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【目印を見つけるノート】414. 毎日を流さないようにしたいです

2021年5月21日(金)雨や曇り風強い
月齢9.3
📔きのうのことを書いています

5時起床。空が重たい感じです。
最近は朝の駅頭にいろいろな政党の人が立っています。いつもなら、「あ、選挙を見越しているのかな」と思うだけなのですが、ここのところは少し様子が違っていて、ワクチンの話などが多いようです。
このような情勢の中で、政治の立ち位置もいくらか変わってきているように思います。

普通に街を歩いているでけでも、目に入る情報があります。駅頭に立つ人もそうですし、道端に咲く花も。

お仕事は、きのうのカオス?が嘘のようにスムーズでした。やはり突発事が多いかそうではないかということは大きいのだと思いました。

この定例投稿の400回から内容を日記にシフトして2週間が経ちました。内容は流動的で、ニュースに寄ったり、これまでの投稿に寄ったりしていますが、しばらくはこのような調子かなと思っています。固定すれば続けるのは簡単になるでしょうが、それでは飽きてしまうでしょう。

毎日を流さずにちゃんと見ていたいな。

それがベースでしょうか。
ただ、もっと短くした方がいいかなとは思っています。

スマホに出てくる情報は、書いたことに合ったものが出てきます。ボブ・ディランを書いているからボブ・ディラン、ばらだからばら、月齢を書くから占い……書いている内容に面白いぐらい沿っていますね。でも、それは「書いたこと」をベースにしたご提案です。あと、個人情報に類するものも出てきますね。突っ込みませんが。

それらの情報はたいてい心地のよいもので、どっぷりはまっているのも悪くないなと思ったりしますが、そうですね、60年代の洋楽の情報やミュージシャンの(若い頃の)ポートレイトばかり見ていると、「いまはいつやねん?」と思います。
麻痺してくるのを感じます。
確かに、それらを熱心に聴いていた時期から見れば、夢のような情報量です。だいたい、動く海外ミュージシャンの姿なんて、フィルムコンサート、長じてMTVぐらいでしか見られませんでしたもの。

私のように、旧い音楽を書いているとそうなりますが、例えば、新しいことを書いていれば「寄り」にはならないのでしょうか。

今を書こうと思うと、やっぱり「寄り」な部分から一歩踏み込んでみる必要があると思うのです。パッシヴではなくて、自分で取りに行くということです。

お仕事で政策調査室という部署にいたことがありますが、そこは「取りに行く」世界でした。必要な情報をたくさんの媒体から取捨選択しなければなりません。そのための見識も必要になりますが、私にはとてもとても。でも、そのような場所にいたことで、「取りに行く」というのがどのようなものか、少し分かったように思います。勉強になりました。

この定例記事では好きなことを書いていますので、趣味趣向は出ていいのかなと思います。ただ小説で500年前とか800年前を書いていますので、SNSでは今を意識したいなと思っています。
あ、紹介する音楽は旧いかもしれませんが、この分野は廃れてほしくないというのもあります。懐かしいと言われるのもいいですが、「こういうのもあるのか」と思っていただけたら最高だなって。



今日のディランさんの1曲はこちらです。
BOB DYLAN『My Back Pages』

この前、小説で「マスケット銃」という言葉を出しましたが、歌詞で出てくるのはそんなにないのではないでしょうか。この曲には出てきます。Masketters。アレクサンドル・デュマの『三銃士』からのイメージでしょうか。
このときディランさんは……22か23歳か、びっくり。それぐらいでMaskettersを歌詞に入れられるんだと。たくさん本を読んだだろうとか、勉強したんだろうというインプット量の話ではなくて、そういったものを比喩的なストーリーとして書く力があったのだろうなと想像します。詩ですね。
この歌詞は、ポール・エリュアールの詩の一節、
〈いろんなことがある
 気を付けた方がいい〉
も思い起こさせます。どうでしょう。

この曲のサビは「あの頃はずいぶん年老いていた。今の方がずっと若い」という、それこそ、「あんたいくつやねん」と突っ込みたくなるような言葉なのですが、何となく納得している今の自分がいます。

私は10代20代の自分より、今の方がずっとやわらかいなあと思っています。

イスラエルとハマスの間で停戦合意がなって、歓喜するガザの街の映像を見ました。
よかった。
サラーム=シャローム。

それでは、読んでくださってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 週末は小説にかかりきりでしょう。


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