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短編小説集《note版》

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記事一覧

いつか 秘術は解けるから

 志那子はかれこれ三十年以上、変わらず穏やかにほほえみ続けている。

 りん、とちいさく風鈴の音がして、ああそう言えばしばらく軒先に吊るしたままだった、と思い出す。片付けなければ片付けなければとそのままに、つい日が経ってしまった。朝の日課を済ませて立ち上がると足許にイツコが擦り寄ってきた。やって来たときにはまだまだ溌剌としたお嬢さんだったイツコも、今やすっかりおばあさんといった風情だ。朝夕の食事時

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わたしのお父さん

 わたしのお父さんは、とてもやさしいです。わたしは今まで、お父さんに怒られた記憶がありません。
 お父さんについて作文を書く宿題が出たので、どうしてお父さんは、わたしを怒らないのか、お父さんに聞いてみました。お父さんは笑いながら言いました。
「おまえは、お父さんが怒らなければならないような、大変なことはしないからね。」
 でも、お母さんは毎日わたしを怒ります。お部屋が片付いていない、とか、宿題をほ

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魔女、前夜。

 黒猫を、飼いたかったんだよね。
 どうして、って?
 黒猫は魔女の使い、とか、ゆーじゃん。
 あたしアホの子だったから、黒猫飼えば魔女になれるんかなーってさぁ。
 いやだから解ってるってば、そーゆーんじゃないってことは。
 魔女どうこうはおいといて、とにかく……なんだろ、黒猫飼いたいなーだけが、頭の隅っこにずうっと引っ掛かってる感じで。残ってて。

 それでさ。

 ダンボールで足踏ん張って、必

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チョコレート・チョコレート

 七度目の失恋をした。
 三十二歳の私にとって、それが多いのか少ないのかは、正直なところ解らない。ただ私は、誰かを好きになる度にいつもこんなふうに思ってきた。これが私の運命の恋で、最後の恋になるのだと。私はこの人と結ばれて未来永劫末長く幸せになるんだと。
 けれど何故か、気がついたら恋は終わってしまっている。
 理由はそのときどきで違う。単なる片想いで終わったこともある。付き合い始めたのはいいけれ

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見送りなんてしないけど。

 普段ほとんど接点もなくて、喋る機会さえまるでないあのひとに、片想いを始めて三年。何とか連絡先を交換してLINE友だちになって半年とちょっと。まだ告白する勇気も持てないままの三月の始めに、辞令が出た。異動。しかも他県の支店勤務だって。どんだけ離れてるのかGoogleマップで調べてみて、思わず笑ってしまった。

* * *

「いつ引っ越すの?」
『二十九日の朝九時半の予定』
「準備進んでる?」

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まちわびるのは、うましはる。

 昨今の小学四年生は、思った以上に忙しい、らしい。

 琴音もまた、ご多分に漏れずなかなかに多忙な小学四年生だ。学校以外にピアノと英会話の教室にも通っているから、なおさら。だから今日――三月三日のこんな時間に家でぶらぶらしてるなんて、奇跡だ。僕はむりやり仕事に一段落つけて、リビングでDVDを観ようとしていた琴音に声をかけた。
「パパとデートしようよ?」
 琴音が訝しげに眉をひそめる。ママと同じ癖だ

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ありがとう、たくさん。

 私のキャリアにとって、結婚やら妊娠やら出産なんて、はっきり言って余計な回り道でしかないと思ってた。

* * *

 ルームシェアしていた郁生となんとなくそういう関係になって、妊娠が発覚したときには、しまった、としか思えず。やっぱりピルを飲んでおくべきだったと後悔しても遅かった。
 だけど郁生が泣きながら喜んで、すぐに籍入れようなんて言い出すから、堕ろしたいって言えなくなってしまった。本当は子ど

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真夜中に。

 真夜中に目が覚める。
 きみのことを考える。

 ちゃんと眠ってるかな。
 幸せな夢を見てるかな。
 ━━あたしこのまま、きみに恋をしていてもいいのかな。

 大好きで━━大好きで大好きで。
 ひたすらなこの大好きが、きみにはきっと届かないのも、解ってる。
 解ってるよ。
 けど、大好きなんだ。

 今夜もまた、目が覚めた。
 どうかきみが、温かなお布団と、幸せな夢に包まれていますように。
 き

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"中の人"の苦悩

 僕はアイドルオタクだった。
 地下活動アイドルのライブに行っては、自慢の『オタ芸』とともに、アイドル(と言うか、まだまだこれからアイドルになっていく女の子たち)を応援する日々。
 充実した毎日だった。
 それを壊したのは、マネージャー。
 ある日、いつものように地下活動アイドルのライブでいい汗をかいた僕のもとにやって来て、こんなことを言ったのだ。
「きみのそのキレのいい『オタ芸』で、中の人をやっ

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花束なんてガラじゃない(笑)

 バレンタイン・デー、ねえ。

 本命、義理、の他にも今は、友チョコなんてのもあるんだってね。
 女子って大変だよな。

 なになに?
 チョコやらクッキーやら配る男も、居んの?
 へぇ……そりゃまたなんつうか……。

 バレンタイン。
 一筋縄では、いかねぇのな。

* * *

 女子が好きな男子にチョコあげて告白するのは日本だけで、どこだかの国では、男が好きな女子に花束をあげ

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