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課程博士の生態図鑑 No.16 (2023年7月)


神田外語学院での経験

4月から神田外語学院にて、非常勤講師として働かせていただいていたのだが、6月中旬に自分が担当する授業が終了した。通常、1時間半の授業を15週間かけてじっくり行うのだが、僕が担当する「デザイン概論」は3時間の授業を8週間で行う短期集中型だった(最後の授業だけ1時間半)ので、なかなかハードだった。受講してくれた学生たちにとってもキツかったと思う。

今回の記事では、僕が神田外語学院で実施した授業の内容や、苦戦したことなどについてまとめてみる。

神田外語学院について

そもそも神田外語学院は、デザインの学校ではない。学校の名前から分かる通り、基本的には外国語について学ぶための場所だ。日本人だけでなく、中国人やベトナム人、フィリピン人など、多様な国籍の学生がここに通っている。

そんな学校で、2023年の4月からデジタルコミュニケーション科という新学科が設置された。外国語だけではなく、IT系のデジタルツールを扱うためのスキルも磨くためにできた学科らしい。「デザイン概論」はこの学科の設置に伴って計画された授業というわけだ。


授業内容

概要

「デザイン概論」という授業名だが、実際にはグラフィックデザインという限定された領域について教えることを要請された。事実、デザインを概論することなんて今の僕には難しいので、その方が助かった。

と言いつつも、デザインという広大な領域の中でグラフィックデザインがどう位置づけられるのか、情報デザインとの違いは何かなど、一応背景となる部分は1週目の授業で丁寧に説明することにした。ここの整理については、課程博士の生態図鑑 No.11&12 にて触れているので、気になる人はぜひ見てほしい。

目的

授業の目的は「ビジュアル(非言語)に関することを言語化できるようになること」と定義した。具体的には、チラシやポスターなどのグラフィックに対して、違和感を言葉にできるようになったり、さらには改善案まで提案できるようにすることがゴールである。どんなバランスが最適なのか、どんな色やフォントを使うとターゲットにメッセージが意図通りに伝わるのかなどを、丁寧に言語化しながらデザインに落とし込んでいくことで、「具体⇔抽象」を自由に行き来できるようになることが理想的であると、学生たちには伝えた。

他分野の人に「デザインに必要な能力は何か」と聞かれたら、僕はこの能力だと答える。もちろん、世の中には言語を介さずに、感覚的にものづくりをするデザイナーはいると思う。だけど、多くのデザイナーは言語と非言語、具体と抽象、論理と直感を頻繁に行き来していると思う。これを行わないと、ある状況において何が良いもので、何が悪いものか、自分の頭の中で整理することができない。言語と非言語を行き来できると、悪いデザインを避けながら、良いデザインを踏襲しつつ応用できるようになるだろう。

また、デザイナーは自分が生み出したものを、営業やエンジニア、経営陣など、様々な人たちに説明しなければならない。その際に、何も言語化できていないと相手を納得させることは難しい。言語でしっかり説明できると、建設的なフィードバックをもらえる機会も増える。

「なんかセンスいい感じで」なんて注文をされることが多いくらい、デザインはあまり理解されてない領域だ。もちろん、この授業を受講する学生たちも、最初はそんなイメージを持っていた人が少なくなかった。まずはこのイメージを払拭させるためにも、授業の目的はかなり念入りに意識させることにした。

課題

8週間の中で、学生たちには3つの課題に取り組んでもらった。課題は全て Canva というグラフィックデザインツールを使用している。

出題した課題の概要

「第1課題」

第1課題では、見た目を整える技術を学んでもらうことにした。この課題に取り掛かる前に、まずは下準備として「直感的に自分が好きだと思った(あるいは嫌いだと思った)グラフィックを集めてきてください」と学生に指示を出した。ここでいうグラフィックは、チラシやポスター、名刺など、ある程度の情報量があるものを指している。

そして講義の時間では、グラフィックデザインの原則や手法などを簡単に説明した後、自身が集めてきたグラフィックに対して分析を行うよう指示をした。学生たちにはチェックシートを配布し、分析を行いやすいような工夫をしている。この課題だけでなく、全ての課題で自分の頭を整理するためのワークシートを用意している。

配布したワークシートの一例

自分が集めてきたグラフィックを分析することで、自分にとってどんなものに対して美しさを感じ、どんなものが美しく感じないのか、つまり好き嫌いを言語化できるようになる。

