課程博士の生態図鑑 No.11 & 12 (2023年2~3月)
2月はかなり忙しかったのもあり、今回はいつもと違って2ヶ月分まとめて日記にまとめることにする。(本当は書くのサボってただけ)
人類学者が語るバーチャル空間
英語のリスニング勉強を楽しくやるために、自分が興味あるトピックを扱っていて、且つトランスクリプトが用意されているポッドキャストを探していたところ、ちょうどいい番組が見つかった。
Google のデザイナーである Liam Spradlin がホストを務めるポッドキャスト番組で、いろんなゲストを迎えながら多角的な視点からデザインを扱う番組だ。その中のエピソードで、人類学者の Tom Boellstorff という方をゲストに迎えた回が面白かった。
Tom は長年の間インドネシアで、ゲイやレズビアンのアイデンティティの変化に関する問題について研究していたらしい。しかし、ある時から人類学の知見を活かして、バーチャル空間における人間の振る舞いについて研究を始めたという。
最近バーチャル空間関連のことに興味があるので、非常に興味深いエピソードである。
その中で、こんな発言があった。
何を言ってるのかさっぱりわからない。特に「映画や本が本当に面白いのに、そこで一緒に話すことができないからです。しかし、今、私たちは話しています」という部分。ちょっと意訳すると、映画や本という媒体の中で一緒に会話をすることはできないが、仮想空間上では話すことができる。ということだろうか。
言ってることの意味がわからないというより、どういう意図でこの発言をしたのかがわからない。当たり前のことを言ってるように見えるが、なんか面白い内容な気はする。
そんな気持ちを抱えつつも一旦この文章から距離を置いていたのだが、あることがきっかけで須永剛司の「デザインの知恵」という本を読み直していた時に、この人類学者の言っていることと繋がる瞬間が訪れた。
須永剛司はこの本の中で、情報デザインとその他領域の違いについて説明している部分があったのだが、これが中々面白い。
この図の、特にグラフィックデザインと情報デザインの違いが興味深い。彼曰く、グラフィックデザインが扱う活動は「知ること」だけ。人間が世界を「知る」ということ、つまり、ポスターや雑誌などの媒体を通じて、見ること、読むこと、などを支援している。人工物から人間への一方通行の力関係と捉えることができるかもしれない。
一方情報デザインは、「知ること」に加え「行うこと」や「居ること」などの活動も扱う。主にコンピュータという媒体?を主戦場とする情報デザインは、人間に情報を与えることで「知る」という活動を支援しているだけではなく、計算をしたり、絵を描いたり、文章を書いたり、「行うこと」を支援している。はたまた、それらのアウトプットを他者と交換するための「情報の居場所」をデザインすることで「居ること」も支援するのが情報デザインなのだという。人工物から人間へ、人間から人工物への双方向の力関係が感じられる。
ここで先ほどのポッドキャストの内容に戻ってみる。Tom が言っていたのは、これと同じことなのではないか。つまり、本や映画などの媒体は情報を与えるだけで、「知ること」しか支援できない一方通行の力関係でしかないのだが、バーチャル空間(ちなみに彼のバーチャル空間の定義は割と広義)では「行うこと」や「居ること」なども活動も支援することができ、双方向の力関係が存在するということ。
合ってるかわからないが、一旦そんな解釈をしてみた。人によっては「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれないが、僕にとっては結構面白い気づきだった。こんな感じで、全然違う分野の情報が接続される瞬間って面白いですよね。
4月から学校の先生になります
とてもいきなりだが、4月から神田外語学院という専門学校の先生になることになった。厳密に言うと、4月中旬から6月中旬にかけて行われる「デザイン概論」という短期集中型の授業を、非常勤講師として担当することになった。
きっかけは僕の先輩からの紹介だった。今年度から「デジタルコミュニケーション科」という新学科の設置に伴い、デザインのことについて教えることができる先生を募集しているのだという。
興味本位で応募してみることにした。流れに身を任せた側面も大きいが、コミュニケーションを専門分野として扱う学校でデザインを教えるのは面白い経験になると思った。
応募するにあたって、面接に加えて30分間のデモ授業をしなければならなかったので、授業内容を早急に考える必要があった。
「デザイン概論」という壮大な名称の授業だが、あちらが求めてるのは平面構成的なレイアウト、色の使い方、フォントの選定方法など、表面的でテクニカルな内容なようだった。もちろん専門学校なので、社会に出てすぐに役に立つようなスキルを教えるという方針なのは理解できるが、僕自身そう言う話は得意ではないし、そもそも好きじゃない。
