シン・日曜美術館『ボッカチオのデカメロン』ⅩⅨ
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1989年5月某日(日曜)
深読み探偵学校
燃料は燃料でも、磔刑の最後に火をつけるための「藁」です…
つまり「藁の街」とは「処刑場」のこと…
え?
そもそもダンテが地獄・煉獄・天国巡りをしたのは、西暦1300年の聖金曜日のこと…
つまり、イエス・キリストが十字架刑になった日の出来事なのですよ…
あっ…
本来なら山根や芹沢の肩書をシジェーリと同じく「元パリ大学教授」にしたかったところでしょうが、さすがにあの時代では有り得ない設定…
だから日本の傀儡政権下の北京大学にしたのでしょう。
ドイツの傀儡ヴィシー政権下にあったパリ大学と立場がよく似ていますから。
なぜ『ゴジラ』の原作者 香山滋は、そんなところにこだわったんだろう?
Kayama Shigeru(1904-1975)
香山が「シジェーリ」に強い親近感を抱いたからでしょうね。
強い親近感? なぜ?
シジェーリが教えていたパリ=ソルボンヌ大学のある地域カルチエ・ラタンは、ラテン語が公用語だった…
つまりシジェーリも、ラテン語風に「Sigerus」と呼ばれていたのです…
シゲルス…
香山の名前「シゲル」みたいだ…
だから香山は『神曲』天国篇 太陽天を『ゴジラ』に落とし込むにあたり、自分を芹沢博士に重ねたと?
おそらく芹沢は、元々は古生物学を志していたはず。
古生物学の権威 山根博士の愛弟子という設定ですからね。
そういえば、香山も少年時代は古生物学者に憧れていたと聞いたことがあります…
ドイツで学び日本に恐竜を紹介した横山又次郎の『前世界史』に衝撃を受け、珍しい石や化石に夢中になり、独学で地質学や古生物学を勉強したと…
その通り。
しかし大学では現実的な進路を選び、香山は公務員として就職しました…
そして公務員として働く傍ら、同人誌に参加して短歌や詩を書くようになり、退職後に作家活動を本格化させるのです…
少年時代は珍しい石や化石に夢中になり、大学では現実路線を選び公務員として就職し、退職後に作家活動を本格化させた…
うーん。どっかで聞いたことあるような経歴だな。
お、岡江君!
賢治だよ!宮澤賢治!
Miyazawa Kenji(1896-1933)
あっ… そうだ…
芹沢が古生物学から薬物化学、ケミカルの世界に転身したのも、これで頷けますね。
宮沢賢治も、そうでしたから。
確かに賢治も、「既存のもの」を調べるだけの古生物学や地質学より、「未知なるもの」を探究する科学者・化学者に憧れるようになっていった…
盛岡高等農林学校の農芸化学科に進み、のちに『ケミカルガーデン』という絵も描いてまいます…
もしかして、考古学者山根博士と薬物化学者芹沢博士がかつて在籍していた「北京大学」って、賢治が学んだ「盛岡高等農林学校」つまり現在の「岩手大学」のことなのかもしれないな…
岩手大学が、なぜ北京大学に?
だって岩手は奥州藤原氏の時代、京都の朝廷から大幅な統治権を与えられ、半独立国「藤原公国」みたいなものだった。
その都 平泉は、法華思想に基づいて地上に浄土を再現した都市で、「北の京」と呼ばれていたんだよ。
なかなか面白い深読みですね…
おそらく香山滋は、自分と賢治の共通点にも気付いていたはず…
賢治の作品の中に、ダンテ『神曲』の影響が数多く見られることにも…
ダンテにとってのベアトリーチェは、賢治にとってのトシでしたね…
『春と修羅』は、宮沢賢治版「俺の神曲」…
つまり香山は、『春と修羅』の「第四梯形」の元ネタが、『神曲 天国篇』第四天「太陽天」であることに気付いていたと?
もちろん気付いていたでしょう。
そうでなければ、こんな作品は生まれませんから。
どういうことでしょうか?
『ゴジラ』とは、第五福竜丸の被爆事件と原水爆問題を、SF怪獣映画として描いた作品…
そのベースには、ダンテの『神曲』と、『神曲』に影響された宮沢賢治の『春と修羅』があります…
クリス君、『春と修羅』の『第四梯形』の冒頭は、どのように始まっていましたか?
はい。『第四梯形』はこんな書き出しです。
青い抱擁衝動や
明るい雨の中のみたされない唇が
きれいにそらに溶けてゆく
日本の九月の気圏です
「青い抱擁衝動」や「満たされない唇」が「きれいに空に溶けてゆく」って、どういう意味だろう?
『ルパン三世カリオストロの城』のラストシーンだな…
思い切り抱きしめて口づけしたいけど、それは決して越えてはならない一線…
君は何でも宮崎駿に結び付け過ぎる。今はゴジラと宮沢賢治の話だぞ。
すまん。つい…
だけど賢治の言う「青い抱擁衝動」と「カリオストロの城」のラストシーンは…
あながち無関係とも言えないかも…
え?
ルパンにとってクラリスは、幼い頃から知る「妹」みたいな存在…
泥棒稼業という修羅の道をゆく自分とは違う、汚れなき存在…
それにクラリスは「新聞沙汰」にもなっていた…
これはクラリスと伯爵の結婚式のために、外国から要人が続々と到着していることを告げる新聞記事の切り抜き…
そういえば『ゴジラ』にも、似たような新聞記事が映っていたな…
賢治の妹トシも16歳の時、音楽教師との恋愛沙汰が地元紙の岩手民報に掲載され、人々の注目の的になってしまったことがある…
これに対して賢治は、激しく怒りを覚えた…
自分の中で純真無垢な存在であるトシが、汚されてしまったと…
そうなの? それじゃあ、つまり…
賢治の「青い抱擁衝動」というのは、抱きしめたいけどそれが出来ない妹トシへの想いってこと?
