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大條家 家系図 (下)

前回の記事はこちらをご確認ください。

大條実頼には四人の息子がおり、長男、三男、四男は現在の大條家末裔の家祖となっております。

長男:大條元頼
二男:大窪元成 (大窪家を継ぐが早世により断家)
三男:大條頼廣
四男:大條宗頼

- 長男:大條元頼
まずは長男 大條元頼の家系です。大條元頼は大條実頼の直系として、丸森→尾山に領地を有し着座の家格で明治維新を迎えました。

- 三男:大條頼廣
続いては三男 頼廣(頼広)の家系です。大條頼廣の系統からは多くの分家が生まれております。
仙台藩家臣録には定頼、頼清を祖とした平士の大條家、そして頼泰(頼恭)の孫である頼寿を祖とした召出一番座の大條家があります。
元禄十五年(1702年)大條本家では道頼が大條家第十二世の家督を継ぐにはまだ幼少であった為、分家の大條頼泰が名代として大條本家を継ぎ、道頼が正式に家督を継いだ際に297石を分与され、孫の頼寿の代になり召出一番座の家格を与えられました。
また、定頼の二男 頼重は仙台藩医 高屋喜庵(母は大條実頼の二女)の弟子となり、子の大條快順頼尚からは仙台藩内の浪人医師となり今泉村(現 陸前高田市)の「高屋敷」と呼ばれる家で代々医を業とし、爾来交互に快順、休順を名乗りました。
辺地の赤ひげ先生 大條虎介 (昭和51年 著者 菅原芝郎氏)』の大條虎介は大條頼尚の5代目の子孫でございます。
当家の家系図は元文二年(1737年)四月にこの大條快順頼尚が、上述の大條頼泰から書写したものが伝わっております。
なお、真田信繁(幸村)の二男が家祖である仙台真田家にも大條頼廣の子孫から養子に入っております。

- 四男:大條宗頼
大トリは仙台藩家格一家の大條本家です。大條実頼四男の大條宗頼が大條家第九世を継ぎ、歴代当主は奉行職(家老職)を歴任し、明治五年五月に藩主の命により伊達姓に復しました。
サンドウィッチマンの伊達みきおさんはこちらの子孫でございます。
参考:NHKファミリーヒストリー「伊達みきお(サンドウィッチマン) 〜伊達の名に誓った覚悟とは〜」

家系図② 大條家第九世 大條宗頼から第十八世 伊達宗康
(個人情報保護の観点により
概ね明治〜大正時代前後までとしております)

※家系図②は文字が小さいので3分割したものはこちらです(↓)
A 大條元頼系統
B 大條頼廣系統
C 大條宗頼系統

A 大條元頼 系統
B 大條頼廣 系統
C 大條宗頼 系統

素人ながらもこのように家系図を紐解くと大條家の祖先が、室町や戦国の動乱、伊達家存続の危機であった寛文事件、そして幾多にも渡る大地震や大飢饉、さらには幕末、明治維新といった、これらの激動の日本の歴史の中で、懸命に「大條」の家名を守り抜いてきた姿が思い浮かびます。大條家には家名を汚すような先祖はこれまで一人もおらず、大條家第一世の大條宗行から一貫して伊達家に忠義を尽くし、志操を堅持して今日まで世に処せて来られたことは大條の家名を受け継ぐ者として心より誇りに思います。この場を借りまして大條家全ての祖先に敬意を表したいと思います。

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