だからグラフィックデザインのことを中心に教えつつも、デザインというフィールド全体の中でグラフィックデザインが持つ役割や限界など、そういった背景を下敷きにして授業を構成してみたいと思った。大学でもなかなかそんな内容は扱ってくれなかった(僕が授業寝てただけかも)し、壮大なテーマなので難しいことはわかっている。
そこで須永剛司の本を参照してみることにしたのだ。先ほど書いた、「あることがきっかけで「デザインの知恵」を読んだ」というのはこのことだ。彼がまとめていた「デザインの領域ごとの違い」から着想を得て、「デザイン」「情報デザイン」「グラフィックデザイン」の3つの違いを図化してみた。
まず一番大きな概念として「デザイン」というものがあり、「知る」「行う」「居る」「食べる」など、人間の様々な行為を対象にすることができる(レイヤーがバラバラだな…)。そしてその中に「情報デザイン」と「グラフィックデザイン」があるが、これについては先ほど説明したので省くことにする。
異論はかなりあるだろうが、デザインを学んだことなくて、且つデザイナーを目指していない人に教えるにはこれくらいが適当だろう。こんな話を15分くらいした後に、簡単なワークをやってデモ授業は終了した。
以下にスライドのフルバージョンを載せておく。
結果はご存知の通り採用。約2週間後に、20人ほどの生徒を持つことになる。
デザイン学会に論文が掲載されたよ
去年の12月に採択された論文がようやく掲載された。原著ではなく報告として採択されたので、ちょっと悔しさはあるが、掲載されたことに対しては素直に喜んでおくことにする。今やっている研究と方向性は同じだが、ディティールを詰めきれていないことに気付かされるだけなので、あまりもう読まないようにしている。
今は国際学会で発表した内容をフルペーパーとしてまとめている最中なので、早く仕上げて採択を勝ち取りたいと思っているところだ。共著者の方への感謝は忘れず、ただ手を動かす。
ポルトガルで開催された国際学会で発表してきた
3/29~3/31にかけてポルトガルのリスボンで開催された「Conference on Design Principles & Practices」という国際学会で発表をするために、約1週間ほど日本を離れた。ちなみにこのチャプターはイスタンブール(帰りの便の乗り継ぎ場)で書いている。
自分にとっては初の海外で、且つ一人で行くことになったので、行く前はかなり不安だったが、いざ行ってみるとなぜか緊張は一度もしなかった。ひたすら刺激的で楽しかったという印象。
自分の発表は1日目の午前中だったので、すぐに終わった。多少の機材トラブルなどに見舞われたり、質疑応答の時にイタリア人の英語が全く聞き取れなかったりなど色々あったが、なんとか冷静に乗り切った。そのあとは他の方の発表を聞いて周り、なかなか刺激的で面白い研究にいくつか出会うことができた。しかし、まだ英語がそこまで得意ではないので、発音が独特だったり、全く違う研究テーマを扱っていてボキャブラリーを共有できていなかったりすると、その人の発表が全然理解できなかった。この辺りを克服できていなかったのは相当勿体無い。
発表資料を添付しておく。
ポルトガル滞在中は基本的に大きな問題は発生しなかった。強いて言えばUberのドライバーとうまく合流できず、電話にてポルトガル語でブチギレられた挙句にキャンセルされたことくらいだろうか。個人的に一番困ったのは時差ボケだろうな。普段日本にいる時は起きる時間と寝る時間を結構ガチガチに守っていたので、柔軟な睡眠ができない。ポルトガルに来てからは夕方に寝て深夜に起きるという生活リズムを繰り返していた。
学会での発表に支障はなかったのだが、学会の1日目に自分の発表が終わり、次の日になると一時的に動けなくなってしまうくらい体調を崩してしまった。測ってないけど、たぶん38度くらい熱があったと思う。時差ボケが原因なのかはわからない。自覚してないだけで、慣れない環境に対して結構なストレスを感じていたのかもしれない。そんなこんなで学会の2日目と3日目は参加できずにホテルでじっとしていることにした。学会が終わった次の日は一日中観光する予定だったので、そのための予定をゆっくりと立てつつ回復に努める。
万全ではないが、観光すると決めていた日には動けるようになっていた。学会にあまり参加できなかったのは残念だったが、切り替えてリスボンという街を堪能することにした。僕が巡った場所を全て紹介したいところだが、かいつまんで紹介することにする。
リスボン工科大学(Instituto Politécnico de Lisboa)
