日の名残り第56話1

「なぜ人は《雨が降る=悲しい》と決めつけるのか?(Here's That Rainy Day)」~『夜想曲集』#2~カズオ・イシグロ徹底解剖・第56話


まさか小説の三行目までの解説で、こんなに回を重ねるとは思ってもみなかったね…

ホンマやな。

出だしの3行で、もう6回も書いとる。

しかし、よくもまあ毎回毎回、驚愕の新事実が飛び出してくるよな…

前回もホントに驚かされた…

仕方ないですよ…

カズオ・イシグロが「ややこしい」伏線を張り巡らすから…

第3の曲『ヒアズ・ザット・レイニー・デイ』も、これまでの曲に負けないくらいの「ややこしさ」だぜ。

いや、ひょっとしたら、最も「ややこしい歌」かもしれないな…

マジで!?

さっそく聴いてもらうことにしよう。

歌ってくれるのは、アレッサンドラ・ジオルコウスキーだ。

《Here's That Rainy Day》
by Alessandra Ziolkowski

この歌と言えばフランク・シナトラだろ。

《Here's That Rainy Day》
by Frank Sinatra

ジュディ・ガーランド版も捨てがたい。

《Here's That Rainy Day》
by Judy Garland

誰でもええわ!

しかしこれのどこが「ややこしい」ねん?

「あたし知らなかったんです。彼氏にフラれると、雨にも降られるなんて…」って言っとるだけやんけ。

なんで宇能鴻一郎風なんだよ。

何か引っ掛かったことはない?

引っ掛かったこと?

「ファニー」を連発することくらいかな…

それは自分への「嘲笑」だろう。

友人の言うことを真面目に聞いていなかった自分への。

そんな単純なハナシではないんですよ…

まあ、歌詞を見てみましょう…


『Here's That Rainy Day』

written by Johnny Burke
日本語訳:おかえもん

1番
Maybe I should have saved
Those left over dreams
Funny, but here’s that rainy day
Here’s that rainy day they told me about
And I laughed at the thought
That it might turn out this way

夢は全部叶えずにとっておくべきだったわね
笑っちゃう、ホントに雨が降るなんて
みんなが言ってた通りになったわ
私、そんなこと有り得ないって笑ったんだけど
今まさに目の前で現実になっちゃった

2番
Where is that worn-out wish
That I threw aside
After it brought my lover near?
Funny how love becomes a cold rainy day
Funny that rainy day is here

くたびれ切った「願い」は何処?
あの人が叶えてくれた後
どこに置き忘れてしまったのかしら?
笑っちゃう
愛を願ってたら、冷たい雨が降るなんて
笑っちゃう
ホントに雨が降るなんて


ほれ、見てみい。

「男にフラれて、雨にも降られて、悲しすぎる私」っちゅうだけの歌やんけ。

うむ…

この歌詞はシンプル過ぎて、疑いようがないよな…

だから素人は困る。

なぬ!?

歌詞のどこに

「私、悲しい」

なんて書いてある?

へ?

いったい歌詞のどこに

「雨が降って残念」

なんて書いてあるのだ?

え…?

それは…

この歌は「雨が降って嬉しい」って歌なんだ。

「忘れかけていた《願望》が満たされた!」って歌なんだよ。

ええ~~~!?

つまり、こういうことだ。

「私」から「去っていった男」は、出会った頃は良かったけど、結局は「私」を満足させてくれなかった…

それをずっと見ていた女友達は「そのうち素敵な男が現れるって」と「私」のことを励ましていたが、「私」は「そんなこと有り得ない。私もう不感症だし」と笑っていた…

しかしある時、皆が言う通り「私」の前に「素敵な男」が現れたのだ。

長年連れ添った相手と別れたばかりの「私」は、世間体もあるので喜びをストレートに出すことは憚られる。

嬉しいのに悲しんでいる振りをしなければいけないから「funny」を連発したのだな…

ホントかよ~!?

ホントだよ。

現代人は「雨=アンハッピー」と決めつけるけど、昔は逆だったんだ。

「雨=ハッピー」だったんだよね。

名曲『Come Rain or Come Shine』も、そうだったでしょ?

