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【目印を見つけるノート】1230. 杉並の八幡さまとふたりの釣り人
朝から書店さんに電話をかけて、目当ての本があるか聞きます。最初はアウトで次はセーフ、ありがとうございます🙏 川崎か五反田まで覚悟していました。
こういうときは、とことんアクティブだなあと思います。
きのうは、こちらの駅に降りました。
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上井草(杉並区)です。
西武新宿線に久しぶりに乗りました。
たぶん、奥多摩合宿(サークル)の帰り、拝島から乗った以来では🤔
あと、某大学付属高校の文化祭展示を見に行きましたが、この辺りだったような気もします。練馬だったかな~あ、上石神井。それほど遠くないですね。ただし西武線ではなく、地獄のママチャリロードでした🚴
荒川からですから片道20kmはあったと思われます。現地合流した友人から、「まじチャリで来た~😱」と賞賛ならぬ恐怖の悲鳴が……ははは。
私のチャリの話ではありませんでした。いずれにしてもこの辺りに来るのは大学以来です。
人生がロードムーヴィーのようならいいですけれど😊
アニメ制作の『サンライズ』がここにありましたので、ホームには『ケロロ軍曹』がいますし、駅前には『ガンダム』像が鎮座しています。私はクルルが好きですね。モアちゃんはかわいいですが、破壊的です。
この辺りは杉並区のスポーツセンターはじめ、スッキリパッキリした広い建物が多いですので、迷いようがない感じです。道も真っ直ぐです。炎天下に真っ直ぐな道を見ると、「ああ、あんなに歩くのか……」と脳の中に陽炎が立ちますが(冗談)、日陰や木陰というオアシスもあります。
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ここに来たのはたまたま用事があったからですが、つくづくラッキーたまたまだなあと思います。なんて幸せ❤️
武蔵野フィールドワークがまたできる😄😄😄
世田谷区二子玉川の近くで野川のほぼ終点をたまたま見つけたことに端を発して、
「野川って調布とかあっちの方ではなかったかな」→
「調布とかって武蔵野ですよね」→
「武蔵野ってどの辺りまでがそうなのかな」→
「野川の終わりは武蔵野の果てだろうか」と考えるにいたりました。その絡みの記事をマガジンにしています。
『夕暮れ野川は武蔵野の果て?』
ということで、その続きなのです。
この一帯は東京23区の西の端っこになります。杉並区ですが、ちょっと北へ行けば練馬区です(石神井の辺り)。少し南は荻窪・西荻窪。吉祥寺もすぐ近くで、皆さんが武蔵野と言われてまずイメージするエリアなのではないでしょうか。
きのうはまず、大きなヒマラヤスギを見ました。のっぽです。5階建てのビルぐらいかしら。区の保護木となっていますね。
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緑の多いところです。花の植栽も自然に任せているように見受けられる箇所があります。単純に、炎天下でホッとするような風景です。
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時間の都合もあって、やや早足で早稲田通りを直進します。すると分岐した地点に緑の濃い一画を見つけます。
井草八幡宮です。
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たまたま通りがかりにお参りするのを好まれない方もいらっしゃるかと思いますが、私は土地にお邪魔しているご挨拶のような気持ちで伺います。
びっくりしました。
広い参道に蝉が大合唱でした。千匹はいるのでは、ぐらいの大合唱です。近年聴いたうちで最大級でした。おしっこをかけられなくてよかったです(ニアミスあり回避)。
こちらのお社のことは知らずに来たのですが、源頼朝ゆかりの松がありました(2代目だそうです)。
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拝殿などでお参りしてきて出てきたのですが、本当に立派なお社だと思いました。そうですね、広い参道、拝殿の手前に門があること、拝殿の敷地に回廊があるからでしょうか。ストレートに明治神宮を思い出しました。厳密には違うのですけれど。
杉並区には大きな八幡さまがみっつあるそうです。大きい順に、大宮八幡宮、井草八幡宮、荻窪八幡宮です。明治神宮を思い出したのも道理で、大宮八幡宮は都内(23区かな、データ元がはっきりしません)で3番目の敷地面積、井草八幡宮は4番目だそうです。1位は明治神宮で2位は靖国神社だとのこと。杉並区の八幡さまがふたつ入っているのですね。
