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どうしてうつ病になったのか 後編


こんにちは。
どうやら先週の日曜日に食べた焼き鳥で食中毒になったようで、今日まで点滴をしながら過ごしていました。もともと胃腸が生まれつき弱いので、つらいしんどい以外の言葉が見つかりませんでした。身も心もボロボロとはこのこと!な1週間でした…しばらく鶏肉食べたくない…(うそ)

今日はようやくこのうつ病に至った経緯についての最終回。
前回の記事はこちら。

今回こそ後編!笑
今日は就活、アルバイト、友人と恋人のことをすべてまとめて話します。


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【2018年7月〜今日に至るまで】

旅行から帰ってきた7月中旬。

恋人に別れを告げられました。
理由は友だちのままがいいのではないか、ということでした。

ついこの間まで一緒にいたのにとか、わたしは恋人として楽しいと思ってるのに、と頭を駆け巡る思いはなくなることがなく、毎日のようにそのことを彼や友達に吐き出しては「でも、受け入れなきゃ」と言い聞かせる毎日でした。

わたしが悲しみに暮れていても、世の中は変わらずに回っている。
つらいことがあったって普通に仕事をするのが大人だから

しんどいって話しつづけたらしつこいって思われてしまうだろうから
失恋なんて大したことないってみんな思ってるだろうからと、とにかく自分が本当に感じている「好きな人にフラれてしんどいよ、苦しいよ、寂しいよ」という思いを殺すことが自分を進ませると信じていました。

本当だったらバイトだって授業だってやらなきゃいけないことだってすべて休みたかった。悲しさに浸りたかった。けれど大人はみんな言う。

「若いうちはいろいろなことがあるから。」
「苦労は買ってでもしておけ。」
「大人になったらこんなもんかって思えるよ。」
一番はこれ。
そんなままだと社会人になってやってけないよ?

そっか。大人はどんな悲しいことがあったって、苦しいことがあったってやらなきゃいけないことをやって、自分の追いかけたい夢に向かって進んでいかなきゃいけないんだ。わたしはこんなことで立ち止まっちゃいけないんだ。
でも1週間くらい失恋したときに気づきました。

あれ、わたしの追いかけたい夢ってなんだっけ。

これから何をモチベーションに生きていくんだっけ。

なんのためにアルバイトしているんだっけ。

こういうときにそばにいてくれた友だちは遠くの地でがんばっているのに。

わたしは、なにをしているんだろう。

……………

わたしはもともと、夢や目標、目的を持ったらそこに向かって進むタイプの人間です。目の前のことをコツコツやるというよりかは、目標から逆算して、小さなハードルを超えていくというようなバックキャスト思考。

ところが、一番身近だった目標や目的の「海外旅行に行く」という目標は終わってしまい、長年心に留めていた「エンタメ業界に行く」という夢はあきらめてしまっていたこの頃のわたしにとって、恋愛以外のことに目を向けるといったこともできなくなっていたのです。7月下旬には過呼吸の頻度も増えるようになっていました。

こうして気持ちの行き場がどこにも向けられなくなってしまったわたしは、「目の前にあるやらなければいけないこと」である卒論を書くことはおろか、アルバイトにも集中できなくなりました。やがてそんな自分に劣等感を持ち始め、次第に人が多い狭い空間であるゼミやアルバイト先でさらにパニック(過呼吸)を起こすようになってしまいました。

………

もうこの孤独を感じるパニックの場である宇都宮からは離れよう。
そうしたら何か変わるかもしれない。
そう思って実家と気仙沼に1ヶ月帰ってみました。
たくさん愛を感じられる場所がそこにはありました。

でも、わたしの心の底に生まれた思いは変わりませんでした。

もう、生きたくない。なにも幸せと感じられない。生産性のない自分なんて生きている価値はなにもない。そんなわたしが「幸せになりたい」だとか、「楽しいことをしたい」だなんて、なんてわがままな人間なんだ。

死にたい。

でも死んだら家族や友だちは傷ついてしまうかもしれない。

それなら

消えたい。

生まれたことすらなくなってしまえば、悲しむ人は誰もいない。

このまま眠り続ければ闇の中に消えられる。消えてしまえ。

そんなことばかり考えていたわたしに心療内科の先生は言いました。

「おかさんの話をたくさん聞かせてもらって、そして診断テストも受けていただいておもったことなのですが、おかさんはうつ病だと思われます。」

………

2018.10.28(Sun) おかぴ

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