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課程博士の生態図鑑 No.21 (2023年12月)

明けましておめでとうございます。

新年を迎えたということで、前回に引き続き1年の振り返り的な内容を書くことにする。

1年前に書いた振り返りを覗いてみると、このマガジンの名前を変えようか悩んでいる自分がいた。記事の中で自分は「課程博士の生態図鑑」という文字列に対して「誰がこれに惹かれるんだ」と嘆いていたが、もはや馴染みすぎて変えることを完全に忘れていた。

今改めてこの名前を眺めてみても、やっぱり魅力的ではない。1年前の自分の感覚は間違ってはいなかったようだ。しかも記事のタイトルは全て「課程博士の生態図鑑 No.◯(◯年◯月)」のフォーマットで、タイトルっぽいタイトルはサムネイルに書いている。これではスマホ版で訴求しづらいし、検索にも引っかかりにくい。

ただ、正直「多くの人に読んでほしい」という考えもあまり持っていない。元々は単なる記録として始めたものだ。これはこれでいいのかもしれない。と、言いつつ次回から変えてたりして。


1〜2月

この時期は、3月にポルトガルで開催される国際学会に向けて色々と準備をしていた。あんまり細かいことは覚えていないが、海外に行くのが初だったのもあり、プレゼンテーションの準備よりも、飛行機やホテルまでの道のりなど、旅程に関することを入念に準備した記憶がある。

あとは本格的に生成 AI を使い始めた時期でもある。確か Chat GPT や Stable Diffusion などのツールが一気に一般に普及して、SNS 上では兎にも角にも生成 AI の話でもちきりだった。非常に面白い時期であると同時に、不安を煽るような言説が過度に増えており、COVID-19 が流行り始めた時のような気持ち悪さがネット空間を覆っていた。この手の話題はもうだいぶ落ち着いてきた気がする。

あと、このマガジンのサムネの方針を大きく変えた。今までは全て同じ背景にタイトルをつけていたが、2023年からは内容に応じてサムネの背景をその都度選択していた。生成 AI で画像を生成したり、既存の芸術作品を Google Arts & Culture で探したり、結構面白かった。

3月

この月の上旬、神田外語学院という専門学校に非常勤講師として採用された。応募自体は1月か2月にしていたのだが、本格的な面接やデモ授業が3月にあり、その後採用されたのだ。きっかけは研究室の指導教官からの促しだった。神田外語学院はちょうど変革期で、新しい学科が2023年4月から設置されるのに伴い、グラフィックデザインに関する授業ができる教員を募集していたのだ。授業自体は4〜6月の2ヶ月間だった。来年度も引き続きやる予定。

そして3月末はポルトガルのリスボンに飛び立ち、Design Principles and Practices という国際学会に参加してきた。学会自体はちょっとした機材トラブルなどもあったが、そこそこ楽しく終えることができたと思う。何をしに行ったんだと思われるかもしれないが、個人的な本番は学会が終わった後の観光だった。当時書いた note を見返してみると、相当楽しんでいたことが読み取れる。とにかく街を歩いてるだけで楽しかった。飯もうまかったし。ただ、今後また国際学会に参加する機会があったとしても、当分はリモートでいいな。なんせ金が吹き飛ぶ。金が貯まったらまた行きたいな。

発表した場所
https://designprinciplesandpractices.com/

4〜6月

4月になると、非常勤講師としての仕事が始まる。授業名は「デザイン概論」。先述した通り授業は2ヶ月間の短期型の授業だった。と言ってもコマ数が少ないわけではなく、通常4ヶ月(1学期)で開講される量を2ヶ月にぎゅっと凝縮した感じなので、普通にしんどかった。多分学生にとっても。しかも僕にとっては初めての教員経験だったので、授業スライドも1から準備しなくてはならず、大学や他の仕事との両立もしなければならなかったので、結構バタバタしたな。

非常勤講師の募集に応募する前は、正直この仕事に対して気が乗らなかった。自分はまだ教える立場になれるほど、デザインの熟達者になれていないと思っていたからだ。だが、指導教官に「調子に乗るな。学生と一緒に学ぶんだろうが。」と軽く一喝され、妙に納得してしまったので受けてみることにしたのだ。結果的にはこの判断が自分の価値観を大きく変えることになった。

実に多様な子たちに囲まれて授業したおかげで、一人の人間とどう向き合うべきなのかをちゃんと考えさせられた。モチベがある子からもない子からも、いろんなことを教えてもらえた。おかげで新たな研究方法も思いつくことができたので、この授業自体を研究対象としてまとめた論文を現在仕上げている。

