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虹色カオス

私の母は春風のような人でした。時には優しく、時には力強く、彼女の存在は、まるで春の嵐のように、私たち家族の生活を一変させる力を持っていました。

私の中には確かに母が存在しています。もし母だけだったら、ここまで複雑に絡み合うことはなかったかもしれません。しかし、父も兄も、私の中にしっかりと根付いています。そして、さらに私自身も常に健在です。

それぞれの個性が、互いに交わることなく絡み合い、もはや自分一人の力では収拾がつかなくなっていました。

私の人生は、まさにカオスそのものでした。自分の中で物事が整理できないほど複雑で、コントロールすることが困難な状態だったのです。さまざまな要素が絡み合い、思い通りに進まないと感じながら、ずっと生きてきました。

しかし、ついにその状態から抜け出すことができました。捨てたのではなく、むしろすべてを受け入れたことで、カオスこそが私の多様な豊かさで、生きる道だと気づいたのです。カオスを受け入れるきっかけは、それまで「何人もいる自分のどれか一つを選び、他を切り捨てようとしていた」ことに疲れたからです。そして、諦めたのです。そうすることで、様々な自分を受け入れ、すべての自分を肯定し、葛藤することから解放されたのです。それは、戦いをやめ、あるがままの現実を受け入れるという、とても大きな決断だったのです。

だいぶ前のことですが、私のオーラの写真を撮ったとき、その色は虹色でした。しかし、その色が持つ意味は、驚くことに「気が散漫」というものでした。一見すると美しく、友人から羨まれたその色は、実際には私の心が落ち着かず、様々なことに気を取られている状態を示していました。(そのような説明を受けました)

小学生の私がどうしても勉強についていけなかったのは、気が散漫だったからです。おそらく集中力は3分間くらいだったでしょう。今日こそはしっかり学ぶぞ!と意気込んでも、気づいた時には、窓の外を見ていました。いつも空想に耽っていました。「またやっちゃった」「時間は戻らないし、どうしよう」と、毎回悔やんでいました。今でも、気が散漫な時がありますが、「それでよし」としています。

虹色のオーラは、私の内面が多くの興味や感情で満たされていることを反映していたのかもしれません。私の中でどれに集中すれば良いのかわからない状態が、あの日のオーラに現れていたのでしょうね。オーラの解釈も色々で、ピンと来ないのなら間違っているのかもしれません。私にとって虹色のオーラはピンと来たので、間違っていないと思いました。

自分の中に存在する様々な側面と、良いも悪いも全て受け入れることで、完全な自己受容に達したと言えるでしょう。私にとってカオスを受け入れることは、人生の可能性が無限に広がったという感覚です。最終的には、自分を愛おしく思う気持ちが、心の平穏をもたらす鍵となったと思います。


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