『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第16話「吉祥寺、井の頭公園、シューベルトのシンフォニー、バッハのカンタータ」
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スナックふかよみ にて
では、続いてのパート「すみれと吉祥寺」を見ていこう…
ここも非常に興味深い…
彼女は吉祥寺に一間のアパートを借りて、最低限の量の家具と最大限の量の本とともに暮らしていた。昼前に起きて、午後には山巡りの行者みたいな勢いで井の頭公園を散歩した。天気がよければ公園のベンチに座ってパンをかじり、ひっきりなしに煙草を吸いながら本を読んだ。雨が降ったり寒かったりすると、大きな音でクラシック音楽をかける古風な喫茶店に入り、くたびれたソファに身を埋め、むずかしい顔をしてシューベルトのシンフォニーだの、バッハのカンタータだのを聴きながら本を読んだ。夕方になると一本だけビールを飲み、スーパーマーケットで買ったできあいのものを食べた。
プンプン臭うな(笑)
え?どこが?
そもそも「吉祥寺」が何を意味しているのか気付いた?
は? 吉祥寺は地方出身女子ひとり暮らしの憧れの街でしょ?
あたしは地元だから何とも思わないけど。
そうじゃないんだよ。
「吉祥寺」とは「エルサレム」のことなんだ。
ええ~~~!?どうして?
「吉祥」とは「よい前兆」という意味。
そして「Jerusalem」とは「明けの明星の街」、つまり「よい前兆の街」という意味なんだよね。
マジで? 明けの明星は吉兆なの?
『ヨハネの黙示録』の最終章では、イエス・キリストが自分を様々な物に喩える。
その最後に自分は「明けの明星」であると語るんだ。
つまり「明けの明星」は「世界を救う主の降臨」の象徴ということになる。
まさに「よい前兆」だね。
『ヨハネの黙示録』最終章より
22:13「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 命の木にあずかる特権を与えられ、また門を通って都に入るために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
22:15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
22:16 わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」
「命の木」とか「門と犬」とか『スプートニクの恋人』っぽい…
しかも、また使徒ヨハネ…
ちなみにエルサレムにある聖地「神殿の丘」は英語で「The Temple Mount」という。
日本人は「神殿=shrine、寺=temple」と考えがちだが、「神殿」は英語で「Temple」だ。
だから「吉祥寺」とは「神殿のある、よい前兆の街」と読める。
まさにエルサレムのことなんだな。
すごい… 村上春樹、ちょーウケる。
・・・・・
そして、すみれは午後になると「山巡りの行者みたいな勢い」で井の頭公園を散歩したと「ぼく」は語る。
変な喩えね…
「山巡りの行者みたいな勢い」って超不自然。
「山巡りの行者」とは「山伏」のこと。
これを見て何か気付かない?
ああ!頭襟(ときん)でしょ!
あたし、わかった!
村上春樹はユダヤ教徒が額の上につける「黒い箱」のことを言ってるんだわ!
そもそもイエスはユダヤ教徒だもん!
ちなみにあの黒い箱は「Tefillin(テフィリン)」という。
中にはヘブライ聖書『申命記』第6章4節の祈祷文が収納されているんだ。
「聞けイスラエル、我らの神、主は唯一の主なり、汝、全心、全霊、全力を尽くして汝の神、主を愛すべし」(申命記6:4)
もう「公園のベンチでパンをかじり」もわかったよね?
ユダヤ教の儀式でパンは欠かせない。イエスも新約聖書の中で何度もパンを食べていた。
じゃあ、すみれが「ひっきりなしに」吸っていた煙草は?
イエスはヘビースモーカーだったの?
イエスは煙草を吸わない。
これは「別の煙」を「ひっきりなしに上げていた」ことの例えなんだ。
ひっきりなしに煙を…?
もしかして燔祭(はんさい)のこと?
その通り。「天の父」は「生贄の煙」が大好物だ。
しかも「律法通りに焚かれた煙」じゃないといけないんだね。作法を間違ったり手抜きをすると速攻で天罰が下る。
この調子で「大きな音でクラシック音楽をかける古風な喫茶店」も、何のことかわかるかな?