ああ、そうだった!

アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの初共演作『Christine(恋ひとすじに)』でも、そんなシーンがあったよね!

デートの帰り際に雨が降って来て「早く帰ろう」と急ぐアラン・ドロンに対し、ロミーがこう言うんだ…

「初デートで雨が降ると、そのカップルは永遠に愛し合うことになるのよ」

ちなみに、この『Here's That Rainy Day』という歌が書かれたのは、1953年のこと。

1920年代から60年代にかけてのアメリカでは、キリスト教ムーブメント「Latter Rain(後の雨)」運動が社会現象になっていた。

『降っても晴れても』の回で説明したよな?

2000年前にイエスが地上に現れたのが「前の雨」で、最後の審判の前にメシアとして再降臨することが「後の雨」だった。

度重なる戦争や、共産主義や無神論者への脅威、そして急激な社会変化などに対し、人々が不安になっていた時代だ。だから「後の雨」運動は、宗派を超えた一大ムーブメントになった。出自やステータスで細分化されたアメリカ社会を、一つにまとめ上げる運動でもあったのだな。

だからこの当時、多くの「雨ソング」が作られた。雨を待望する歌だ。

《The Latter Rain》Negleatha Johnson

アメリカ初のノーベル文学賞作家シンクレア・ルイスの小説を映画化した『エルマー・ガントリー』も「後の雨」運動の映画やったな。

人々がカリスマ説教師に引き寄せられていくんや。

《ELMER GANTRY》(1960)

だが本当に『Here's That Rainy Day』の歌詞は、さっきナカヂが話した「シチュエーション」なのか?

信じ難いというか、かなり不謹慎な内容だったが…

確かに不謹慎かもしれませんね…

しかも実は「去っていった男」は、「私」と「素敵な男」の目の前にいるんですよ。

「去っていった男」の目の前で、「私」が「素敵な男」に歌っているんです…

ハァ!?目の前で?

あの歌は「葬式の最中の歌」なんですよ…

亡くなった旦那さんの棺の前で、喪主の未亡人によって歌われているものなんです…

えええええ!?

わけワカメ!

だから「ややこしい歌」だと言っただろう。

旦那の葬式の最中なのに「素敵な出会い」をしてしまったから、ストレートに喜びを出せず、あんな遠回しな表現になっているのだ。

しかも本当は旦那さんは死んでいない…

棺桶の中で死んだフリをしてるだけなんだ…

「私」はそれを利用して「悲劇の未亡人」になりきり、「淋しいアピール」をして「素敵な男」にモーションをかける…

それが『Here's That Rainy Day』という歌なんだよね。

なんだよその落語みたいな設定!

うちらを担ごうったってムダだぞ!

嘘じゃないって…

この歌は、ブロードウェイミュージカル『Carnival in Flanders(フランダースの謝肉祭)』の「そういう場面」のために作られた歌なんだ。

謝肉祭の「肉」が何を意味してるかは、もう説明しなくてもいいよな?

旗が女もののズロースになってるし、男が色っぽいネーチャンの手を引っ張っているのを見れば、わかるだろう。

嘘や嘘や!

だいいちそんなミュージカル聞いたことあらへん!

1953年に上演されたんだけど、わずか6回で打ち切られたんだ。

だから日本では全く知られていない…

だけど、劇中で『Here's That Rainy Day』を歌った主演のドロレス・グレイは、なんとトニー賞で最優秀主演女優賞を獲得したんだよ。

Dolores Gray

ろ、6回で打ち切られたのに主演女優賞!?

なんだそれ!?

「いわくつき」の作品なんだよ…

出たな!おかえもんの大好物「いわくつき」!

このミュージカルの原作となったフランス映画『La kermesse heróica』も、多くの国で「上映禁止」になったんだ…

1935年にフランスをはじめ世界中で公開されたんだけど、物語の舞台となったベルギーで上映反対運動が起き、4年後には、ヨーロッパの全域で上映が禁じられた…

1935年の4年後…

だけど公開当時、映画は大ヒットして、世界中で大絶賛されたんだよ。

フランスでは「フランス・シネマ大賞」を受賞し、イタリアのベネチア国際映画祭では監督のジャック・フェデーが監督賞を受賞した。

そしてアメリカでは「ニューヨーク映画批評家協会賞」の外国語映画賞を受賞したんだ。

アカデミー外国語映画賞は取れへんかったんか?