校内や電車の中にあるポスター、街にある看板、スマホの中のあらゆる情報など、普段ぼんやり見ているものが、言語とともにくっきりと浮かび上がってくる。そんな体験を最初にして欲しかった。その後、僕がグチャグチャに要素を配置した名刺やチラシなどを用意し、それを学生に修正してもらった。ここまでが第1課題である。

「第2課題」

第2課題では、TED で配信されている「Can design save newspapers ?」というタイトルの動画を視聴し、それを新聞としてまとめてもらった。TED を活用した理由は、この学校に様々な国籍の学生が所属しているからである。TED であれば自分の最も得意な言語や、学びたい言語を字幕として表示することができるので好都合だ。

また、選定した動画は「デザインは新聞を救うことができるか?」というテーマを扱っているので、その内容を新聞として整理するというメタな構造になっている。さらに、新聞は特定の人間を想定しないマスコミュニケーションメディアなので、ターゲット設定をする必要がなく、ただ自分の伝えたい内容を整理すれば良い(本当はそんな単純じゃないけど)ので、難易度的にもちょうどいい。

第1課題にて見た目を整える作法を学んでもらったので、今度は情報をまとめる作法を教えるという流れだ。まず、動画の内容を200文字バージョンと400文字バージョンで要約してもらった。そうすることで、自分にとってどんな情報が重要なのかを整理することができる。このやり方は、僕の指導教官が実際に授業で実施していたものだ。情報を整理したあとは、第1課題の要領で Canva で新聞として見た目を整えてもらった。ここまでが第2課題の内容。

「第3課題」

最後の第3課題では、学生自身が所属するデジタルコミュニケーション科の魅力を伝えるためのチラシ制作をやってもらった。この課題は今までの集大成的な位置付けで、ターゲット設定から情報整理、見た目を整える作業まで、全てをやってもらった。本来であればもっと多くのことをやる必要があるが、デザインを専門とする学校ではないため、大体の流れを体験してもらう方針にした。

といってもやることは多く、他の授業も多く抱える中、約2週間でチラシを完成させなければならない。ここで Chat GPT を導入することにした。実は第2課題の時から任意で使用可にしていたのだが、第3課題では Chat GPT の使用を必須とし、その他 AI ツールの併用も任意で使用可能とした。ターゲット設定や情報整理などの際、ディスカッションパートナーとして AI ツールを使いこなしてもらうことを想定していた。Chat GPT の存在を初めて知る学生が意外と多く、そもそも AI ツールを使用したことがない人がほとんどだったので、僕のできる範囲で AI に関する講義を行ったり、使用事例を共有したりして、作業に取り掛かってもらった。

ここまでが課題のざっくりとした内容である。

授業を終えて

初めての教員経験としては、まぁ上出来だったと思う。個人的に AI の導入はかなり良かった気がする。

学生には毎週授業の振り返りや感想を書いてもらったり、Chat GPT の会話ログも任意で提出してもらっていたのだが、それを見る限りけっこう好感触だった。8週間という短い時間の中で教えられることは少なかったが、AI が授業時間外のメンターになってくれていたらしい。もっといろんな AI ツールを教育に導入してみたいと思った。

個人的に大変だと思ったことは、3つくらいある。まず1つ目は、授業準備の過酷さだ。先ほども言ったように、僕は自分の授業を持つのが初めてなので、なんの蓄積もないわけだ。なので、授業スライドや課題などをゼロから作らなければならない。まぁ、大学教員をしている先輩の授業を参考にしたり、自分が過去に作成したコンテンツを流用したりと、全てをゼロから用意したわけではないのだが。でも、普段は大学院で研究をしていたり、デザイナーとしての仕事などもしているので、全部をうまいことこなすには正直骨が折れた。だが、今回踏ん張ったおかげで、来年の授業はいくらか楽になるだろう。

2つ目は、多様な国籍の学生に対する対応方法だ。僕が受け持ったクラスには、3分の1くらい外国の方がいた。基本的な日本語は上手だし、特訓のために授業は日本語で行うよう学科担任の先生から要請されていたのでその通りにしたのだが、専門的なことを教えるとなると、なかなか伝えるのが難しい場面が多々あった。それに、僕は滑舌がそこまで良いほうではなく、声も低いので、素の感じで喋ると日本語ネイティブの子以外は聞き取りにくいのではないかと思ったので、声のトーンを少し上げ、砕けた日本語は極力用いず、ハキハキと話すことにした。これが意外と難しい。普段と違うトーンで長時間話すのも疲れる上に、丁寧に話しすぎて「あれ、この敬語合ってるっけ?」という状態に陥る。

