おはぎやま部屋
細川博昭先生の作品が好きで、鳥本は全て保持。 感想を書けたときは残します。
横浜小鳥の海老沢先生のYouTube 質疑応答内容をヒアリングし、メモに残したものを記録のために残しています。
長文です。 ようやく一息つきました。 DMやLINE、電話をいただいたりと励ましてくださった方たち…ありがとうございました。 ゆうべから朝までただひたすら泣いて悔やんで自分を責めた。 正午過ぎに白菫はお空へ還りました。 もう少し…そばに置いておきたかった。 けど夏だしね。 しーちゃんが傷んじゃうしね。 それにきっと気持ちに区切りがつけられなくなりそうだから、ゆうべから今朝にかけて色々な霊園を探した。 ほんとは細川先生に勧めていただいた某動物霊園で火葬を…と考えてはいたけど
先ほどの、「オカメインコとともにchapter2を読んで」の追記です。 2018年10月にパステルレインボーのポピーちゃんがロスト。 飼主さんは家を空けないとならなくて、ペットホテルに預けました。 とある鳥獣店のホテル。 結果から言うと、店の人間がロスト。 そして近隣の大きな公園で発見。 私はその飼主さんと面識はありませんでしたが、ことのわの初枝さんから情報を聞いて、捜索に加わることに。 キャリーやインコのごはんを思い出して、自らキャリーに入ってもらうことがいちばんの願い。
「インコが来て変わる生活」。 これはオカメインコに限らずどんな鳥でも同じ。 でもオカメさんはナイーブだからな⁝(ᵒ̴̶̷᷄൧̑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝ 私は鳥と暮らす前は犬と暮らしていました。 あと数日で保健所送りだった子を友達が引き取って。 でも彼女は団地住まいなので、今後も共に暮らしていくことは困難。 そして私に声が掛かりました。 犬は寒ければ暖を取れる場所に移動するし、暑ければ涼しい場所へ。 ケージに囲われている鳥はこれは出来ないわけで、犬猫以上に人の配慮が必要。 オ
細川先生から「オカメインコとともに」が届いた。 細川先生、いつもありがとうございます。 気にかけていただいて、声を掛けていただいて私は果報者です。 chapter1はまずはオカメインコを知ってもらおうという章…と感じた。 「はじめに」にあるように、世界最小のオウムというだけで魅力爆発。 1-1で、細川先生が「伴侶動物」というワードを使っていて、これはまさしく。 例えば犬猫と飼主の関係が主従関係としたら、鳥と人のは伴侶、ペア。 確かによく動く冠羽がある世界最小のオウムは、顔つ
4ヶ月。 私には長かったけど、がんサバイバーの方たちの中では短いほうなのかも。 もっともっと長く治療を頑張ってる人も知ってる。 骨転移して車椅子生活を頑張ってる人も知ってる。 副作用も放射線腸炎と放射線膀胱炎くらいで済んでるし、波はあるけど食欲もある。 気持ち悪くても吐いたことはないし軽くで済んでると思う。 毎日のケアは必要だけど、リンパ浮腫も出てない。 (今のところ。しかもたまに忘れるw) 術後の傷あともかなり馴染んできた。 もっともっと大変な方がいっぱいいるのは知って
4ヶ月ぶりのリトバ診察でした。 わたしが平日入院通院の繰り返しで、コロナ感染してしまうと毎週の入院が出来ずに治療を中断しなくてはならないので、月2通院は4ヶ月お休みして、内服薬だけ送ってもらっていました。 私があまり家にいないから、お世話&体重管理が徹底できず。 おととい私が退院してきた時点で親方は39.6g(!!)。 今朝は39g。 小嶋先生の計測で38.6g。 胃腸は快調で胃潰瘍も良くなって黒色便もなし。 でも予防のためにお薬30日分追加で処方された。 漢方だからド
化学療法のケツは3月23日になりました。 2/9-3/23までは月火は外来通院、水木金は入院を繰り返すわけだけど、土日は完全になーんにもない日! でも毎週の入院を備えてるから不要不急の外出は絶対禁止。 こゆ時にコロナ罹患したら入院出来なくなるだろしね。 知らんけどw だからおうちでリラックスして過ごします。 ゆうべ日付が変わってベッドに入って、ラブい幼なじみが誕生日を迎えたからバースデーLINE。 8分後にレスくれたんだけどその間に激落ちくんでした( ˘༥˘ )ス
今朝は6時過ぎに起床。 今回は個室ではないからアラームのセットもできないし、どうしたらいいのーーーって思ってたけど起きれた。 (老化と術後の後遺症の排尿障害で) インコズとまるっと24時間離ればなれで寂しくて会いたくて震える⁝(ᵒ̴̶̷᷄൧̑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝ お茶の水が震源地になりますよ、ふふふ。 8時から朝食 病院食ってほんと美味しくない( ¯ᒡ̱¯ ) なんでこんな不味いの? 9時からシャワー浴びて9時半には出て髪乾かしてゆったり。 10時に医師が来て、抗