まだこの頃はアカデミー賞に外国語映画部門は無かったんだ。1956年から始まるんだよね。

だからアメリカで外国の映画に対する賞は「ニューヨーク映画批評家協会賞」が最も権威のある賞だった。

日本ではどうだったの?

日本でも『女だけの都』という邦題で1936年に公開され、大ヒットしたよ。

キネマ旬報の外国映画ベストテンで年間第1位にも輝いた。

キネ旬で1位取るっちゅうたら、泣く子も黙る名作映画やんけ!

そうだよ。

ちなみにこれがその年の外国映画部門の順位。

1)女だけの都(ジャック・フェデー監督)
2)我等の仲間(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)
3)どん底(ジャン・ルノワール監督)
4)孔雀夫人(ウィリアム・ワイラー監督)
5)明日は来らず(レオ・マッケリー監督)
6)禁男の家(ジャック・ドゥヴァル監督)
7)大地(シドニー・フランクリン監督)
8)巨人ゴーレム(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)
9)暗黒街の弾痕(フリッツ・ラング監督)
10)激怒(フリッツ・ラング監督)

す、すごい…

ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワール、ウィリアム・ワイラー、フリッツ・ラングといった錚々たる巨匠たちの名作を抑えて1位を取ったのか…

そんなに世界中で評価されたのに、なんで上映禁止になったのさ?

さらにミュージカル版もトニー賞取るくらいなのに6回で打ち切りだし…

いったいどゆこと?

まずは映画のトレーラーを見てもらおうか。

上映禁止になった「いわくつき」の映画なんで、イマイチいい動画がYouTube上になかったんだけど、まあ雰囲気は伝わると思う…

《La kermesse heróica》(1935)

ずいぶんと威勢のいいネエチャンやな。

あれが例の「偽装未亡人」か?

そうだよ。

監督ジャック・フェデーの妻でもあったフランソワーズ・ロゼーだ。

Françoise Rosay(1891-1974)

人は見かけで判断してはいけないのは百も承知だが、さっきのドロレス・グレイといい、このフランソワーズ・ロゼーといい、やっぱり『Here's That Rainy Day』の「私」は、おかえもんの言う通りの女なのかもしれない…

少なくとも、失恋したぐらいで「おセンチな歌」を歌って感傷に浸るタイプではないな…

ねえねえ、どんなストーリーなの?

舞台は1616年、ベルギー・フランドル地方の町ブーム。「フランダースの犬」で有名な地方だね。

町では春の到来を祝う謝肉祭(カーニバル)の準備に追われていた。

そこに早馬に乗った伝令兵がやって来て、こう告げる。

「今夜、オリバーレス公とスペイン軍がこの町に泊ることになったぞ!」

誰やねん?

当時フランドル地方を治めていたスペイン人の領主だよ。

江戸時代に長崎の出島で日本と通商を行っていたオランダ王国は、スペイン・ハプスブルク家との戦いに敗れ、この映画で描かれている時代は、現在のベルギーのあたりをスペインに支配されていた。

そのせいで、それまで経済の中心だったアントワープから大量のユグノーやユダヤ人が北部へ逃げ、アムステルダムが急速に発展したんだよな。

この伝令の話を聞いた市長と町の有力者たちは恐れ慄いた。

なぜなら、かつてスペイン軍がフランドル地方を占領した時に、スペイン兵によって町の富は奪われ、女という女が凌辱されたという恐ろしい過去があったから…

うわあ…

そこで町の男たちは考えた。

市長に死んでもらって「葬式中で喪に服している」ということにし、オリバーレス公とスペイン軍にお引き取り願おうという作戦だ。

ええ!?