ちなみにこの経験がきっかけで、大学教員になって自分の研究室を持ってみたいという欲求が自分の中に生まれた。狭き門ではあるので、どうなるかわからないけど。

8月

この時期に、3月にポルトガルにて開催された国際学会で発表した研究を論文としてまとめ、同学会に提出した。内容自体は1年前くらいに実験したものをまとめているので、自分にとって新しいものではないものの、改めてまとめてみると、結構面白い。日本語のテキストを分析した内容も入っているのだが、それを英語で説明するのが少々難しかった。日本人にしかわからない感覚をどう伝えるべきか、結構苦労した記憶がある。

論文の査読結果は11月に返ってきており、修正ありの採択だった。現在は修正したものを再度提出し、その結果を待っている。欲を言えばもっと早いペースで査読プロセスを進めてほしいものだ。とにかく遅い。ここで文句を垂れても仕方ないのだけど、査読待ちの期間というのは結構ソワソワするものなので、ストレスが溜まる。

また、8月は3個下の後輩と勉強会のプロジェクトを立ち上げた時期でもある。プロジェクトと言うと大層なもののように聞こえるが、実際には約月1ペースで選定した本を読み、1時間程度ディスカッションするというもの。8月の note に詳しい内容は記載しているが、美のOSについて考えるというテーマのもと、いろんな本を読んでいる。まだ始めたばかりだが、民藝の本だったり、科学史の本だったり、結構幅広い視点から美について考えているのだが、これがまた非常に興味深い。

自分は一人でじっくり考えるのが好きなのだが、定期的に人と議論しながら思考をまとめないと、発散し続けてしまう。思考を人に見える形でアウトプットした瞬間、ある種型のようなものができてしまい、固定化される感覚に襲われるが、固定と解体をし続けないと思考が深まらない。この勉強会は誰に強制されているわけでもなく、個人的にやっているプロジェクトなのだが、自分にとってはかなり重要な営みになっている。

9月

学部時代の指導教官と共に研究プロジェクトを立ち上げた。こっちは勉強会と違い、ちゃんと厳密性が求められるやつ。詳細な説明は省くが、生成 AI とどのように関われば創造的なアイデアが出せるのかを研究している。n 数は結構あり、データ数も膨大になったので、これからどう調理していこうか、という感じの段階だ。もちろんアウトラインはあったが、データをとってみると、思ったより研究のボリュームが大きくなりそうなので、研究を2つの論文に分割して仕上げる予定。

蛇足だが、僕はデザインという研究領域の中で日々生活している。しかし、デザインを学術的にどう扱えばいいのか、正直まだよくわかっていない。なぜならデザインというのは身体的な営みであり、普遍的な一般法則を見出すのはかなり難しいからだ。量的に再現性を求めすぎても、それはそれでつまらないし、僕もそんな研究はそこまで好みではない。どちらかというと、新たな視点を創造するような研究が好きだ。

ただ、だからと言って統計的、科学的アプローチを捨て去るのはどうなんだろうなとも思っている。僕はまだ若いし、この段階で方向性を狭めてしまうのは勿体無い。なので、質的に解釈するような研究と、量的に解釈するような研究を同時並行でやっているのが理想だ。現在3つの研究を同時にやっている(内1つは査読中)のだが、それぞれ全然違うアプローチで研究に向き合っている。ある研究は統計に振り切っているもの、またある研究は質に振り切っているもの。これらを全て完璧に扱うのは相当難しいが、この体制をずっと続けていたい。

11月

11月8日、人生初の全身麻酔を経験した。顎変形症を治療する手術である。2年ほど前からそのための準備として歯の矯正治療をしていたのだが、遂に手術にまで至った。矯正治療自体は後1年ほど続くのだが、山場は超えた感じだ。

言ってしまえば整形施術(医療整形)なので、顔の形、特に顎周りが結構変わった。人生においてかなりレアな経験をしたのではないか。昨今、バーチャル空間でアバターを着用して生活するのが流行っているが、整形もある意味でアバターの着せ替えのようなものだと思う。ただし、バーチャル空間と違い、元の顔と同時に存在することはできず、上書きによる不可逆的なアバターなので、分人として併置させることはできない。

当たり前だが、顔が変わると周りからの見られ方も変わる。ネガティブな反応は無いので、別に嫌な気分にはならないが、結構面白い。現在はまだこの顔に慣れていない(自分も含めて)ので、新たな分人を生成している最中とも言えるが、いずれこの顔が普通の状態になるのだろう。

