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100.驚愕!アメリカの医療事情と人生会議【後編】~全集中★エンディングノート講座~

こんにちは。終活プロデューサー(終活P)の池原充子です。
【前編】では、アメリカから一時帰国している友人と21年ぶりに再会し、アメリカの桁外れの医療費、介護費に恐れおののいたのですが、この【後編】では、忘れられない人生会議についてお話します。

ちなみに、人生会議とは?

「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。

厚生労働省「人生会議」してみませんか?より

どのような治療をするか?
終末期をどう過ごしたいか?
そういうご本人の意思を関係者みんなで共有するのが、「人生会議」です。もし、家族のうち、一人でも、意見が違えば、ご本人の願いを叶えることはできなくなります

母は「もう延命治療はしたくない」と思っている。
でも息子は、「頑張れ!あきらめるな!」とさらなる治療を望む。

そんなシーンを見たことはありませんか?
(リリーフランキーの「東京タワー」でこれに似たシーンがありましたよね)

家族と言えど、死生観は、人それぞれ。
言わなくてもわかるだろう、という思い込みはゴミ箱in。


でも・・・
「ちゃんと話しあったから大丈夫!」って、言い切れないんだよなぁ。

と思った話が↓↓
↓↓↓↓

私がアメリカオレゴン州ポートランドの小さなベンチャー企業で働いていた頃、友人のお父さまは余命宣告を受けて、日本のご自宅で療養されていました。

最期は、家で。


というお父様の希望を、ご家族、医療関係者の皆さんが共有し、ワンチームとなり、友人も生まれたばかりの赤ちゃんを連れて日本に帰国していました。

ご家族で献身的に在宅看護をされていたある日、急に苦しみだしたお父さまを見て、慌てて救急車を呼びました。病院に搬送されましたが、残念ながらそのまま帰らぬ人となってしまいました。

この話を聞いた時、「最期になんと恵まれた時間を過ごすことができたのだろう。友人のお父さまは幸せだっただろうな」と私は思いました。しかし友人は、

後悔の念が残っている

と。そして

お母さまは、また別の思いがある

と言うではないですか。

「最期は家で、と言うからずっと家で看てきたのに、救急車の中で亡くなってしまったことが、悔やまれてならない。」

最後の最後を家で看取ってあげることができなかったから、

「お父さんの思いに応えられなかった。申し訳ない」


という気持ちを友人は持っていたんですね。
そして、お母さまはお母さまで、献身的な看護をして尽くしてきたことに対して、たった一言でいいから、


「ありがとう、と言って欲しかった」


と思っていらっしゃったんですね。

思い描いた最期とは違う結末。何度話し合っていても、覚悟ができていると思っていても、最愛の家族の死は、受け入れがたいもので、苦しそうな姿を見ると、何とかしてあげたいと思うのが、人情。その優しい気持ちを誰が責めることができるでしょうか。

私は、友人のお父さまはとても幸せだったと思います。私が同じ立場だったら、同じ行動を取っていたかもしれないし、「父や母を在宅看護することは難しいだろうから」と最後まで病院で過ごす選択肢しか持たないかもしれません。

これから、大切な家族を在宅で看取りたいと思う方は

人は死の直前どういう状態になるのか
苦しそうに見えても、救急車を呼ばずに最後まで見届けることができるか
息を引き取った後、どうすればいいのか

といったことも丸ごと考えて心づもりをしておく必要があります。とてもできそうにないなら、病院で最期を迎えてもいいのです。

家だから幸せ、病院だから不幸と言うことは全くありません。ついでに言うと、親の死に目に会えなかったから親不孝と言うこともありません病院にいても、誰も知らない間に息を引き取っている人もいます誰にも看取られずに亡くなった人は不幸と言うことは全くありません

大切なのは、「死にざま」ではなく「生きざま」。

どう生きてきたか。

大切な人へ感謝の気持ちを伝えたか。

分かってるだろう、じゃなくて、ちゃんと言葉にして欲しい。


もう一つ、人生会議の話があります。
実は、2年前に急死したアメリカ時代の同僚、Kについても今回話を聞くことができました。

もともと肝臓が悪かったKは、病院で意識を失い、体中に管を通されました。Kのパートナーは、医師から、「このままチューブに繋いでいれば生きていられるけど、意識が戻る可能性はほぼない。どうするか判断してくれ」と言われたそうです。

(つまり、延命治療を続けるかどうかの判断を迫られたのですね)

いきなりそんな重大な判断を突き付けられて、すぐ「はい、わかりました」と言える人はいないと思います。Kのパートナーも、Kを見守っていたけど回復する気配はなく、医療費も莫大にかかる(たぶん億越えじゃないかな:友人談)。数日間悩み続けて、友人にこう話したそうです。

「年が明けたらチューブを外すから、最後にKに会いに来て欲しい」

会いに来てといっても、意識が戻ったわけではないので話をすることはできません。でも、チューブを外すということは、命がそこで終わるということなので、友人は、ご主人と共にKに会いに行きました。

友人がKに話しかけると、意識もなく、体も全く動かないのに、指先がかすかに動いたそうです。その時友人は、「ああ、やっぱり耳は聞こえてるんだ」と思って精一杯お話したそうです。

こうやって最後のお別れができるということは、とても悲しいけれど、実は幸せなことなんじゃないかと思います。自分の中でけじめというか、自分なりにこの世からあの世へ送り出してあげることができるし、自分もいつか同じようにこの世から送り出されるその前にしっかり生きていこうと思うきっかけにもなります。終わりを意識して生きるということはとても大切だと思います。

もし、今伝えるのがちょっと恥ずかしい、と思うなら、エンディングノートにこっそり書いてしまうのはどうでしょうか?可愛いレターセットにしたためて、エンディングノートに挟んでおくのもいいですね!

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