(伊達)大條家

当家は大條実頼の三男 大條頼廣のそのまた分家という傍流ですが、大條家の歴史に関連する記…

(伊達)大條家

当家は大條実頼の三男 大條頼廣のそのまた分家という傍流ですが、大條家の歴史に関連する記事を幅広く書いていきます。大條家の情報をお待ちの方や、大條家末裔の方など、お気軽にご連絡頂けますと幸いです。 ※「おおえだ」と読みます。

最近の記事

大條市蔵(大條宗綱の弟?)

正体不明の「大條市蔵」について記載いたします。 そもそも大條市蔵とは慶長九年(1604年)二月の貞山公治家記録に名前が出てきます。 ------------------- 直ニ牡鹿郡遠島へ御出、御鹿狩アリ。 今度御供ノ輩、茂庭石見、屋代勘解由兵衛、大條薩摩、(中略)、大條市蔵、(中略)、藤田少的等ナリ。 ------------------- (「貞山公治家記録 巻之二十一」) また、本田勇氏著の「仙台伊達氏家臣団事典(2003年)」P137の系図には大條宗直の子(二男)と

    • 大條宗綱(大條家第八世)

      通称:長三郎、左衛門、三郎左衛門 生誕:天正十三年(1583年) 死没:元和三年(1617年)十二月二十四日 諡名:心月院本室円公居士 父母: 大條宗直(大條家第七世)、新田景綱の娘 兄弟: 大條市蔵(詳細不明 / 一部系図に名前あり) 妻:中島宗求の娘 子供:なし(大條実頼四男宗頼を養子とする) 大條宗綱は天正十三年(1583年)に大條宗直の嫡男として伊達郡大枝邑で誕生しました。 その後、家督を継ぐまで、大枝→大蔵→北目→蟻ケ袋→長部と幾多の処替を経験し、慶長十五年(16

      • 大條実頼(着座大條家第一世)【下】

        前編はこちら 中編はこちら 兄である大條宗直と共に、伊達家第十七世 伊達政宗へ仕え、大條家歴代の中でトップクラスの有能さを遺憾なく発揮したことで、大條家として初の分家を立ち上げ、以降の大條家に絶大な影響力を残している大條実頼について記載いたします(後編) 文禄ニ年(1593年)、豊臣秀吉からの命令により四月に海を渡り、九月半ばに戻ってきました。その後兄である大條宗直は三年間、伏見留守居役として京都に滞在しておりますが、大條実頼がどうしていたかは記録に残っておりません。 し

        • 大條実頼(着座大條家第一世)【中】

          前半はこちらをご覧ください。 兄である大條宗直と共に、伊達家第十七世 伊達政宗へ仕え、大條家歴代の中でトップクラスの有能さを遺憾なく発揮したことで、大條家として初の分家を立ち上げ、以降の大條家に絶大な影響力を残している大條実頼について記載いたします(中編) 天正十八年(1590年)六月九日、主君の伊達政宗は小田原で関白 豊臣秀吉へ謁見し、遅参の許しをもらうことができましたが、ここから伊達家にとって苦難の連続となります。 豊臣秀吉の奥州仕置きにより、小田原参陣をしなかった

        大條市蔵(大條宗綱の弟?)

          大條実頼(着座大條家第一世)【上】

          着座大條家第一世 大條実頼 通称:越前、薩摩 生誕:弘治ニ年(1556年) 死没:寛永元年(1624年)八月九日 諡名:大安院殿国山英公居士 父母: 大條宗家(大條家第六世)、小梁川親宗の娘 兄弟: 女(伊達鉄斎夫人)、大條宗直(大條家第七世) 妻:中山大蔵の娘、藤沢近江の娘 子供:大條元頼(着座大條家第二世)、大窪元成(大窪家養子)、大條頼廣(平士大條家第一世)、女(黒木正三夫人)、女(高屋快庵宗伯夫人)、大條宗頼(大條家第九世) 兄である大條宗直と共に、伊達家第十七世

          大條実頼(着座大條家第一世)【上】

          大條宗直(大條家第七世)【下】

          前半はこちらをご覧ください。 独眼竜の異名をもつ伊達家第十七世 伊達政宗と時代を共にしたことで、大條家の中でトップクラスの知名度でありながら、最も苦難に満ちた波乱の人生を歩んだ大條家第七世 大條宗直について記載いたします(後編) 天正十八年(1590年)六月九日、主君の伊達政宗は小田原で関白 豊臣秀吉へ謁見し、遅参の許しをもらうことができました。伊達政宗は会津黒川城へ帰還の三日前(六月二十二日)に大條宗直へ手紙を出しております。 (『貞山公治家記録 巻之十三』 ) ---

          大條宗直(大條家第七世)【下】

          大條宗直(大條家第七世)【上】

          大條家第七世 大條宗直 通称:尾張 治家:三十四年 生誕:不明 死没:慶長十五年(1610年)七月十日 諡名:清節院殿竹篭盛公居士 父母: 大條宗家(大條家第六世)、小梁川親宗の娘 兄弟: 女(伊達鉄斎夫人)、大條実頼(着座大條家第一世) 妻:新田景綱の娘 子供:大條宗綱(大條家第八世) 独眼竜の異名をもつ伊達家第十七世 伊達政宗と時代を共にしたことで、大條家の中でトップクラスの知名度でありながら、最も苦難に満ちた波乱の人生を歩んだ大條家第七世 大條宗直について記載いたし

