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シン・日曜美術館『深読み 夏目漱石の坊っちゃん』⑬


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1989年5月某日(日曜)午後
藪蔦屋 りうていの間


クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

~♬

おかえもん 17歳 浴衣

ゴキゲンだな、クリス君。

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

そうさ。僕は気づいてしまった。

おかえもん 17歳 浴衣

気付いたって、何を?

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

君が「うなずいていた」と言っていた、あのマドンナの目だよ。

おかえもん 17歳 浴衣

えっ?あの掛け軸のマドンナの目のカラクリに気付いたってこと?

奥原晴湖 梅窓佳人図 マドンナ せいこ

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

あれは、僕たちを見ているんだ。

おかえもん 17歳 浴衣

それじゃあ、やっぱり『ルパン三世 カリオストロの城』みたいに…

誰かが向こう側から僕たちを…

ルパン三世カリオストロの城 絵 不二子 1

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

そうじゃない。

「誰かが僕らを監視している」と思うから気味が悪くなり、漱石や坊っちゃんのように精神を病んでしまうんだ。

発想を転換して「誰かが僕らを見守っている」と思えばいいだけのこと。

おかえもん 17歳 浴衣

見守ってるって誰が? 守護天使か?

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

御先祖様や大好きだったおばあちゃんかもしれないし、父や母かもしれない。

おかえもん 17歳 浴衣

父や母って…

僕と違って君の御両親は健在だろう?

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

ああ。しかし僕の両親は、ここ東京から遠く離れた異国の地にいる。

親というのは、常に我が子を心配するもの…

どんなときも我が子を見守っていたいという強い想いが、海を渡って時空を超えて、あんなふうに絵や書棚の中に宿るのだ。

おかえもん 17歳 浴衣

まあ、確かに親の愛というのはそういうものだろうけど…

君の親の生霊にずっと見られてると思うと、それはそれで落ち着かないな…

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

君の親かもしれないぞ。

遠い遠い世界へ行ってしまった、君の父親…

おかえもん 17歳 浴衣

まさか…

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

生きているのか死んでいるのかなんて、そんなことはどうでもいい…

たとえこの世にいないとしても、親というものは、愛する我が子の成長する過程を、ずっと見守りたいと強く願うものなんだ…

何気ない日々の一瞬さえも、記憶に焼き付けておきたいと…

おかえもん 17歳 浴衣

なるほどね…

たとえ遠くにいようとも、僕の毎日を、一瞬一瞬を、見守ってくれている…

そう思えば、たとえ壁に掛かった絵の中の目が動いたり、書棚から物が落ちたりしても、気にはならない…

クリス君 ノーラン 浴衣 ギター

そういうことだ。心持が楽になっただろう?

おかえもん 17歳 浴衣

うん。ありがとうクリス君。

それじゃあ『坊っちゃん』第二章を見ていこうか。

クリス君 ノーラン 浴衣

よしきた。

新橋から東海道線に乗り込んだ坊っちゃんは、一瞬で「四国辺の城下町」に着く。

おかえもん 17歳 浴衣

これは意外だったな。

クリス君 ノーラン 浴衣

なぜだ?

おかえもん 17歳 浴衣

てっきり僕は、坊っちゃんの鉄道の旅が「珍道中」みたいに描かれているかと思ってた。

東海道を西へ進み、さらに山陽道を広島県まで…

他の乗客と仲良くなったり、車内でスリに遭ったり、車窓から各地の名所を眺めたり…

クリス君 ノーラン 浴衣

ははーん。

それはモンキーパンチのアニメ『坊っちゃん』の影響だな。

おかえもん 17歳 浴衣

そうそう!これこれ!

ルパンが「うらなり」で、銭形警部が「山嵐」の!

クリス君 ノーラン 浴衣

それを言うなら、山田康雄が「うらなり」で納谷悟朗が「山嵐」、だろ?

