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【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】⑫

巡礼6日目

エステーリャ  ~  ロスアルコス

■ワインの泉

エステーリャを過ぎると、リオハ州に入ってすぐ、イラーチェと言う街に着く。

そこに、巡礼を夢見る人なら必ず聞いたことがあるだろう夢のようなスポットがある。

それもワインの泉といって、蛇口を捻るとワインが出る(!)事でとても人気のスポットにになったんだとか。

いくらリオハがワインの名産地だからって、そんなことあるかい。と疑りつつ行ってみると、確かにあった。蛇口。

そして、ワインが出る

時刻は朝8時半。ディナーには少し早いけど、良いか。飲んじゃおう!!笑

朝早くにも関わらず、多くの巡礼者達がここで足を止め、ワインを飲み、そして大切なミネラルウォーターのボトルをぐいっと飲み干し、そこにワインを補充する。何ともユニークな光景だ。

■巡礼者と地域社会

多少お酒が苦手でもトライしてみたら良いと思う。僕はお酒がほとんど飲めないが、凄く美味しい!と感じた。月並みだけど、太陽とブドウの味がとても強い。

このワインの泉は、巡礼者のために地元のワイナリーが作ってくれたのだそうだ。毎朝ワインを補充しに来てくれて、その日の分が終わったらお仕舞い。

本当に、巡礼者達が地域社会に受け入れられているのだなと言うことに驚く。それだけこの道に歴史とリスペクトがあるのだと言うことに驚く。

お互いに尊重しあっているのだろう。この道は、積み重ねた巡礼の歴史でもある。その上を僕達は歩いているわけで、巡礼者たちは皆礼儀正しく、マナーを守り、ルールに則って旅をする。ここまでトラブルも見ていない。そう言うリスペクトと信頼があるからこそ、地域社会から恩恵を受けられるのだろうか。(或いは商業目的も否定は出来ないが)

いずれにせよ道を歩いていて、これだけ挨拶や応援をされることを珍しい体験だ。擦れ違い様に「ブエンカミーノ」と言われることも嬉しいし、「おはよう」と言われるだけでもハッピーになる。

自分も日本に帰ったら、何でも良いから。自分から働きかける、声をかけられる人間でありたいとシンプルに想うのだった。

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■掴み始めたペース

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道中妻と話していた事がある。

それは「標識の距離はアテにならないな」と言うこと。

いや、何も標識が間違っていると言いたいわけではなくて、自分達の体感距離と、実際の表示にはズレがあるねと言うことだ。

不思議なもので、「あと○キロ」と示されてしまうと「それで終わる!楽になれる!」と期待してしまう。そして、何となくその表示より長く感じると、その表示のせいにしてしまいがちになる。

大切なのは、自分のペースを把握すること。

一時間にどのくらい歩くのか、どのくらいの速さで歩いているのか。測ってみたらいい。(別に難しくない。一日の歩行距離と歩行時間さえ分かれば、おおよその目安は出るのだから。)

これで自分のペースが掴めれば、

「この位なら余裕が残せるな」とか、「このペースなら、途中カフェでゆっくり出来ちゃうな」とか、「何時に着けるな」とか、予想が立って物事も捗る。

自分のペースがわかって、妻のペースが分かってくる。この頃から、少しずつ僕たち夫婦は自分達の時間が過ごせるようになってきた。

■ふと思う 「流浪の民」

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サンジャンからパンプローナまでは山越えの要素が多い道を歩いたが、ペルドン峠を越えた辺りから起伏は穏やかになり、畑を眺めながら歩く時間が増えた。