もうパターンは読めてきたわ。
「クラシック音楽」は「旧約聖書」のことね。旧約は節をつけて詠うものだもん。
そして「古風な喫茶店」は「エルサレム神殿」よ!
ご名答。イエスの生きていた頃は、まだ丘の上に神殿があった。
エルサレムに入城したイエスは、毎日のように神殿の丘へ行っていたんだよね。
では「シューベルトのシンフォニー」は、わかるかな?
シューベルトの交響曲といえば…
『未完成交響曲』?
イエスが神殿でヘブライ聖書の朗誦を聴いていた時は、まだ新約は未完成だった…
うまいね。
春木君、深代ママに座布団1枚持って来て。
人を山田君扱いするなボケ。昇天させたろか?
さすが春木さん。昇天に笑点とイエスがかかってるわ。
おや、気付きましたか? 私の高度な言葉遊びを…
春木さんも何か書けばいいのに。
あたし読んでみたい、春木さんの書いた小説とか。
そいつはいいな。ノーベル文学賞とれるんじゃねえか?
チッ…
あの…皆さん…
「シューベルトのシンフォニー」には、もっと重要なことがあるんだけど…
へ?
なぜ村上春樹は「交響曲」ではなく、わざわざ「シンフォニー」という言葉を使ったんだろう?
普通なら「シューベルトの交響曲」だよね?
そういえば、そうね…
「ベートーヴェンのシンフォニー第9番」なんて言わないもんね…
なんでだろ?
トンチの得意な春木に聞いてみれば?
・・・・・
なぜ村上春樹は「シンフォニー」なんて言葉を使ったのか…
それは…
「Symphony(シンフォニー)」の中の「phony(フォニー)」のためなんだ…
ああ!
「phony」って『ライ麦畑でつかまえて』の語り手ホールデン君の口癖じゃん!
確か「いんちき」って意味だったわよね!
やれやれ。
・・・・・
『THE CATCHER IN THE RYE』を再現するなら「phony」は絶対に欠かせない。
ライ麦畑の最重要ワードだからね。
じゃあ「バッハのカンタータ」は?
「カンタータ」とは元々「独唱」される歌曲を指す言葉だった。
そして「BACH(バッハ)」はドイツ語で「小川」という意味なんだけど、英語では全く違う意味になる…
全く違う意味?
英語の「bach」は「独身男」という意味なんだ。
つまり「バッハのカンタータ」は「独身男の声楽曲」という意味になっている。
イエスの「声」を集めた「福音書」のことだね…
なにこれ…
英訳された時に駄洒落として機能することを踏まえたものだよな。
いくら日本語で面白いギャグを書いても、他言語に翻訳されたら無意味になってしまう。
読者が世界中にいる作家は、いろいろ考えなきゃいけないから大変なんだ。
・・・・・
すみれが夕方に飲んだ「一本のビール」と、食べた「スーパーマーケットで買ってきた出来あいのもの」は、もはや説明の必要がないだろう。
イエスが「最後の晩餐」で飲んだ「葡萄酒」と、食した「過越しの料理」のことね…
イエスはまったく料理をしなかったから…
その通り。
笑わせてくれるよな。
さあ、話をどんどん進めようぜ。
ちょっと待ってください。
「井の頭公園」について、ちょっと話しておきたいことが…
「井の頭」は「泉の湧き出るところ」という意味だから、イエスの教え「愛」のことでしょ?
あたしの十八番『愛の水中花』の元ネタ『ヨハネによる福音書』第4章!
『ヨハネによる福音書』
4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者は誰でも、また渇くであろう。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも渇くことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」
4:15 女はイエスに言った、「主よ、わたしが渇くことがなく、また、ここに汲みに来なくてもよいように、その水をわたしに下さい」
それもあるんだけど、それだけじゃないんだな…
『スプートニクの恋人』という小説の中で「井の頭公園」が何度も出てくることには、もっと重要な秘密が隠されているんだ…
重要な秘密? なによそれ。
実は…
ちょっと待ってください。
あれ? またライ麦になってる…
てゆうかギター構えちゃってるし。もう春木さんも好きねぇ(笑)
大好きなんです『愛の水中花』が…
どうぞどうぞ。ご遠慮なく。
では…
春木、歌います…
つづく
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