発表を行ったリスボン工科大学。キャンパスが広すぎてめちゃくちゃ疲れた。リスボンは基本的に坂が死ぬほど多い街なのだが、キャンパス内も例に漏れず坂だらけ。
コメルシオ広場(Praça do Comércio)
リスボンの南に位置する歴史的な広場。ここはかつてポルトガルの経済発展や国際貿易の中心地として栄え、多くの商業活動が行われていましたとのこと。「コメルシオ」は貿易という意味らしい。
ここに観光案内所があるので、この広場から観光をスタートさせる人も多そう。実際僕もここから観光をスタートした。
サンタ・ジュスタのリフト(Elevador de Santa Justa)
リスボン有数の観光名所で、1902年に建設された鉄製のエレベーター。リスボンは坂が多い街であることは先ほど触れたとおりだが、このリフトを使えば坂上にある街の続きまで楽に登れる。といっても、観光客の行列ができているため、そんな気軽に使用できるものでもない。実際リフト上にあるカルモ考古博物館に行こうと思っていたのだが、時間がなくて断念。
LXファクトリー(LxFactory)
かつての工場や倉庫がクリエイティブなスペースに生まれ変わったエリアらしい。ここに一番行ってみたかった。ファッションや食べ物、アートなど、様々な分野の人が集まって店をやったり、ライブをしたりしている。
MAAT
イギリスの建築家アマンダ・レヴィットが設計した美術館。全体として波のような造形をしている。街側からこの建物を眺めたとき、対岸の丘や川と馴染んで見えたが、川側から眺めたとき、リスボンの建物たちとあまりにかけ離れた造形に違和感を感じた。いや、リスボン全体を広く見た時に、起伏が多い街であるので、もう少し引きで見れば馴染んで見えたのかもしれない。
この建物は屋上に行けるのだが、波打っているので非常に疲れる。リスボンの街を歩いている時の感覚に近いのかもしれない。思えばリスボンは波のような街だった。
その他
もう少しゆっくり思考していたい
最後に、最近の悩みというかモヤモヤを書いて終わりにしようと思う。今年に入ってから、AI関連の新技術が毎日、毎時間登場するようになった。このスピード感は異常だ。一応技術の動向だけは把握しておきたいので、TwitterでAI系エバンジェリスト的な人たちを何人かフォローして情報収集しているが、正直かなり疲弊する。
Twitterで情報収集しているのが原因だと思うが「この技術によってこの職種が無くなる!」とか「AIがあるからもう人間は必要ない!」とか、結論ありきの二元論でしか物を語れない人たちしかTwitterにはいないのではないかと思えてくる。そうじゃない人ももちろんいると思うが、声が大きくてわかりやすい内容の投稿がバズるので、それが僕の目に入りやすいだけかもしれない。そもそもあの程度の文字の制約の中に思考のプロセスを緻密に載せるのは不可能に近く、単純化された結論だけが流布するのは仕方がない。スピーディに情報が上から下へ流れていってしまうので、対話のためのインターフェイスとしても全く機能しない。一時期Twitterを辞めていたこともあったが、また距離を置くことも検討している。まぁそんなことはどうでもいいのだが。
何が言いたいのかというと、もう少しゆっくりと思考したいということだ。人間の思考スピードが技術の進化にとうとう追いつかなくなってるなと感じている。僕の頭の回転が遅いだけかもしれないけど、人間と道具の関係はもっとゆっくり、長期的に考えていきたい。もちろんAIは積極的に自分の生活に取り入れていきたいと思っているので、いろんなツールを試してみる。今日使い始めたツールが明日には淘汰されるかもしれない。そんな不安感を抱えながら道具と向き合うのは非常に辛い。いや、実際のところ本当に淘汰されてもおかしくないスピードで新サービスが登場しているのだけど。
ディスカッション相手は Chat GPT、ラフな検索は Bing(多用はしてないけど)、論文検索は Perplexity か Elicit、非言語的なインスピレーションを得るのには Stable Diffusion。
という具合に一旦は落ち着いている。だけど1ヶ月後には淘汰されてるかもしれない。なんというか、そんな感じの姿勢で道具と関わりたくない。だから最新技術に振り回されるのは一旦やめようと思う。研究をする者としては褒められた姿勢ではないが、本当のところ新技術にあまり興味がないのだ。技術と人間の間には興味があるのだが、このスピード感で情報を浴びてると、どのみち表層的な部分しか考えることができない。だから一旦距離を置く。もちろん概略だけはなんとなく掴んでおくが。
食べ物を丸呑みしてばっかりだと満腹感が得られずに太るので、ちゃんと咀嚼をして味わうことが重要だと思います。
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