3つ目は、デザインを学びにきてない学生に対して、どうやって興味を持ってもらうか、ということについてだ。たぶんこれが一番難しかったのではないかと思う。改めて言うが、この学校の生徒はデザインではなく、外国語をメインに学びに来ている。なので、デザインとは何かを丁寧に説明したところで何の意味もないのだ。

だから第1回目の授業では、デザインとは何かという講義を僕なりの視点で簡単に行なった後、自分のキャリアイメージとどう繋がるのかをディスカッションしてもらった。まだキャリアイメージが湧いていない人は、過去自分が経験してきた日常生活の中で、「デザインをこうやって活かせたかもしれない」とか「これがデザインという営みだったのかもしれない」という解釈を行うことも良しとした。つまり、自分の人生の中で、デザインがどのように関わっているのかを考える時間を設けたということだ。そうすることで、少しはデザインという未知の分野に興味を持ってもらえたのではないかと思う。

しかし、これだけではまだちょっと不十分だった。「デザインにはセンスが必要だが、自分にはセンスがない」という固定観念を持った学生が多く存在したのだ。僕の教え方が悪かったのかもしれないが、第1回目の授業を終え、2回、3回と、本格的にグラフィックデザインの授業を開始してからも、その思い込みはなかなか拭えなかった。

なので、第4回目の授業では思い切って「センスとは何か」や「バイアスとは何か」という講義を入れてみることにした。個人的にこの2つはかなり関係が深い気がしたからだ。詳細の説明はここでは控えるが、授業では2つの語に関する辞書的な定義に加え、水野学の「センスは知識からはじまる」や佐渡島庸平の「観察力の鍛え方」などの書籍を引用しながら、センスとバイアスについて簡単に伝えてみた。

センスというのは「物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き」であり、それは知識の集積によって磨かれていくものである。つまり、生まれ持ったものではないということだ。いろんなものをインプットしながら、王道や流行、あるいは自分の好き嫌いの共通項を探し、それを言語化していく過程でセンスというもは磨かれていく。そして何より、自分が興味なさそうなことに対しても、一旦知識を得ようとする姿勢になってみることが最も重要であると僕は考えている。なぜなら、人は自分が見たいものしか見ないからだ。

ここからバイアスの話になってくる(実際の授業では、こんなに滑らかに説明してないけど)。バイアスというのは「人の思考や行動に偏りが生じることならびにその要因」であり、簡単に言うと思い込みや偏見のことだ。

僕たちは、目で観察しているのではない。脳で観察している。脳の中で何を見ようか先に決めていて、脳が見たいものを追認するような形で見ているだけだ。最近の脳科学では、視覚情報は認知のために10%ほどしか使われていないという研究もあるらしい。

観察力の鍛え方

おそらくこれは、自由エネルギー原理を参照しているんだと思う。

僕はこの分野に関して門外漢なので、細かい部分までは理解できていないが、僕なりに説明してみる。

自由エネルギー原理というのは「人間(生物)の脳は、世界の予測難易度を最小化するために、自らの経験から形作られた予測モデルを最適化し続けている」というものだ。脳は新しい驚きに出会ったときに、次から同じ刺激に対してできるだけ驚かないように予測モデルを更新しているらしい。これがバイアスの正体なのだろう。予測モデルとは、仮説のことであり、思考の偏りだと捉えることができる。

例えば、家から学校までの通学路を、ウトウトしながらでもほぼ無意識に歩けるのは、脳が今までの経験から通学路の予測モデルを先に作り上げてるからである。工事中の道とか、ボールが転がってきたとか、新しい情報が目に飛び込んできた時だけ意識的になる。バイアスという言葉はネガティブな文脈で用いられることが多いが、バイアスが無いと毎日道順を覚えなきゃいけず、脳がパンクしてしまうので、必ずしも悪いものではない。

また、バイアスにはネガティビティバイアスというものがある。これは、油断しているとすぐネガティブになってしまう思考の癖のことだ。

哲学者アランが『幸福論』で指摘した「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」という有名な言葉は、人間とはネガティビティバイアスに影響されている状態が一般的で、悲観を抑え、楽観的に思考するには意志の力が必要だということを簡潔に説明している。

観察力の鍛え方

「これは苦手だな」「自信がない」「自分にはセンスがない」とかは、ほとんどの場合思い込みで、そう思っていた方が楽だからネガティブになるんだと思う。これを自由エネルギー原理に当てはめて解釈すると、「挑戦やそれに伴う失敗という大きな驚きを最小化するために自分を低く見積り、失敗しても絶望しない保険をかける。あるいはそもそも挑戦しない方向に思考を向ける」という感じだろうか。