もちろんホントに市長を殺すわけじゃなくて、死んだふりをしてもらって「偽の葬式」をやるわけだけどね。

ああ、なるほど…

だけど女たちは納得しなかった。

特に市長の妻コルネリアは、そんな情けないことを言う夫に呆れ、町の女たちを集めて、自分たちは男どもと別行動を取ろうと演説をしたんだ。

そして女たちだけで「女だらけの謝肉祭」を開催し、スペイン兵をたっぷり接待して、大満足で帰ってもらおうと決めたんだよ…

おっぱいポロリとかありそうな勢いやな(笑)

ポロリどころの騒ぎではない。

なぬ!?

実はここがコメディというかブラックユーモアになっていて…

かつてスペイン兵に女たちを「凌辱された」と思っているのは、男たちだけなんだ…

肝心の女たちは、そうじゃなかったんだよね…

へ?

女たちは「あの時」のことが忘れられなかったんだよ…

スペイン兵とのワイルドな一夜が…

そんな~~~!

だからミュージカル版の『Carnival in Flanders(フランダースの謝肉祭)』では、スペイン兵がやって来ると聞いた女たちによって、『The Sudden Thrill』という歌や『The Stronger Sex』なんて歌まで歌われるんだ。

そのまんまやんけ!

もっとオブラートに包まんか、アメリカ人!

さて、町の女たちは、揃いの喪服姿で色っぽくスペイン兵を出迎えた。

オリバーレス公とスペイン兵はビックリ仰天だ。

「おいおい、これは何のプレイかね?」ってね。

マジかよ~(笑)

そしてひとりひとりの女と兵士が腕を組んで町へ入城する。

ビビって家に閉じこもっていた男たちは、もう目が点だよね。

ここから女たちによる「謝肉祭」が始まる。文字通りの謝肉祭だ。

オリバーレス公は、未亡人コルネリアのことが気になり、故人を弔問したいと言い出す。そして二人で棺の前に向かった。

死んだふりをしていた市長はビックリだよね。まさか公が弔問に来るなんて思ってもみなかったから…

そしてあのシーンになるのか…

公は市長の棺の前で「夫が亡くなったというのに悲しそうに見えないな」とコルネリアに言う。

コルネリアは「だってせいせいしましたから」と、つい本音をポロリと出してしまう…

ええ!?

そんなことまでポロリ!?

それを聞いた市長は、驚いて音を立ててしまう。

だけど公もコルネリアもすっかり「いいムード」になってきてるので、そんなことにはお構いなしだ。

公も気付いているのだよな、この茶番劇を。

そして、男たちの茶番劇を、女たちが利用していることも…

「なるほど、そういうことか」と、公は膝を打つ。

男と女のラブゲームだね!

かなり女が一方的に優勢な!

ミュージカル版で『Here's That Rainy Day』が歌われるのは、きっとこの場面だね。リストでは『You're dead』という曲の次が『Here's That Rainy Day』になっているから。

市長が音を立てたので未亡人コルネリアは「あなたは死んでるのよ。静かにして」という意味で『You're dead』を歌う。あるいは、その場にいた神父がね。

そしてコルネリアは『Here's That Rainy Day』を公に向かって歌う。棺桶の中の夫にも聞こえるように。

ここでの「雨」とは「恵の雨」だ。

つまらない夫との生活ですっかり乾き切っていた「女としての自分」に、やっと「雨」が降ったと、ね。

てことは、2番の歌詞にあった「何処かに置き忘れたままの《worn-out wish(すっかり古ぼけてしまった願い)》」とは…

そう、「女の喜び・欲望」のことなんだ。

なんちゅう歌や…

そんな意味やったんか…

まさかあの「しっとり」としたジャズのスタンダードナンバーが、こんなシチュエーションのために作られた歌だったとは驚きだよね…

『Come Rain or Come Shine』が「白人支配者の血でも、黒人奴隷の血でも…」って意味だと知った時もビックリしたけど、こっちも相当ヤバい歌だね…

昔の「雨系」の歌は、こういうのが多い。

さて、公とコルネリアは二人で町の様子を見に夜の散歩に出かける。

女たちはそれぞれ兵士とカップリングして「夜の謝肉祭」の最中だ。

すると雷の音がして、雨が降って来る。

コルネリアは雷鳴を怖がる振りをして公に抱きつく…

そして二人は雨宿りに…

ベタすぎ(笑)

