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大條家とは

大條(おおえだ)家は陸奥国の大名・伊達氏の庶流。
伊達氏第八世 伊達宗遠の二男 宗行が、伊達郡東大枝(現:伊達市梁川町東大枝)の袖ヶ崎に居城である大枝城を築き、大條氏(当初は大枝)を称したことから始まりました。

大枝城跡
第一世 宗行から第七世 宗直までの居城
伊達郡伊達市公式HPより

第七世 大條宗直は伊達政宗に従い緒戦で活躍し、第八世 大條宗綱の時代にかけて伊達郡東大枝→伊具郡大蔵村→名取郡北目→志田郡蟻袋→気仙郡長部→東山大原村→亘理郡坂元へ知行替えとなり、第十七世 大條道徳(伊達宗亮)の時代に明治を迎えました。仙台藩の家格制度においては「一家」に列し、歴代奉行職(他藩でいう家老)を務め、今をときめく名コンビ、サンドウィッチマンの伊達みきおさんは大條道徳(後に伊達宗亮と改名)の玄孫です。また、第七世大條宗直の弟である大條実頼も別家を立てて、奉行職(家老)に任じられています。

全国の大條家について、(伊達)大條同族会 会長の大條正克氏が昭和54年に調査した結果はこちらです。
※(伊達)大條同族会は現在休眠中です。

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・伊達家由来の大條家と判明した家が65家
・明治になって大條家から大條姓を与えられた家が20家
・戦国時代に織田信長によって滅ぼされた荒木摂津守村重の家臣の子孫と伝えられてる家が30家
・由来不詳の家が20家
※大條正克さんは全国の電話帳から大條姓を抽出し、そこからアンケート、電話、訪問などで調査を実施。
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今こうして大條家の情報が整備されているのは大條正克さんのご尽力の賜物でございます。

なお、明治維新に伊達姓に復した大條本家(大條流伊達家)のことは昭和54年当時は調査が済んでおらず、上記には含まれていないとのことです。

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