確かにこのアニメ版『坊っちゃん』では、オープニング曲のバックで東京から広島県尾道までの「珍道中」が描かれている。

夏目漱石の原作を読まずにこれを見ると、そういうストーリーだと思うかもしれないな。

おかえもん 17歳 浴衣

だけどそうじゃなかった。

新橋駅のホームで見送る清(きよ)さんが小さくなったと思ったら、もうその次の一文で瀬戸内海を渡り切り「四国辺の城下町」へ着いている。

ぶうと云って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。

クリス君 ノーラン 浴衣

「ぶう」はいいな。

なんとも間の抜けた田舎っぽいテイストが醸し出されている。

第二章のアタマに、いきなり汽笛の音を持ってくるとは、さすが漱石だ。

おかえもん 17歳 浴衣

そういえば第一章のアタマは「無鉄砲」だった。

汽笛は合図、つまり空砲みたいなものだから、なんだか通じるものがある。

クリス君 ノーラン 浴衣

ふうむ。確かにそうだな。

そして「ぶう」の後すぐに「赤ふんどし」の船頭が出て来て、さっそく坊っちゃんは「赤ふん」と呼ぶ。

おかえもん 17歳 浴衣

全裸に赤ふんどし…

この「赤ふん船頭」は、後に出て来る「赤シャツ教頭」の予兆だろうか。

クリス君 ノーラン 浴衣

坊っちゃんは、赤ふん船頭の姿を見て「野蛮な所だ」と感じるが、「もっともこの熱さでは着物はきられまい」とも思う。

このあたりの海は「日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ」状態だった。

おかえもん 17歳 浴衣

「野蛮」は酷いよね。自分だって子供の頃は「野蛮」そのものだったくせに。

第一章の冒頭では、二階から飛び降りたり、ナイフで手を切り裂いていたぞ。

クリス君 ノーラン 浴衣

そういえば、あのナイフも眩しいくらい光るナイフだったな。

いろいろと共通点がある。

そして坊っちゃんは、これから上陸する港の小さな集落を赴任先の町だと勘違いし、こんな感想を述べた。

見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。

おかえもん 17歳 浴衣

「大森ぐらいな漁村」って、ずいぶんマニアックな喩えだよね。

東京に住んでても「大森」と言われて咄嗟にイメージがわかないのに…

せいぜい「蒲田の隣」とか「羽田の手前」くらいだ。

当時の人はイメージ出来たのかな?

クリス君 ノーラン 浴衣

おいおい。「大森」は有名だぞ。

君はここの風呂にあった「東京の温泉の歴史」というパネルを見なかったのか?

おかえもん 17歳 浴衣

そういえばクリス君、脱衣場で壁に貼ってある何かをずっと眺めていたね。

あれがそうだったの?

クリス君 ノーラン 浴衣

「東京の温泉の歴史」には、こう書いてあった。

現在の東京23区内で最古の「温泉」は、明治時代に発見された大森の「森ヶ崎鉱泉」だと。

おかえもん 17歳 浴衣

もりがさき、こうせん?

クリス君 ノーラン 浴衣

身体にいいミネラルの入った「含鉄アルカリ性食塩泉」だが、源泉の温度が低い「冷泉」だから、温泉と区別して「鉱泉」と呼ぶ。

漱石が『坊っちゃん』を書いた明治三十年代後期、大森の森ヶ崎鉱泉は、江戸っ子が気軽に出掛けられる「温泉保養地」として、中々の人気スポットになっていたそうだ。

多くの著名人や文人も訪れている。

おかえもん 17歳 浴衣

そうなの?

だけど僕はずっと東京に住んでるけど、そんな温泉地、聞いたことないよ?

クリス君 ノーラン 浴衣

昭和に入ってからは廃れて無くなってしまったそうだ。

東京近郊の温泉地がどんどん大型観光地として整備されていったから。

おかえもん 17歳 浴衣

じゃあ大森が有名だったのは、ほんの一瞬ってことじゃんか。

クリス君 ノーラン 浴衣

そんなことはないぞ。「大森」は江戸時代から有名だった。

風光明媚な「浅草海苔」の産地として。

おかえもん 17歳 浴衣

大森が浅草海苔の産地?

浅草海苔の産地は浅草じゃないの?

クリス君 ノーラン 浴衣

よく考えてみろ。浅草で海苔が取れるか?

おかえもん 17歳 浴衣

あっ…

クリス君 ノーラン 浴衣

「浅草海苔」の産地は、江戸川の河口付近である葛西や浦安、そして品川から大森羽田にかけての海。

そこで取れた海苔を浅草に運び、商品化されて「浅草海苔」になるんだよ。

歌川広重の『名所江戸百景』にも、南品川の鮫洲海岸から大森海岸にかけて広がる海苔漁村が描かれている。

歌川広重 名所江戸百景 南品川鮫洲海岸 浮世絵

『名所江戸百景 南品川鮫洲海岸』
歌川広重

おかえもん 17歳 浴衣

坊っちゃんの言う「大森ぐらいな漁村」というのは、こんな感じなのかな。

明治二十年代なら、浮世絵に描かれた江戸後期の風景とそんなに変わらないはずだ。

クリス君 ノーラン 浴衣

おそらくな。

おかえもん 17歳 浴衣

というかクリス君、この画集はどこから持って来たの?