翌朝、女たちの部屋から満足げなスペイン兵が続々と出てくる。

コルネリアは家の窓からオリバーレス公に手を振って、別れを惜しむ。その後ろでは「生き返った」市長が、ひとりヤキモキしていた。

昨夜の妻と公の「その後」が気になって仕方なかったんだね。

そしてコルネリアは、広場に集まった人々にこう告げる。

「皆さん昨夜はご苦労様でした!オリバーレス公は感謝のしるしに、この町に一年間の租税免除をくださいました!」

町は大歓声に沸く。

そんなことまで引き出したのか、コルネリアは!

どんな技を使ったんだ!?

そして夫を隣に引っ張り出して、こう締め括る。

「これもみな、市長の機転のお陰です!」

大歓声に包まれた市長は、まんざらでもなさそうに笑顔を見せる。

女たちも男たちも喜びの声をあげ、町は幸せに包まれる…

へ?

つまり、市長が「死んでくれて」男たちが喪に服したお陰で、女たちはスペイン兵と情熱的な一夜を過ごすことができた。

濃厚な接待を受けたスペイン兵は、すっかり大人しくなり、そのお陰で町は守られた。

女たちにとっては一石二鳥だったんだけど、男たちはそうとは気付いてない。

大歓声を浴びた市長も、すっかり舞い上がってしまい、自分の手柄だと勘違いしたわけだね。

笑えるな。

まさか女房の「ファインプレー」があったとは知らずに…

まさに「知らぬは亭主ばかりなり」や。

これが世界各地の映画賞を総舐めしたわけか…

しかしなぜ御当地ベルギーで上映反対運動が起きたんだ?

1935年当時、まだ人々に第一次世界大戦の記憶が生々しく残っていたからですよ…

大戦中、ベルギーはドイツに占領されました。

一般市民にもかかわらず男たちは「ゲリラの疑い」で虐殺され、女たちは凌辱されたんです。

その記憶が鮮明に残っているから「市民が侵略者を《夜の接待》でもてなす」という設定に嫌悪感を示す人が続出したんでしょう。

しかも…

しかも?

この映画は「ドイツ資本」だったんだ…

へ?

ドイツの映画会社が、フランスの子会社を通じて作らせた映画だったんだよ…

もちろん当時のドイツは、ヒットラー率いるナチスが政権を握っていた。そして映画は全て宣伝相のゲッベルスの管理下にあった。

だから、こんな映画を作らせたんだろうね。

人々が、寛大な征服者に感謝するという映画を…

・・・・・

ドイツでは『賢い女たち』というタイトルで公開された。

いわば「支配される者、かくあるべし」って感じだったんだろうな。

そして1939年、ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。

『フランダースの謝肉祭』は洒落にならない映画となってしまい、各地で上映禁止になった…

ああ…

そして1953年、突如ブロードウェイでミュージカル化される。

だけどわずか6回の公演で打ち切られた。

おそらく「内容」がまだ洒落にならなかったんだろうね…

その後も再演されたという話は聞かないけど…

だが、トニー賞を受賞するくらい、作品自体はいい出来だった。

その中でも『Here's That Rainy Day』は、いい歌だったんだよな。

シナトラは、この歌を物語から分離させたら、最高のトーチソング(失恋歌)になるって気付いたんだ。

そして歌ってみたら、本当に大ヒットした。

そして今でも愛されるジャズのスタンダードナンバーになったというわけだ。

へえ~!

そうだったのか!

まったくイシグロは、しれ~っとトンデモナイ歌をぶっこんで来るよね。

油断も隙もあったもんじゃない。

じゃあ、今まで話したこの歌のバックボーンが、この短編集の中で何らかの形で展開されていくってことなのかな?

きっとそうだろうね。

今まで出してきた歌のように…

さて、「冒頭の4曲」で残るはあと1曲、『イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド』だな。

また濃い~話が聞けそうだ…


――つづく――



『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳


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