          大條宗直(大條家第七世)【上】

          大條宗家(大條家第六世)

          大條家第六世 大條宗家 旧名:留守宗安、大枝稙景 通称:参河、三河、左衛門 治家:二十一年 生誕:不明 死没:天正四年(1576年)十二月八日 諡名:南禅院殿一嵒道曽居士 父母: 留守景宗(留守家第十六世)、留守郡宗の娘 兄弟: 留守顕宗(留守家第十七世)、佐藤景高 妻:小梁川親宗の娘 子供:女(伊達鉄斎夫人)、大條宗直(大條家第七世)、大條実頼(着座大條家第一世) 大條宗家は大條家に初めて他家から養子に入った人物であります。 実父は留守家第十六世の留守景宗で、祖父が伊達

          大條宗家(大條家第六世)

          大條宗景~大條宗助(大條家第二世~五世)

          大條家第二世 大條宗景 通称:内記 治家:二十六年 生誕:不明 死没:応仁元年(1467年)三月二日 諡名:雲祥院殿雄峰賢英居士 父母: 大條宗行 (大條家第一世) 兄弟: 不明 妻:不明 子供:大條宗元(大條家第三世) 大條家第三世 大條宗元 通称:掃部 治家:三十三年 生誕:不明 死没:明応九年(1500年)九月二十八日 諡名:千勝院殿運外良壽居士 父母: 大條宗景 (大條家第二世) 兄弟: 不明 妻:不明 子供:大條宗澄(大條家第四世) 大條家第四世 大條宗澄

          大條宗景~大條宗助(大條家第二世~五世)

          大條宗行(大條家第一世)

          大條家第一世 大條宗行 通称:孫三郎 治家:二十七年 生誕:不明 死没:嘉吉二年(1442年)正月五日 諡名:徳本満春院殿大岳全古居士 父母: 伊達宗遠 (伊達家第八世) 兄弟: 伊達政宗(伊達家第九世 / 大膳大夫)、女(最上直家夫人) 妻:不明 子供:大條宗景(大條家第二世) 大條家の始祖といえばこの人、大條孫三郎宗行です。 応永二十二年(1415年)に伊達郡大枝邑(現 梁川町東大枝)を賜り、大條氏(大枝)を称しました。 宗行の具体的な治績は残されていませんが、伊達

          大條宗行(大條家第一世)

          大條家 家系図 (下)

          前回の記事はこちらをご確認ください。 大條実頼には四人の息子がおり、長男、三男、四男は現在の大條家末裔の家祖となっております。 長男:大條元頼 二男:大窪元成 (大窪家を継ぐが早世により断家) 三男:大條頼廣 四男:大條宗頼 - 長男:大條元頼 まずは長男 大條元頼の家系です。大條元頼は大條実頼の直系として、丸森→尾山に領地を有し着座の家格で明治維新を迎えました。 - 三男:大條頼廣 続いては三男 頼廣(頼広)の家系です。大條頼廣の系統からは多くの分家が生まれており

          大條家 家系図 (下)

          大條家 家系図 (上)

          大條家には多くの家系図が残されております。 なかでも代表的な家系図は山元町歴史民俗資料館に保管されております。 こちらはNHKファミリーヒストリー「伊達みきお(サンドウィッチマン) 〜伊達の名に誓った覚悟とは〜」でも登場したものです。 坂元(山元町)に残されており、また第十三世 大條監物道任(篤恭)~ 第十七世 大條孫三郎道徳までの系図も追記されている為に、当然ながら大條本家(大條流伊達家)に伝わったものだと思われます。 なお、この家系図は東北アジア研究センター叢書第70号『

          大條家 家系図 (上)

          大枝から大條へ

          ※今回の記事の大枠は、大條家第二十世 伊達宗行氏が昭和63年に発行(非売品)された、「翠雨山房夜話(上)」から引用・出典させていただいております。 大條家末裔にとって大條一族はいつから大枝→大條へと字を改めたのかというのはとても大きな関心事です。 その謎を伊達宗行さんは「完全な史実ではない」「筆者の推測が入ってる」と断りながら、下記のように記されております。 ------- ・初めから大條村があって大條姓が出来て、後に村名が大枝になった説もあるが恐らく異なる。 ・最初にあ

          大枝から大條へ

          大條家の家紋

          ①抱き沢瀉 ②三ツ引両 ③九曜

          大條家とは

          大條(おおえだ)家は陸奥国の大名・伊達氏の庶流。 伊達氏第八世 伊達宗遠の二男 宗行が、伊達郡東大枝(現:伊達市梁川町東大枝)の袖ヶ崎に居城である大枝城を築き、大條氏(当初は大枝)を称したことから始まりました。 第七世 大條宗直は伊達政宗に従い緒戦で活躍し、第八世 大條宗綱の時代にかけて伊達郡東大枝→伊具郡大蔵村→名取郡北目→志田郡蟻袋→気仙郡長部→東山大原村→亘理郡坂元へ知行替えとなり、第十七世 大條道徳(伊達宗亮)の時代に明治を迎えました。仙台藩の家格制度においては「一