クリス君 ノーラン 浴衣

そこの書棚だよ。

さっき君が帰って来なかった間に、どんな本があるのか調べてみたんだ。

なかなか興味深いラインナップだったぞ。

記紀万葉から明治大正までの代表的な古典や画集が一通り揃ってる。

おかえもん 17歳 浴衣

それって「りうていの間」という名前に関係しているのかな…

あの掛け軸と同様に…

クリス君 ノーラン 浴衣

どうだろう。そこまではよくわからん。

まあ、そんなことよりも今は「大森」だ。

大森を描いた浮世絵には、もうひとつ有名なものがある。

大森のシンボルである「松」を描いたものが。

歌川広重 名所江戸百景 八景坂鎧掛松(えどじまんさんじゅうろっきょう はっけいざかよろいのかけまつ)浮世絵 大森

『名所江戸百景 八景坂鎧掛松』
歌川広重

おかえもん 17歳 浴衣

はっけいざかの… よろいのかけまつ…?

何だいそれは?

クリス君 ノーラン 浴衣

「八景坂」とは、現在のJR大森駅西口、池上通り付近の山王地区にあった坂の名前だ。

高台になっているこの場所から「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という8つの美しい風景が見えるので「八景坂」と呼ばれるようになったと言われている。

おかえもん 17歳 浴衣

なるほど。広重が描いた通り、絶好のビュースポットだったわけだ。

それにしても「鎧掛松」とは変わった名前の松だな。

いったい誰が鎧を掛けたんだろう?

クリス君 ノーラン 浴衣

八幡太郎だ。

おかえもん 17歳 浴衣

はちまんたろう?

聞いたことあるけど、誰だっけ?

クリス君 ノーラン 浴衣

八幡太郎とは「武家の棟梁」こと源義家(みなもとのよしいえ)のこと。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の「ひいひいおじいちゃん」と言った方がわかりやすいかな。

この本に肖像画と解説が載っている。

源義家。平安時代後期の武将。/江戸時代『前賢故実』より。画:菊池容斎

前賢故実 源義家像』
菊池容斎

おかえもん 17歳 浴衣

なるほど…

山城国(京都)の石清水八幡宮で元服したから「八幡太郎」なんだね…

だけど出生地は諸説あるらしいな…

山城国説、鎌倉説、そして足柄下郡、つまり箱根の近く説…

クリス君 ノーラン 浴衣

ん?

おかえもん 17歳 浴衣

どうした?

クリス君 ノーラン 浴衣

山城国、鎌倉、箱根…

坊っちゃんの実家の隣の質屋は「山城屋」で、坊っちゃんが松山で最初に泊まった宿も「山城屋」だった…

そして坊っちゃんは、東京の外は「鎌倉」しか行ったことがなく…

清は「箱根」しか知らなかった…

おかえもん 17歳 浴衣

あっ… 八幡太郎 源義家の出生候補地がすべて『坊っちゃん』の中に…

これは偶然か?

クリス君 ノーラン 浴衣

わからん…

しかし源義家は、坊っちゃんが先祖だと豪語していた「多田満仲」の曾孫でもある…

偶然ではないかもしれない…

おかえもん 17歳 浴衣

あっ!こっちの絵も見ろよ!

この絵の源義家は…

歌川国芳 阿倍宗任 八幡太郎義家 三河前司女馴衣(みかわぜんじのむすめなれぎぬ)源義家 浮世絵

『八幡太郎義家 三河前司女馴衣』
歌川国芳

クリス君 ノーラン 浴衣

角を切り落とした碁盤をひっくり返し、碁石をぶちまけている…

対戦相手の女はビックリして、外で誰かがカンカンに怒っている…

おかえもん 17歳 浴衣

坊っちゃんも、将棋を指していて、同じようなことをしたぞ…

対戦相手の女形っぽい兄はビックリして、父はカンカンに怒った…

これは偶然だろうか?

クリス君 ノーラン 浴衣

ここまで来ると、偶然とは思えんな…

漱石は、あえて「大森」という言葉を入れることで、この絵が元ネタであることを示そうとした…

おかえもん 17歳 浴衣

だけど、何のためにそんなことを?

わざわざそんなことをする必要があるだろうか?

クリス君 ノーラン 浴衣

どうだろうな…

もう少し第二章の先を見ていけば、何かわかるかもしれん…



つづく




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