2泊3日の入院治療が始まりました。 今週から入院して抗がん剤治療スタート。 抗がん剤は5週入院治療を受けます。 放射線は3末まで平日毎日。(通院がめんどくさいw 9時に入院手続きをして、午前の担当看護師さんは前回も良くしてくれた女の子。 ほんと順天の婦人科病棟の看護師さんたち見てると癒されるわー。 10時には部屋に通されて12時にはお昼ごはんw 病院食ってなんでこんなにおいしくないんだろな。 出されたごはんは程々に、このあとじゃがりこ食べました笑 午後の担当看護師さんは
今日は退院後の外来予約日でした。 (イレギュラーで退院後2回救急で罹ったけどw) 血液検査、尿検査の結果から腎盂腎炎も快方に向かっていてあともうひとふんばりといったところ。 あーよかった。 菌を出さないといけないのに排尿障害だし、排尿障害が改善しなけりゃ腎盂腎炎も治らないのでは…とずっと不安だった。 でもそれよりそんなことより病理検査よ。 摘出した癌細胞は思った以上に広範囲だったそう。 目に見える転移は今はないけれど、どこに潜んでるか分からないから早期治療!ってことで抗
起床時36℃後半 夕方37℃ 就寝前38℃超え 数日続いて、尿も白濁してるような。 とゆことで今朝イチで救急外来に連絡して順天堂へ。 採血、点滴。 脱水気味らしい。 採尿も済ませて、出た結果は腎盂腎炎でした。 採血も炎症の数値上がってて、採尿も菌が散見。 ひとまず30分抗生剤点滴。 軽症でなければ入院だよって言われて、安堵。 やっぱり術後の後遺症である排尿障害がきっかけ。 入院中は膀胱炎だったもの。 とにもかくにも入院にならずによかった…。 入院の支度もしてきたけど、無駄
新年おめでとうございます。 退院して9日目。 経過はまずまず…かな。 後遺症のひとつである排尿障害。 子宮を摘出するにもいくつか術式があって、わたしは広汎子宮全摘術。 尿管の神経も切除しているために、術後の排尿で悩む方が多いそう。 自立排尿出来るまで、早くて2,3ヶ月。 悪ければ一生自己導尿だそう。 導尿も慣れました。 でもやっぱり自発的に排尿したい。 日々、骨盤底筋トレーニングに励んで1日12-15回トイレに籠り。 何せ、夜中明け方関係なく3時間毎にトイレに行ってる
今日は突発で病院へ。 導尿時の違和感、ふだんから快便なわたしの下剤服用時のしんどさを訴えてきました。 導尿じたいは入院時のトレーニングも1発目からスムーズに挿れることができたので問題なかったんだけど、3日前から尿を出し切るくらいのタイミングで逆流して空気が入ることによって、腹腔内の膨張感とその後の排尿障害が悪化してる気がしてエコーもしてもらったけど問題なしでしたw 経膣エコーでは、血の塊が散見されたけど術後2週間なりの経過とのことで問題なし。 子宮全摘するってことは
今朝の白い巨塔たちの回診で、子宮頸がんグレード4だった私の子宮摘出に加えて、下肢リンパや膀胱の細胞の切除も大きめだったこと。 がん転移を避けることはできても(100パーではない)、リンパ浮腫や排尿障害のリスクは高いと。 このままいくと尿は数時間おきに必ず出さないといけないから、年越し病院かもと話をされました。 え、無理無理無理!! 尿意が無く、排尿することもできない。 そうすると腎盂腎炎になるそうです。 ひどいと生死にかかわるんだって。 尿出すためだけに長々と入院し
入院から13日目。 手術から12日目。 入院生活、退屈です。 毎日規則正しく6時前後に起きて、午前中にシャワーと洗濯と売店に散歩がてら買い出しを済ませる。 午後からひたすらウォーキングデッドを見ながら、骨盤底筋を鍛える日々。 大人になってからこーんなゆっくりしてるの初めて。 まぁ…とにもかくにも早く退院したいです。 術後1週間ほど、尿道バルーン(カテーテル)が入ってた。 けど、これが17日(金)の早朝に解放されました。 1週間もカテーテルにおシモの世話は任せっぱなしだったの
午前に順天堂へ。 入院手続きも終わらせて、付き添ってくれた義母とも入院病棟でお別れ。 (おとちんは本社会議で付き添いNG) 病室は大部屋を希望。 3万も4万もする個室を2週間も借りたら大変…。 だけど、大部屋に空きが無くて個室になりました! 暗くて狭いけどw この状況で選り好みはあかんですからね。 初日はゆっくりシャワーを浴びたり、TVを観たり、ぐうたら過ごしていました。 手術は翌日のために、入院した時から絶食。 夜から絶飲食とのこと。 そして 下剤900mlを前夜に、2