チョコレート・チョコレート

 七度目の失恋をした。
 三十二歳の私にとって、それが多いのか少ないのかは、正直なところ解らない。ただ私は、誰かを好きになる度にいつもこんなふうに思ってきた。これが私の運命の恋で、最後の恋になるのだと。私はこの人と結ばれて未来永劫末長く幸せになるんだと。
 けれど何故か、気がついたら恋は終わってしまっている。
 理由はそのときどきで違う。単なる片想いで終わったこともある。付き合い始めたのはいいけれど、何か違う、という些細な違和感で終わってしまったことも。
 あれは三度目――いや、四度目の失恋だった。はっきりとした言葉もないまま、だけど好きだから深い仲になった相手に、他に本命がいた。この世が終わったと思った。
 思っただけ。
 そんなことでこの世が終わるなんてこと、決してないって頭で理解できるくらいには、私はきちんとおとなだった。

 チョコレートを食べると幸せホルモンが出て、脳が勝手に幸せだって勘違いするんだってさ。

 当時人気のチョコレートをどっさりお土産にして部屋を訪れ、そんなことを話して聞かせてくれたのは麻里絵だった。チョコレートをばくばく食べながら、私は失恋相手の悪口をさんざっぱらぶちまけた。麻里絵は最初から最後まで聞き役に徹してくれた。
 それからも麻里絵は、私が失恋する度にそのときそのときで人気のチョコレートをどっさりお土産に、部屋を訪れてくれた。
 カレシなんて要らない。
 チョコレートさえあれば――悪口やら愚痴やらの合間に、そんな科白を繰り返していた、あの頃。
 あの頃よりも私は、きちんとおとなになれているのだろうか。二か月前に麻里絵はママになったというのに。
 今にも麻里絵が、チョコレートの詰まったショッパーズバッグを両腕に提げて部屋を訪れるのではないかと、悪口や愚痴に延々付き合ってくれるのではないかと期待している私がいる。その期待が実現することはないと、頭では理解できるのに期待し続けている。だから私は、ほんとうはおとなになんて、ちっともなれていないのかもしれない。


 失恋の痛手を胸にしたままの、休日の午後。適当な服を着て大雑把に化粧をして出かけた。世間で大人気のチョコレートを、いったい誰が食べるんだろうかと思うほどどっさり買ってやった。お給料日の直後でなかったら、懐もたいそう痛んだことだろう。帰りの電車で次のお給料日までを指折り数えて、しばらくランチは控えてお弁当にしなくちゃな、なんてことを考える。
 部屋に帰りつくと化粧を落としてルームウェアに着替えた。シャワーはもう、面倒だ。ショッパーズバッグからチョコレートを取り出してテーブルに置いた。
 箱を開けると、今まで閉じ込められてやきもきしていたかのようにぶわっと、甘い香りが立ち上った。ひとつつまんで、口に放り込んだ。噛まずにゆっくりと、そのべったりとまとわりつくような甘さを味わった。じわり、と涙が溢れてきた。
 ひとり。
 わたしは、ひとりだ。
 痛いくらいに、ひとり。
 次のチョコレートを口に運んだ途端に、左目からぼろりと滴が落ちた。それがきっかけだった。涙と鼻水があとからあとから溢れ出して、拭いても拭いてもきりがない。ぐずぐずになっていく。ぐずぐずになりながらもチョコレートをばくばく食べていたけれど、涙と鼻水の勢いが衰えることはなく、ついでに嗚咽も溢れ始めた。えぐっ、うええっ、ひっくひっく。もうチョコレートは食べられない。涙と鼻水と涎にまみれながら、うわーんうわーんと大泣きに泣いた。どろどろのぐちゃぐちゃだった。


 そうしてどれくらい、泣いていたのだろう。目の縁でこぼれそこなった涙をティッシュで吸い取った。リビングのあちこちに、丸められて放られたぐずぐずのティッシュが散らばっている。あーあーもう、しょうがないなあ、那奈は。耳元でふいに、麻里絵の声がした。
 いつだって麻里絵は、どろどろのぐちゃぐちゃになった私の産み出した、ぐずぐずのティッシュを嫌がる素振りも見せないで、淡々と屑入れに放り込んでくれた。泣きすぎたせいかきりきりと痛む頭で私は、ぐずぐずを拾っては屑入れに放り込んでいた。たまにチョコレートを食べ、新たなぐずぐずを量産しながら。
 ぐずぐずがひととおり片付いてしまうと、すっかり気持ちは落ち着いていた。屑入れから溢れそうなほどのぐずぐずを産み出したのか、私は。急に何もかもが滑稽に思えて少し笑った。チョコレートの食べ過ぎで胸焼けがしてきた。ああ気持ち悪いと呟いてごろりんと仰向けになる。灯りが眩しい。その輪郭がゆっくりじんわりとぼやけ始めたので、私は静かに瞼を下ろした。





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