030 連載小説01 災害ボランティア① 序
彼は運命論なんて何それと思ってい、ディープステート何て何じゃらほいという見方を持っている。運命という他ないというドラマが日本の歴史でも他の国でも多々演じられたを知ってはいる。しかし(差し当たって)二人の運命の出会いには、二人それぞれに様々なドラマ、それぞれが出世していく物語が必要であり、もしかしたらAの替わりにCが、Bの替わりにDが取って代わるパラレルワールドもあり得ると思ってる。きっかけ何てほんの些細なことで簡単に変わり得るというのが彼の思想、人生哲学らしい。
ディープステートを彼が笑うのも似た理由である。世界/人類/国際社会を裏で牛耳っている「組織」があると信じたいという、信じる気持ちには理解を示す。でも彼は歴史、人類史、人間の歴史は決して一本道になっていないこと、それどころか紆余曲折や遠まわりを散々していることを知ってる。例えば宇宙開発、例えば戦間期。
アポロ計画は11号の月着陸成功で世界に熱狂的フィーバーを起こしたという。しかし月フィーバーはそこまでで、20号まで計画されていたアポロ計画は予算削減の憂き目にあい、17号で終わることになった。それは人類の夢としての宇宙が消滅、縮小したことを意味し、人類の宇宙進出は遠のくこととなった。
そして結果的に戦間期となった第一次大戦以降の世界。彼は主に科学者の伝記で当時の様相を知ることとなるが、(結果的に一回目の)世界大戦が終わってドイツ側の同盟国、イギリス・アメリカ側の連合国、それぞれの国で平和主義が台頭した時期があったのに、なぜ再び大戦が起こってしまったのか。ヒトラーとナチス、就中当時のドイツにその責任の全てを押しつけられないこと、科学者の伝記という実証主義を標榜すべき書物から知ることになったのである。
しかし。そう、しかしと彼、氏・名の順でO・Tはふと考える。運命論は馬鹿にしてても己の運命の女神について、常々考えるのである。これまでの人生は確かに確かな仕事に恵まれず才能を開花していない苛立たしさはある。でも徹底的な窮地には追い込まれていないことも事実なのである。直近では昨年の「バスに乗って山へお出かけ」の御岳山ゴールデンルートと、「君ソム」の聖地巡礼がいい例だろう。前者はベースタイムから二時間長くなり、後者は大雪の中でのバス旅行になったが、それぞれ達成することが出来た。
三月二十九日の七尾での災害ボランティアもその例にもれず、自らの失敗や勘違いで様々な問題が発生してドラマを作ってしまったにも拘らず、彼自身の楽天性、結局は何とかなるという妙な自信により、結局は悪くない結果を生むことが出来たという。
尤も身体的には問題なくても金銭的な代償を払うことになった。それは正に伏線が効いた物語、ドラマの結果なのである。(大塩高志)
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042 連載小説01 災害ボランティア⑪(終) 思い出を砕く
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