このようなバイアスは完全に排除することはできないが、何が事実で、何が思い込みなのかを日頃から意識したり、自分と他者でどう見え方が違うのかを考えたりするのが効果的だろう。自分にバイアスが存在していることを意識するだけでもいい。

学生にはこんなに小難しく説明はしなかったが、自分にどんなバイアスがあるのかをしっかりと理解する姿勢を整えるように強く促した。そうすることで、自分には縁がないと思っていたデザインという分野に対して「ちょっとチャレンジしてみようかな」という思考になってもらえたと思う。実際にこの週の講義の評判はかなり良かったし、積極的に課題に向きある学生が増えた印象を持った。また、第1回目ではなく、第4回目の授業でセンスとバイアスというトピックを扱ったのも良かったかもしれない。もし初っ端からこの講義をしても、ただポカーンとなってしまうだけだっただろう。苦しい経験をした後にこそ、この講義が学生に刺さった気がする。

以上が神田での取り組みに関する報告だ。備忘録として残したつもりだが、誰かの助けになれば幸いである。


研究の進捗

論文を提出したよ

7月の上旬に、Conference on Design Principles & Practices という海外の学会に論文を提出した。今年の3月にポルトガルで発表してきたものを、論文としてまとめ直したものだ。現在は査読待ち状態である。

不思議なもので、査読待ちの時が一番研究が進む。手を動かしてないとソワソワしてしまう。なので理想としては、常に査読待ちの状態が作れるくらいのペースで論文を書き続けていたいところだ。

現在執筆中の論文

現在は、先ほど紹介した神田外語学院での一連の取り組みを、論文としてまとめている最中だ。具体的には、「アクターネットワーク理論(以下 ANT)」を取り入れつつ、学生や教員、AI などのツール、教材など、様々な要素をアクターとして捉えながら、それらがどう相互作用し、ネットワークを形成しているのかを考察する論文だ。

アクターネットワーク理論(ANT)は、わたしたちが生きる世界を、「社会」と「自然」という二分法を取り払い、あくまでもフラットな観点から記述することで、人間だけではなく、人間以外の多種多様な存在(そこには、人工物から動植物、さらには抽象的な概念などに至るあらゆるものが含まれる)が果たしている役割を正当に評価することを目指す立場である。

アクターネットワーク理論入門―「モノ」であふれる世界の記述法

つまり ANT というのは、「人間/非人間に関わらず、全てのものをアクターとして捉える認識方法のこと」という感じだろうか。「物を者として捉える」と表現してもわかりやすいかもしれない。

この理論自体の詳しい内容については今後取り上げることにするが、このアプローチは今僕が抱えている創造性研究に対するモヤモヤを少しだけ解消してくれる気がしている。というのも、今まで執筆した論文では、自己と他者との関わりが創造性に与える影響について扱っていたのだが、本当にそこの関係性を追うだけで創造性の輪郭は見えてくるのだろうか?と疑問に思っていた。

改めて言うが、ANT では人間/非人間に関わらず、様々な要素をアクターとして捉え、それらが互いに影響し合いながらネットワークが形成されていく過程を観察する手法である。なのでこのアプローチを採用すれば、創造行為という複雑な現象の解像度が前よりも鮮明になるのではないかと思ったのだ。神田外語学院の授業では AI も導入しているので、ANT 的な見方をしないと客観的に人間と道具の相互作用をとらえることが難しい。

デザイン学会に提出しようと考えているが、おそらくこの論文は良くて報告程度にしかならないだろう。しかし、自分の考えを整理するためにも、トライしてみたい。

これから取り掛かる研究

神田外語学院での取り組みに関する研究に加え、学部生の頃の指導教官と新たな研究テーマを練っている。具体的な実験方法についてはこれからどんどん詰めていく予定だが、AI との関わり方が主観的な創造性、あるいは客観的な創造行為にどのような変化を与えるかについて研究する。この文章だけ見ると先ほどの研究と似ているように見えるが、もっと量に変換できるアプローチを採用し、n 数もしっかり確保するような研究になりそうだ。詳細はまだ話せないが、かなり面白くなりそう。


いつもは記事の最後に「面白いと思った記事や事例など」について書いていますが、今回はもう書くのに疲れたので、おやすみします。

ではまた来月。

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