません。
授業をおもしろく感じられない生徒はきっと先生が悪いと思うかもしれませんが、先生たちもまた自身のやりたいようにできないのが現状なのです。
教科書問題も今では保守業界の話題のように言われますが、元々は左翼の問題提起だったことはご存じでしょうか。家永三郎氏の歴史教科書事件とwikiで調べてもらえればいいと思います。
教科書につきましても、先生が教えやすいものを選択して授業を行えばいいわけですが、全て文科省を通さなければいけません。
先生によって違いが出れば各学校の個性によって生徒がどの学校に入りたいか自身で選択できるようになります。このような教育の多様性について考える示唆も本書で語られるリバタリアンは行っているのです。
政府活動が縮小化されると、個人がやりたいことが気兼ねなくできるようになります。
個人の個性が発揮され、多様性が社会に方々で提示されるのです。このような個性の発揮を阻害しているのは政府による画一化が理由です。表現の自由(財産)を侵害されているのです。
・盲従する時代から転換するためのバイブル
日本人は「お上信仰」と言われるように政府の方針に真面目に従ってきました。
現在のオミクロン株への対応も日本だけが国際社会で浮いた姿勢を取っています。国際社会は脱コロナ政策であるにも関わらず、日本だけはコロナで鎖国状態です。
補助金とはいうものの、無駄なコストを積極的に生み出しますし、政府が国民に渡した分は必ず税金として徴収されます。
気づけば国民負担率も過去最高となりました。
政府がお金をどれだけ使っても国民が豊かにならないことははっきりとわかっています。だからこそ日本人には「私の財産は私のものだ」と気づいてもらいたいと本書の著者の皆さんは感じています。
本書の中で日本人には「リバタリアンの素質がある」という節の内容がありますが、私もそう感じます。
真面目に政府に盲従するだけの愚かな時代から脱却するためのバイブルとして2022年早々に送り出された本書はその内容ゆえに、とても刺激的な一冊であることは間違いないのです。
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