そういえば『ゴジラ』の芹沢も「青い抱擁衝動」を感じていたな…
芹沢は恵美子を愛していたが、恵美子は芹沢を「兄のような存在」と言っていた…
だから恵美子を抱きしめたくても、それが出来なかった…
そもそも『春と修羅』の「修羅」とは、最愛の肉親である娘を汚されたことに怒り狂い鬼神となった神アスラのこと…
賢治は、愛する者のために怒りに燃えた自分自身を、修羅に喩えているのですね…
つまり「春」とは、妹トシのこと…
その通りです。
狂おしいほど愛しているのに、決して結ばれることのない肉親…
『2001年宇宙の旅』で人工知能HALが歌っていた『Daisy Bell』みたいなものですね…
この「デイジー・ベル」って、実在の女性なのですか?
「DAISY BELL」とは喩え、「永遠の純真無垢」という意味です。
イギリスでは「Bellis perennis(ヒナギク)」通称「Daisy」のことを、「Mary's Rose」つまり「聖母マリアのバラ」と呼びます。
最愛の女性ベアトリーチェを理想視し、死後もその幻影を追いかけていたダンテが見た「天空の白いバラ」みたいだ…
『至高天』ギュスターブ・ドレ
純真無垢な存在への狂おしいまでの愛情…
そうだった…
賢治もダンテと同じように、最愛の人トシを「白い花」や「薔薇」に喩えていた…
え?
『第四梯形』は全13篇からなる「風景とオルゴール」の1篇…
そして「風景とオルゴール」は、全5篇からなる「オホーツク挽歌」を踏まえたもの…
風景と折り鶴?
オリヅールではない!オルゴールだ!
そして『第四梯形』が含まれる「風景とオルゴール」の前に書かれたのが「オホーツク挽歌」!
幻想的というかオカルトめいたというか、ほとんどSFのような5つの詩で構成されている!
幻想的?オカルト?ほとんどSF?
賢治は、この年の8月初旬に北海道・樺太旅行に出掛けるのだが、その道中、亡き妹トシのことを想い続けていた…
霊魂になったトシと「交信」を試み、その幻影を見、存在を感じていたんだ…
そして、この現象がどういう意味を持つのか、その理由を考えていた…
それって、かなりヤバいよね…
トシを愛するあまり賢治は、とてつもない妄想に取り憑かれてしまったってこと?
まあ、妄想といえば妄想かもしれないが、賢治の中では「生」の世界、つまり「肉体の世界」と、死後の世界である「霊体の世界」は、断絶したものではなく重なり合っているんだ。
だから賢治はトシと「交信」できると信じていた。自分にとって菩薩にも等しい存在であるトシは、仏のように時空を超越してこの宇宙に常在するはずだから。
「オホーツク挽歌」の第一歌『青森挽歌』で、賢治はこう言っている。
あいつはその中にまつ青になつて立ち
立つてゐるともよろめいてゐるともわからず
頬に手をあててゆめそのもののやうに立ち
(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが
いつたいほんたうのことだらうか
わたくしといふものがこんなものをみることが
いつたいありうることだらうか
そしてほんたうにみてゐるのだ)
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない
ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち
あらたにどんなからだを得
どんな感官をかんじただらう
なんべんこれをかんがへたことか
自分とは違う次元にいるトシがどうなっているのか、気になってしょうがなかったんだね…
まさに『神曲』を書いたダンテと同じだ…
だけど賢治は、次の「風景とオルゴール」で、トシに執着している自分を戒めるの…
「風景とオルゴール」第三歌『宗教風の恋』では、小さなことに囚われている自分の不甲斐なさに対し、怒りを込めてこう書いている…
どうしておまへはそんな医される筈のないかなしみを
わざとあかるいそらからとるか
いまはもうさうしてゐるときでない
けれども悪いとかいゝとか云ふのではない
あんまりおまへがひどからうとおもふので
みかねてわたしはいつてゐるのだ
さあなみだをふいてきちんとたて
もうそんな宗教風の恋をしてはいけない
「いまはもうさうしてゐるときでない」は…
「今はもう、そうしている時でない」とも…
「今は妄想している時でない」とも読めますね…
だけどなぜ賢治は急変したんだろう?
8月初旬の樺太旅行では、トシのことで頭がいっぱいだったのに…
どうしてその想いを打ち消すようなことを?
世界が急変したからですよ。
このとき日本は国難を迎えていたのです。
国難?
全壊した建物が約10万9000棟、全焼が約21万2000棟…
190万人が被災、10万5000人あまりが死亡あるいは行方不明になったと推定…
帝都東京が破壊され焼き尽くされて、大勢の人々が亡くなり、運よく生き延びた人の多くも死ぬか生きるかの瀬戸際にあったのに…
トシがどうしたとか言ってる場合ではないでしょう…
東京 神田 日本橋(1923年9月)
何ですか、この風景は…
まるで原爆投下後の広島・長崎か、東京大空襲の直後みたいじゃないですか…
岡江君、これは原爆でも大空襲でもない…
賢治が「オホーツク挽歌」を書き終え、「風景とオルゴール」を書き始めた直後…
東京は未曾有の大災害「関東大震災」に襲われたんだ…
つづく
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