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大條市蔵(大條宗綱の弟?)

正体不明の「大條市蔵」について記載いたします。
そもそも大條市蔵とは慶長九年(1604年)二月の貞山公治家記録に名前が出てきます。
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直ニ牡鹿郡遠島へ御出、御鹿狩アリ。
今度御供ノ輩、茂庭石見、屋代勘解由兵衛、大條薩摩、(中略)、大條市蔵、(中略)、藤田少的等ナリ。
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(「貞山公治家記録 巻之二十一」)

また、本田勇氏著の「仙台伊達氏家臣団事典(2003年)」P137の系図には大條宗直の子(二男)として記載されております。
こちらの系図は(山元町史および伊達市教育委員会所蔵 亘理伊達家文書「伊達族譜」(東北歴史資料館・マイクロフィルム)他により作成)とあり、山元町史には大條市蔵の名前は見当たらない為、恐らく「伊達族譜」に名前があったものと推察いたします。
※筆者は「伊達族譜」をまだ拝見できてないのです…

つまり、大條宗綱の弟とのことですが、私が目にした他の大條家の系図や、書物にはその記載が一切なく、果たして本当に宗綱の弟なのでしょうか。

大條市蔵の謎に迫るに当たって、まず注目する点は「市蔵」という名前です。この時代の大條本家の通り名である「宗」が付いておりません。(分家 大條家の通り名は「頼」)
また、名前の響きもこれまでの大條家とは趣が異なり、可能性としては以下の2つが考えられます。
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①幼名
②出家後の名前
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そしてここでもう一つの手がかりである貞山公治家記録に話を移します。
上述の通り、「貞山公治家記録 巻之二十一」に慶長九年(1604年)二月の出来事として、「大條市蔵」の名前が出てきます。
伊達政宗と鹿狩りをしたという内容なのですが、よく考えると仮に②出家の場合、鹿狩りなんかするわけないので、ここで②の可能性は消えました。

ということで①の幼名が濃厚でしょうか。
それでは次に気になるのは誰の幼名なのかということです。系図の通りであれば大條宗綱の弟ですが、もし弟の場合、宗綱死去の際、家督相続候補に全く名前が上がらないのは不自然です。
もちろん市蔵が宗綱死去の前に若死している可能性もありますが、改めて「貞山公治家記録 巻之二十一」を確認してみることにします。
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直ニ牡鹿郡遠島へ御出、御鹿狩アリ。
今度御供ノ輩、茂庭石見、屋代勘解由兵衛、大條薩摩、(中略)、大條市蔵、(中略)、藤田少的等ナリ。
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(「貞山公治家記録 巻之二十一」)

そうなんです。大條実頼と一緒なんです。
この時の大條実頼は仙台藩 奉行職を長年努めている最高幹部の一人です。その実頼が牡鹿郡遠島へわざわざ甥っ子(兄の二男)を連れて行くでしょうか。
百歩譲って本家嫡男の大條宗綱であれば可能性はありますが、その弟をこのタイミングで随行させることは考えにくいです。

よって謎の人物 大條市蔵は「大條宗綱の弟」でなく、下記いずれかの幼名であった可能性が高いと推測してます。

A:大條宗綱(大條家第八世 / 実頼の甥)
B:大條元頼(着座大條家第ニ世 / 実頼の長男)
C:大窪元成(大窪家養子 / 実頼の二男)
D:大條頼廣(平士大條家第一世 / 実頼の三男)
E:大條宗頼(後の大條家第九世 / 実頼の四男)

表にするとこんな感じです。

慶長九年時の年齢

まずA:宗綱とB:元頼は完全に除外されました。21歳、17歳が幼名なんか名乗ってるわけないですからね。
あとE:宗頼も可能性が消えました。流石に3歳の子を連れて鹿狩りするわけがないです。
ということで残る可能性はC:元成とD:頼廣です。

C:元成とD:頼廣の年齢は不明ですが、実はD:頼廣とE:宗頼の間に実頼の娘(C、Dの妹)が2人生まれてます。

慶長九年時の年齢②

これを考えるとC:元成とD:頼廣共に幼名(市蔵)を名乗り、鹿狩りに随行できる適齢期である可能性がぐっと高まります。
よって大條市蔵とはC:元成、D:頼廣のどちらかの幼名であったのではと筆者は考えます。
特にD:頼廣は政宗の小姓組であったことが記録に残っておりますので、D:頼廣の方が可能性が高いと感じます。

こちらの記事に記載の通り、D:頼廣は後に第三の大條家(平士大條家)を作っております。
ここからは推測ですが当時最高幹部の一人であった大條実頼は、三男頼廣を小姓に推挙し、そして遠島での鹿狩りにも随行させるなどで伊達政宗に顔を売り、そして頼廣を祖とする第三の大條家を認めさせたのではないかと考えます。

詳しい情報が残っていない以上、推測でしかないですが、現時点での筆者の見解を記載させていただきました。
今後何か続報があればまた記載させていただきます。

◼️参考資料
平重道 「伊達治家記録」1973年
本田勇 氏「仙台伊達氏家臣団事典」2003年
金田豊子 氏「大條家文書」2022年

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