以前、顔と分人の関係性について記事を書いたことがあるが、まさか自分が当事者になるとは思いもしなかった。人生何があるかわからないものだ。

12月

特に大きなイベントはなかったが、キュビスムにハマった。国立西洋美術館で開催された「キュビスム展」に行ったことがきっかけだ。図録も併せて読むとさらに面白いと思う。

この展示会では、キュビスムの歴史を、セザンヌからコルビュジェに至るまでを辿りながら、作品と共に細かく解説していた。未来派との統合やピュリスムの登場、シュルレアリスム(ちなみにこれは次の勉強会のテーマ)との微かな繋がりなど、興味深いことが多かった。

特に、コルビュジェがモダニストへ至るまでの葛藤が読み取れて面白かった。もともとコルビュジェはキュビスムの画家だった(期間は短いが)。そもそもキュビスムは、遠近法的に人間に見えている世界を解体し、新たな世界の見え方を提案したものである。遠近法は神に従属していた人間の主体性を解放し、人間自身に見えている世界を忠実に再現しているものだ。当たり前だが、遠近法的に解釈すると、正円のお皿を斜めから見ると楕円になる。しかしキュビスムは、世界を記述するためには、正円を正円として書かなければならないのでは?と考えたのだ。だから多角的に風景や静物を切り取り、ある種コラージュのようにごちゃごちゃしたような絵になる。遠近法は人間の視点から世界を眺める営みだが、キュビスムはモノの視点から世界を眺める営みであり、真に自然を追求した活動なのかもしれない。

キュビスムは1907年ごろに生まれたもの(キュビスムという名前がついたのがこの頃なだけで、19世紀後期あたりから元となる活動は始まっていた)だが、1914年に開戦した第1次世界大戦での混乱を経て、より合理的、機械的に秩序立てられた表現への欲求が生まれてくる。対戦前から単純化されて整頓された幾何学的表現はキュビスムの中で(特にファン・グリスが代表的)取り組まれていたが、それが大戦での混乱を経てより注目されたのだろう。

そこでコルビュジェはこの流れに乗じ、従来のキュビスムを乗り越えるためのピュリスムを提唱する。キュビスムを「混乱した時代の混乱した芸術」と批判し、感覚よりも理性、想像力よりも普遍性と秩序を重視し、工業的な社会を礼賛する。しかし、コルビュジェはやがて機械と自然の対立を超え、自然の中に機械的な幾何学的法則を見出し、統合した。それが最終的なコルビュジェのピュリスムであり、モダニズムの基礎となっていく。

自然は一見複雑に見えるが、人間が理解できるレベルまで純化すると、規則的な世界が広がっている。彼に言わせると、キュビスムこそが自然を純化した表現方法であり、真理を追求する方法だったに違いない。先述したように、この純化や合理化への憧憬は、第一次世界大戦下での混乱と破壊からの反動が一役買っている。その中でコルビュジェは葛藤し、キュビスムを批判する姿勢から、キュビスムとピュリスムを統合する形に昇華した。やはり戦争は人の価値観をガラッと変える。ダダイスムなんかも大戦の反動から生まれた芸術だ。また、コルビュジェは第二次世界大戦後にも作風が少々変わっているので、そこも追ってみたい。(1959年に竣工された国立西洋美術館はサヴォア邸っぽいので、変わってないっちゃ変わってないのだが)

コルビュジェ以外にも、キュビスムの面白いところはたくさんある。まだ会期は終わっていないと思うので、詳しく知りたい人はぜひ足を運んで欲しい。キュビスムは大きく「セザンヌ的キュビスム」「分析的キュビスム」「総合的キュビスム」の3つのフェーズに分かれているのだが、個人的には総合的キュビスム(特にロベールドローネーのパリ市)の、複数要素の引用、そして分解、併置の手法はとても好みだ。思想的にはヴァージルに通ずるものがある。ヴァージルが元キュビストであるデュシャンに影響されているのは偶然なのだろうか。コルビュジェの存在によってキュビスムとモダニズムが密接に関わっていることがわかったので、ヴァージルがデュシャンやモダニズム建築から影響を受けていたことに納得できた。


さいごに

今考えてみると、今年1年の裏テーマは創造行為における「選択と生成の関係」だった。暇と退屈、キュレーション、アクターネットワーク理論、民藝、ヴァージル、構造主義、そしてキュビスム。実にいろんなことに触れてきたが、これらが「選択と生成」というキーワードをもとにかなり繋がってきた感覚がある。

今年はいよいよこれらのことを博論として仕上げるフェーズに突入する。計画していた実験はほぼ終わっているので、今まで学んできたことをどう博論に編み込むか、自分としても楽しみである。

というわけで、今年もよろしくお願いします。

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