大宮八幡宮は永福の方らしいのですがこちらより大きいのですか。
いずれにしてもこれほどのお社に出会うのは素晴らしい偶然だと思いました。しばらく木陰で休憩もさせていただきましたが、入ってから出るまでどなたもいらっしゃらなくて、セミや蝶とゆっくり過ごさせていただきました。
昔から寺社がある土地は緑が多い印象ですが、それを再確認できる場所でした。
さて、井草八幡宮から少し進むと、善福寺池公園があります。ちょっと時間がなくなってきたので、駆け足気味の写真を。
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杉並区、中野区を流れる善福寺川はこの公園の奥にある遅野井(ちのい)の滝が水源となっています。
さてここで、井伏鱒二さんにご登場いただきます。パチパチパチ👏
井荻村(杉並区清水)へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。清冽な感じであった。知らない者は川の水を飲むかもしれなかった。川堤は平らで田圃のなかに続く平凡な草堤だが、いつも水量が川幅いっぱいで、昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨のような丸葉の水草なども生えていた。
私が不思議に思ったのは、この土地の人はこの綺麗な川に、なぜ鮎を放流しないのだろうということであった。去る大正十年頃、甲州の河口湖、精進湖、本栖湖に鮎の卵の植附が試されて以来、関東各地の河川に鮎の稚魚を放流する行事が行き渡るようになっていた。安達さんという釣好きの代議士が内務大臣になると、富士川支流の下部川や常葉川に川鱒を放流させ、釣師たちを刺戟して画期的な出来事だと喜ばせた。善福寺川のように遊水地から出る水流なら、鮎だけではなく川鱒の放流も不可能ではない筈だ。
善福寺川も大宮公園から下の川下は、井ノ頭池や妙正寺池から流れて来る水と合流し、早稲田の関口大滝の川下から飯田橋のドンドンでお仕舞だが、妙正寺池や井ノ頭池の水も共に武蔵野の湧水である。鮎の放流ができない筈はなかったろう。
『善福寺川』
井伏鱒二『荻窪風土記』所収(新潮文庫)
さすが太公望、鮎の放流ですか。
井伏さんが荻窪に引っ越してきたのは1927年(昭和2)だということですので、冒頭の感慨もその頃から持っていたものでしょう。マニアックなようですが、釣りができるかできないかというのは「川がきれいかどうか」というのと同義です。
そこに太宰治さんの話が出てきます。
私が善福寺川へ最後に釣に行ったのは、太宰治が私のうちに来て、一緒に散歩がてら一本竿で釣に行ったときである。そのときも川の水はまだ澄んでいたが、私も太宰も釣れなかった。それより前、太宰治は大学に入りたてのころ私のところに手紙をよこし、返事をうっちゃって置くと二度目か三度目かの手紙に、会ってくれなければ死んでやると言って来た。私は気になるので返事を出し、私たちの同人雑誌を出していた作品社の応接間で会うことにした。
『善福寺川』
井伏鱒二『荻窪風土記』所収(新潮文庫)
この初対面は1930年(昭和5)頃のことと思われます。以後、お二人は交流を持つようになりました。その頃の太宰さんの様子を綴りつつ、話は釣りに戻ります。
この日、私は太宰を連れて善福寺川の釣場へ行ったが、何もかもお話にならなかった。ガード下の洗い場でも、その下手の薪屋の堰でも釣れなかった。餌は、西隣の上泉さんが庭の隅に飼っている縞蚯蚓だが、丹念に振り込んでみても手応えがなかった。川の水が魚を生かして置く力を無くしたのだろう。この川はもうお仕舞だと思った。
『善福寺川』
井伏鱒二『荻窪風土記』所収(新潮文庫)
井伏さんはお家を買って転居しましたが、その後も長くこの土地に住み続けました。一方、太宰さんは1948年(昭和23)に玉川上水で亡くなります。思うところはたくさんあったと思うのですが、太宰さんと釣りをしたのが「この川のお仕舞」だったのは、井伏さんにとってとても強い印象となったのでしょう。
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善福寺池に始まる善福寺川は延長10kmにわたります。それを通しで歩けたらよかったのですが、今回は叶いませんでした。
帰途バスで荻窪駅に向かいながら、また来てもう少し歩きたいなと思いました。この本をお伴にしたいなとも。
二人のもの書きの辿る道も、また武蔵野の風景だと思うのでした。
今日の曲です。
Fishbone『All We Have Is Now』
ああ、懐かしい、といいつつも新曲です。ノリノリ健在ですね。
今は過去にもなるし、未来にもなりますが、今手にできるのは今だけなのですね。
それでは、お読み下さってありがとうございます。
尾方佐羽
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