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【目印を見つけるノート】1200.『七月大歌舞伎』よもやま観覧記(3)

きのうも暑かったです。
でも、雲は興味深い形でした。

本稿で1200日めになりました。
1222日めが楽しみだなあ😁(ゾロ目が好き)

さて、『七月大歌舞伎』の夜の部演目を1日ひとつずつ書いていますが、今日でお開きということになります。

そういえば、木挽町広場で本を一冊買いました。結局どこへ行っても買うのは本になってしまうようです。
『市川團十郎代々』服部幸雄著 講談社学術文庫

人形焼も買いましたけど😅

本文の内容は2002年のものですが、帯に『祝、十三代目襲名!』とあります。そうかあ、今の團十郎さんは十三代目なのですね。

6年ほど前に書いた『姫様と猫と勧進能』というお話で、江戸の延宝期の初代市川團十郎について触れたことがあります。

歌舞伎の以前に能(猿楽)というのがありますが、当時は武家に重んじられ将軍ご用達になっていたりして、庶民の娯楽ではなくなっていたように見受けられます。
歌舞伎の祖である阿国もとうに世を去って(おそらく慶長からあまり間をおかず世を去ったでしょう)、風紀を乱す云々と公儀から制限をかけられたりしていたところに彗星のごとく現れたのが、荒事芸がトレードマークの初代團十郎でした。
『勧進能』では、主人公の松姫がときの将軍家綱に「市中では荒事の市川團十郎が評判になっていますが、そもそも猿楽(能)の敷居が高すぎるのです」とピシャリと言います。

まあ、それだけなのですがすみません。
いくつか資料を見て、本当に大きな存在だっただろうと感じています。

余談になりましたが、当世團十郎さんが何役もこなす演目への期待ということで振らせていただきました。

3つめの演目は『鎌倉八幡宮静の法楽舞』です。

こちらも歴史に伝わる逸話がベースになっています。源義経の愛妾・静御前が鎌倉に引き渡された後、源頼朝が静御膳に舞うよう命じます。静は、男性の装束でうたやおどりをする白拍子の名手でした。
「誰が仇のお前のためになど踊るものか」と思ったでしょうが、神社への奉納のためと言われて断れず静は義経への恋しさを込めて鶴岡八幡宮で舞います。ちなみにここで銅拍子を畠山重忠がつとめています(武蔵野のところで出しました)。当然頼朝は怒りますが、妻の政子が説いて諌めたそうです。

閑話休題、
お耳を拝借。
「え、そんな歴史を知らないと楽しめないの?」と思われるかもしれませんが、全然大丈夫です。

知っていても邪魔にはならない程度、知らなくても楽しめます。それはこれまでの2つの演目にも、他のものにもいえることです。
何より、知っていたからと言って偉いわけではありません。せいぜい長屋の大家さんぐらいかな。

江戸の観客の皆さんも歴史に通暁しているのは少数だったはず。
歴史に材料を取っても、まずお腹いっぱい楽しんでもらうことが作者や役者の狙うところでしょう。ですから、そのまま歴史を引っ張ってこない。アレンジして、誇張して取り入れたりします。
観るときは単純に、「助六サイコー♥️」というようなのがいいのです。

ただ、
自分の中で興味を持って知ろうとし続けると、どんどんイメージが出来ていきますし、いろいろなシーンと自分のイメージが交差して、ミックスして、化学反応を起こして、凄いことになったりはすると思います。
書くにはそれも大事かなと。

もとい、

私も特に構えず、「静御前が踊るんだろうな」程度の認識で幕開けを迎えました。
いやいや、いやいや、奇想天外かつ圧倒的な演し物でした。

旅の僧たちがもののけの出るところにやってきて祈祷退散させようとします。ん?この展開は能の『道成寺』を思わせます。
思えば、能のかたちを歌舞伎がまったく無視しているわけではありません。展開が通ずる作品もあります。
その一見、夢幻的展開から團十郎さんの老婆がせりあがってきます。
そしてもののけの登場。とはいえ、おっかない化け物ではなく新之助さん演じる提灯のおばけ、かわいいことこの上ありません。そこからはもう、この世かあの世か分からない世界になります。白蔵主、三ツ目、油坊主、三途の川の船頭が次々と登場し、町娘と若船頭(市川ぼたんさんと市川新之助さん)がさらに登場。愛らしい😆けれど見事に舞われます。
舞台は鎌倉八幡宮になります。鶴岡八幡宮にそっくり👀‼️
老女は、静御前となって舞いはじめます。義経も現れたのち、静が化けた姿になります。
ここが最終形態?ですね。

観ていると予想外の展開の連続で目が離せませんでしたが、最終形態の化けた姿が圧巻でした。息を飲むほどの力強い踊り、静御前と言いつつもこの上なく男性的でした。

目が釘付けになりながら、「これが荒事というものか」と思いました。
正義の味方が活躍するのもそうですが、この姿に不動明王を見ているような力強さを感じたのです。江戸の観客もこの力強さに痺れたのだろうと感じました。

ちなみに、團十郎さんは静御前・源義経・老女・白蔵主・油坊主・三途川の船頭・化生を演じられました。

この演目で特筆すべきは「音楽」でした。
5つのかたまり(河東節連中・常磐津連中・清元連中・竹本連中・長唄囃子連中)に配置されたお囃子や謡の皆さんがときには順繰りに音を鳴らし、ときにはひとつの音を奏でる。聴いていてオーケストラの中にいるような壮大さを感じました。
素晴らしかったです。

この演目は、チラシにもある通り「九世市川團十郎没後百二十年 新歌舞伎十八番の内」となります。また、「平成30年に復活上演された」のを節目の年に上演するとも。

その意味が今ひとつよく分かりませんでしたので、買った本を読んでみました。そこから自分が飲み込んだ部分を。

九世の團十郎さんは、ちょうど江戸と明治の境に生きた方です。時代は変わって文化も変わってザンギリ頭。言葉も芸能も変わっていった頃です。そこにあって九世は新しい時代に適した歌舞伎を作っていきました。もともと、「歌舞伎十八番」という定番人気の演目がありましたが、そこに「新歌舞伎十八番」を加えたのです(十八で区切ってはいないそうです)。その構想は七世の頃からあったそうですが、形にしたのが九世なのです。

今回の演目はそのひとつですが、
平成の復活上演でさらに新しい着想を加えたそうです。

本も読んでみるべきだと思いました。他にも気づいたこと、たくさんありました。なぜ白猿さんというのかも。それらを全て書いているとたいへんな文字数になりますので割愛しますが、
いい無駄遣いをしたなと思います。

演目を3つ見終えて外に出ると、もうすっかり暗くなっています。

濃厚な時間を過ごさせていただきました。
私の隣に座っていた女性が、「本当に素晴らしかったですね」
と言いつつ、ほうと息をついていらっしゃいました。

同感です。

感染症や何やらあって、歌舞伎もたいへんでした。いや、今もたいへんかもしれません。それでも、これだけの熱量や技芸、演出を持って不断に舞台を作っている。歴史も踏まえたこのようなエンターテインメントは世界を見てもそう多くはないだろうと思います。
簡単になくなるものではないと思いますが、なくしてはいけないものだとも強く思います。

今回の歌舞伎観覧のきっかけをくれた、め組の半鐘と芝大神宮にありがとうございます🙏

以上、『七月大歌舞伎』を観覧しての感想などでした。お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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