どこまでも続く麦畑を眺めながら、長い長い道を歩いていると、改めて旅人になった自分を感じる。今まさに僕達は流浪の民と言ったところだろうか。

流浪の民で中学校の合唱を思い出した。

歌詞もわからず格好良い歌だなぁと思っていた程度だが、今この歳で理解した。

ドイツのローベルト・シューマン作曲のその曲は、元々は Zigeunerleben を和訳して流浪の民と名付けた。 

直訳すると、「ジプシー(Gypsy)の暮らし」

ヨーロッパの移動型民族の暮らしを歌った曲を、流浪の民と訳したのか。その起源を辿ると深く複雑なのだと知った。

同時にこれまでの1人旅も含めて、僕の放浪の旅を好む性格は、中学校の頃から既にスイッチはあったのかも知れない(掘り下げていないだけで、潜在的にあったかも、と言う意味で)と思うと人の人生は何がきっかけでどう動くのか分からないなと、改めて思うのだった。もしあの頃に曲を深く理解し、その意味に心動かされていたとしたら、今頃僕はエベレスト登頂もしていたのかもしれないな…なんて、ちょっと妄想が過ぎてしまった。

今この道を妻と歩いている現実でさえ夢のようなのに!!

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■青空カフェと、ズーモデナランハ

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数キロ~十数キロに及ぶ道を歩いていると、本当に何もない道をただ歩くと言う場面がやって来る。

そんな時に移動販売式のカフェバルは最高の癒しの空間になってくれる。

この日も丁度疲れたなぁと言う所で「ここしかない!」って思うような場所にカフェがあって思わず二人で休憩することにした。

そこは、ながーい坂を下ったところ。ちょっとした広いスペースにテーブルとイスを置いただけの素朴な作りだったが、間違いなくオアシスだった。

僕達は初めてズーモデナランハを注文した。

ズーモデナランハとは、「オレンジジュース」のこと。搾りたてのオレンジはとっても甘酸っぱくて美味しい!

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オレンジを搾る機械は、しばらく見ていても飽きない。ずーっとオレンジを搾り続けている。

皆考えていることは同じだから、自然と人が集まってくる。汗をかいた人も、疲れてへとへとの人も、皆坂を下ってここへ来ると笑顔になる。後ろで流れている音楽も、ポップで心地良い。こう言う場所って、憧れる。

■空と大地と草むらのトイレ

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長い道を歩く最中に助かるのがカフェなら、反対に困ってしまうのはトイレである。

特に女性。男性なら何となく済ませてしまいがちだけど、女性にとってトイレは死活問題らしい。(妻が言っていた)

この日、多分こんなことを日記にかくのは憚られるが妻は青空トイレデビューした。

夫婦仲良く、それぞれデビューした。

巡礼者たち共通の悩みであるトイレ問題。解決策は割りきってしまうか、こまめにバルでトイレ休憩を挟むこと。それに尽きる。

■友達に振る舞うごはん

ロスアルコスに着いたのは午後3時。公営アルベルゲでは、丁度シエスタを終えたホスピタレロが、到着した巡礼者達をせわしなく案内し始めたタイミングだった。

通された部屋には、既にキムさん達がいた。久しぶりの再会に嬉しくなる。

今日は巡礼が始まって一番のお天気の日。せっかくだし、のんびり洗濯しよう。

洗濯を終え、ベンチに座って日記を書いていると、目の前をトニーとフランシスコが洗濯しに出てきた。大男二人組が、洗濯物の水を切る機械を前に「ブラーボ!」と言いながらキャッキャしてる姿が可愛い。妻も、大のお気に入りのようだった。

夕食は、ひょんなことからライアンとヨンチャンにご飯を振る舞うことになった。彼らは酒を用意して、僕達はご飯を作る。

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何にしようか迷ったあげく、すき焼きパスタを作ることにした。ここで、日本で買ってきた本ダシとすき焼きのタレが役に立った!

「パスタだけど、日本風の味付けだよ」

そう言って皆に振る舞うと、

「え!これめっちゃうまい!ダイスケサン!シェフ!シェフ!!」

ライアンもヨンチャンも凄く喜んでくれたみたいで良かった。自炊するにあたって、こう言う顆粒ダシがあるとぱぱっと日本食が作れるからオススメだ。

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巡礼の道を歩き始めて、ここまででおよそ130キロを歩いたことになる。

日々歩き、よく食べ、よく話す。日に日に増えていく仲間(本当はもっと色んな人とやり取りがあるのだけど、書ききれない!)も、出会う景色も、妻との思い出も、全て大切なものだ。

明日はどんな出会いがあるだろう、どんな出来事があるだろう。日々、子供のようにワクワクしながら過ごしている。

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