認知症になった母のこと(その9)
その後のことはあまり記憶にない。
姉と弟が葬儀の手配をしてくれていた。
私は恐らく自責の念でショック状態に陥っていたのだ。
気がついたら実家の母の部屋で、
布団に寝かされた母の横に座っていた。
姉が「よかったねー、ウチに帰って来れたね」と言っている。
「よかった?死んじゃったのに?
私があの時、年末年始は家に連れて帰るって言えば
こんな事にはならなかったのに!いいわけないじゃん!」
と叫びそうになるのを必死で堪えた。
言葉を飲み込んでまた泣くだけだった。
今更そんな話ししても姉も弟も辛くなるだけだ。
母の遺影はとても美しい笑顔だった。
そう、いつも笑顔だったのだ。
優しくて怒った事などほとんどなかった。
私たちのためにいっぱい苦労して、働いて、
世話をして、育ててくれた人なのだ。
母は満足していただろうか?
きっと最後までウチに帰りたいと思っていたに違いない。
家を家族を守ることが自分の使命だと思っていたはずだから。
あの日あの時の私の判断が悔やまれてならない。
葬儀はコロナ禍ということもあって家族葬で小さくする事にした。
祭壇の花は、母が好きだった紫色、藤色の花がたくさん飾ってある。
それから家族の写真を色紙にデコレーションした物も並べた。
真ん中には笑顔の母の写真。
母らしい控えめだけど華やかな祭壇だった。
親戚達がお焼香にやってきた。挨拶をかわす。
みんな母の死を悼んでくれている。
私はこんな風に逝かせてしまったことをまだ納得できずにいた。
心ここにあらずだ。
いつまでも母の顔を見つめている。
その後火葬場で最後のお別れをした。
棺に家族の写真と紫色と藤色の花で埋め尽くす。
好きだったおやつのカステラや大事にしていた老眼鏡、
おしゃれだった母の為にお気に入りだった洋服も入れた。
眠っているような母の顔を見て声には出さず、
ごめんね、ごめんね、と何度も心の中で謝った。
謝りながら母を見送った。
母は骨になってしまった。
もうどこにも居ないのだ、そう思った。
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