見出し画像

いやぁ💦濃厚接触者となり、自宅におこもり時間が延々と続くので、ちょうどいいから、仏教通信講座の課題を(めっちゃ提出期限から遅れてるけど😅)書いちゃおうと思います。

今日のテーマは、「本当の自分」について。

これね、実は、2600年も前に、お釈迦様がズバッと答えちゃってます😅本当の自分を作り出しているのは、

阿頼耶識あらやしき

だと。

なんじゃ、そりゃ?

・・・ですよね😅
初めて聞いた方も多いかも😅

実は、少し前、もののふ椿さんのnoteに刺激を受けて、法相宗ほっそうしゅう大本山の興福寺と薬師寺に行ったのですが、(その時のnoteはこちら↓)

法相宗では、唯識ゆいしきが教えられており、仏教の基礎理論として昔の僧侶は全員学んだそうです。だからなのか、興福寺や薬師寺を拝観してみて、法相宗は、とてもお釈迦様の教えに忠実だなぁ~と感じました。(法相宗についてはコチラに詳しく書かれています↓)

ご存じの方も多いと思いますが、お釈迦様が説いた仏教は、2600年前から現在に至るまで、さまざまな解釈があり、宗派が分かれています。これは仏教に限らず、キリスト教やイスラム教などどの宗教でも同じで、解釈の違いから宗派が分かれています。人によって解釈が違い、その違いが争いごとの種になるというのは、ずっと昔から変わらない人間の悲しいさがなのかもしれません💦

で、もののふ椿さんが、noteの中で触れていた、末那識まなしき

が、今回私が書こうとしている【阿頼耶識】と切り離せない深い関係にあるので、またまたもののふ椿さんにインスパイアされて書いちゃいました😅

では、本当の自分を作り出しているという【阿頼耶識】とはなんでしょう?仏教ウェブ入門講座に書かれている解説を引用してみます😁
(この通信講座で仏教を学んでるので、かなりお世話になってます😅)

🟩【阿頼耶識あらやしき】の「阿頼耶」とは、蔵のこと。

例えば、「ヒマラヤ」は、「ヒム」+「アラヤ」ですが、
「ヒム」は雪のことなので、ヒマラヤは雪の蔵ということ。

なので、【阿頼耶識】とは、「阿頼耶」+「識」
「識」は心のことで、【阿頼耶識】は「蔵の心」ということ。
蔵識くらしき」ともいわれる。

🟩普段自覚できるのは【意識】
それよりも遥かに深いところで、
遥かに強い力で私たちを動かしているのが【阿頼耶識】
(たぶん現代の心理学的には、深層心理的な?)

🟩【阿頼耶識】は、肉体が生まれるずっと前から、
肉体が滅びても、滅びることなく続いていく

🟩【阿頼耶識】は、果てしない遠い過去から、
永遠の未来に向かって流れて行く、私たちの永遠の生命

🟩【阿頼耶識】は、蔵のような心という意味だが、
一体何がおさまっているのかというと、【業力ごうりき
【業力】とは、自分の行いのこと(心、口、身体の行い)

🟩自分の心と口と身体の行いが、
目には見えないが、決して消えることのない
不滅の業力
となって、【阿頼耶識】におさまる

🟩【阿頼耶識】にはごうが種子のようにおさまるので
種子識しゅうじしき】とも言われ、
おさまった業を、【業種子ごうしゅうじ】とも言う
(種、ということは、いつか芽が出てくる=運命を生み出す)

🟩【業力】には、大象100頭よりも強いといわれる
ものすごい力があって、やがて自らの【運命】を生み出す。

ということは・・・
(過去世&現在世の悪い業は、知らない間に、強い力で悪い縁を引き寄せる。)
(過去世&現在世の善い業は、知らない間に、強い力で善い縁を引き寄せる。)
(今、自分がめちゃくちゃ運が悪い💢とか、めちゃくちゃ運がいい😁!
でも理由がわからない、ってときは、この【阿頼耶識】の【業力】によって今の【運命】が生み出されている、ということになりますね。

怖っ😨😱!怖すぎっ😫😲!

つまり、

自分が無意識に考えたこと、言ったこと、やったことが、全部貯金されていっちゃう

ってこと。そして

その貯金が、いつ引き出されて、自分の運命を生み出すか、わからない

ってこと。

いや、怖すぎでしょっ?!消えないってことは、過去世で何をやらかしたかわからないし、今悪いことしたら、現在世はもちろん、未来世でどんな目に合うかわからんやんかっ😱😨!

実は、この【阿頼耶識】こそが、
仏教の根幹である【因果の道理】(因果応報)
の基礎になるものなのです。

(仏教では、
誰も見てないから、って悪いこと言ったりしたりしてはいけないし、
心で思うこともいけないんですよ。それは、誰も見てなくても、自分の中にたまっていくからなのです。どうしても誰かに見張られてないと、悪いことがやめられないなら、「お天道てんと様は見ている!」と思って、悪い事考えたり、言ったり、やったりする習慣を手放すことが幸せになる最短ルートかも!)

もののふ椿さんが触れていた末那識まなしきとは、仏教ウェブ入門講座によると、

「いつも阿頼耶識にまとわりついて執着する心。
末那識という途切れない心があって、意識が途切れている時も、末那識が悪を造り続けている
本当は無我なのに、末那識はいつも阿頼耶識を固定普遍の我だと思ってしまう。」

これは、たぶん、
「いいこと聞いたぞ!たった今から悪いことは考えもしないようにしよう!」と思っているのに、自分の中の奥深ーいところにある末那識が邪魔をして悪魔のささやきを続けてるような感じ?

結局「本当の自分」って、実は実態がなくて、常に変わり続けているもの(諸行無常ってやつです)で、「俺はいつも代わり映えしねぇなぁ。」と思っていても、昨日の、1時間前の、1秒前の自分とは違う。ってことなんだと思います。

自分ですら、どんどん変わっていくんだから、
他人様なんて、自分と同じわけがない。
自分が正しいと思ってることが、他人様にとっても正しいこととは限らない。
そう思えば、人と意見が違うのは、当然。
「自分が正しい!」って、かたくなに主張を曲げないことは、悪の種を作ってしまうことになるのかもしれないですね。


終活って、ひとりでやろうとすると、途中で挫折したりします。趣味:終活って言ってる終活プロデューサー(終活P)の私を頼ってください!多分お役に立てると思います。