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ふくらむ手

さっき隣町まで服を売りに行ってきた。

自分の街の古着屋さんへ行ったら「1つも買い取れるものがない」と言われたので仕方なく隣町まで行ってきた。
お前の店で6ヶ月前に買ったコートも入ってたんですけどね。

それはさておき、人はそれぞれにあまり相性が良くない街ってあると思うんだけど、私にとっての隣町はそれだ。
何故かすごく居心地が悪い。出来ればあまり行きたくない。ふらっと立ち寄る事もない。
3回目のコロナ感染時とそれに続く悪寒戦慄の際にお世話になった内科があるくらい。
そういう時にしか用がないし行きたくない。

だが行くことになった。
自分の街の古着屋ではテメェが6ヶ月前に売ったコートすら買い取ってくれなかったので行くしかない。
歩いても行けるけどコート2着含め服やパンツが10着以上あったので電車で行くことにした。
この洋服たちは1年半以上、IKEAのどデカいバッグの中に丁寧に畳まれたまま部屋に鎮座していて少しづつ、季節ごとに増えていった。
なんだか服を売りに行く、という行為が出来なくなってしまい、またそれぞれに思い出がありなんだか手放す決意が出来ず、ずっと部屋で一緒に過ごしていた。

隣町の駅につき真っ直ぐ古着屋を目指す。
カウンターへ行き査定を頼む。住所や名前を紙に書く。
30分程、ということだったので外出して待つことにした。

身軽になったその身体で同じ街にある老舗の眼鏡屋へ向かった。
気に入っていたサングラスの右目のクリングス(眼鏡の鼻パッドを支える金具)が根本から折れてどこかへ行ってしまったため、その修理が出来るのか知りたかった。
店へ着くとやたらとまつ毛の長い男性店員がとても丁寧に出迎えてくれて、修理するなら5000円〜だと思う、とのこと。出来るのか。
こんなにもドンピシャのサングラスを再び探す労力を考えると修理して使い続ける方が良いな、と思ったが、服の査定が終了した、との連絡が来たため一旦保留に。

先ほどの古着屋へ戻ると店員がにこやかに「今回は全てにお値段つけさせていただきました!」と笑顔で出迎えてくれた。そうですか、ありがとね。口コミが良かっただけありますわ。

とは言え、ランチ代くらいにしかならなかったけどなかなか手放せなかった服たちと一旦お別れ出来て少しホッとした。
ずっと気になっていたタスクだったので、ようやくやり遂げられた、という気持ち。

代金を受け取り街を出る。
帰りは歩いて帰るつもりだったので商店街を抜け歩き出す。
と、途端に始まってしまった。例のアレが。

前を歩く人の安っぽいヒールのカツカツ音が辛い。ネイビーの綿のワンピースについた白い毛玉が辛い。どでかい声で縦横無尽に走り回る男児が怖い。誰かの生乾きの洋服のにおいが辛い。知らない街でかぐ豚カツ屋のにおいが辛い。辛い。悲しい。しんどい。知らない街の、居心地の悪い商店街の、駅前の、信号待ちの、そのどこにも自分の居場所がない。辛い。

避けても避けても迫ってくる辛さに思わず下を向いて歩く。
知らない街の消えかけた横断歩道の白線が辛い。
端が崩れかけたコンクリートの花壇が辛い。前を歩く大学生男子2人の削れて汚れたスニーカーのかかとのソールが辛い。狭い道でゆっくり歩いているから追い越せずこちらも歩みが遅くなりそれも辛い。辛い。悲しい。辛い。居場所がない。

そんな風になっていたら途端に息が浅くなり、なんと手がパンパンに膨らんできた。
そりゃそうだ。多分、息を止めて歩いてる。
きっと私は、この街でなにも吸いたくない。
息を止めてりゃ代謝が悪くなり、そのうちに末端が冷えるなりなんなりし、そしてそのうち身体がプチパニックを起こし浮腫んでくる。

まるで居場所がないこの瞬間に、せめて存在が消えないようにと自分の手のひらがむくむくと膨らんで自分の存在を保っているかのようだった。
人って危機感を感じたり、命について考えた時、末端が膨らむのだろうか?(これは下ネタではなくて。)
もしかして人ってそうやって自分の存在がその場から消えないようにどこかを膨らませて、自分の自我に(大丈夫、ここにいるよ、今生きてるよ!)って教えてくれてるんだろうか。

…そんなふうなデタラメを考えながら歩いていたら私の住んでる街に近付いてきた。
ここには私の居場所がある。家までもう少し。
そう思ったら段々喉の詰まりが取れて、手もホヨホヨ〜…と元に戻ってきた。あぁ、良かった。

気持ちを落ち着かせるためにいつものスーパーへ入る。
こういう時の私って一体どんな顔をしてるんだろう、と思いプリンコーナーの棚に貼られている鏡を覗いてみた。
するとそこには、たくさんのプリンに囲まれたいつも通りの、まんまるのお顔に、2つのきゅるきゅるおめめ、ぷっくぷくの唇に、コーラルのリップを丁寧に塗ったいつもの私がそこにいた。
大丈夫、可愛い。

お買い得になっていたちょっと萎びたニラを買う。豚ひき肉も買ったので今日はこれで夕ご飯。

慣れない場所で居場所を失い、心が消えた私の代わりに。
手のひらはむくむくと膨らんだ。
あの街の、あの商店街の、あの雑踏の中で私が決して居なくならないよう守ってくれた。

そうか、行きは洋服と一緒だったけど帰りは1人だったもんね。
そうやって少しずつ、本当に少しずつ、自分のことを知っていく。

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