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猫のように暮らしてみたい その6

人間のはほかの動物たちと比べて高機能なようだ。

物事を効率よく考える事ができる。
合理的だったり倫理的だったり道徳的だったり。

複雑な問題や行動を瞬間的に考え発言したり行動したりできる。

それに感情も複雑だ。

内心怒っているのに笑顔だったり、
悲しいのに何でもないふりをしたりする。

臨機応変にとか空気読んでとか
うまくできるならもはや超能力者だ。

そんなハイスペックな脳が私たちに見せている
幻のような実体のない何かがだ。

脳は心や気持ちなどという実体のないものを
「私」と認識させ自由に操ることができるのだ。


私はという概念を否定するつもりはない。

とは常に変化し自由に姿形を変えることができ流動的で、
例えるなら海中を浮遊するシャボン玉のような
水の塊,そんなイメージだ。

本来その姿は決まった形などなく質量もなく
上下左右も奥行きもなく、
ただそこに在ればいいだけだ。

それなのに私たちは様々な不安や恐れから
心を型にはめようとしてしまう。

みな同じ型なら安心だ。

だがこれもが私たちを陥れるための罠なのだ。

という機能は心に大きな影響を与える。

勝手な思い込みをさせたり、
必要以上に自分を責めさせたり、
脳内麻薬を分泌して惑わせたり
免疫機能を操作して身体的な攻撃を仕掛けたりする。

すべてはが操っているのだ。

だから脳は強いストレスに晒されたり、
衝撃的な体験をしたり、
受け入れ難い事実に直面したりすると、
誤作動を起こして自身の身体への攻撃をしかけたり、
自発的に記憶を改ざんしたり、
幻覚や幻聴を引き起こしたり、
「私」という人格そのものまで壊しかねないような
行動言動をさせたりするのだ。

脳内は電気信号を発する無数の神経細胞のネットワークで
できていて互いをシナプスで連結し情報伝達をしている。

これが正常に機能しなくなったり途切れてしまったりするのが、
いわゆるうつ病と呼ばれるものの正体だ。


猫にだって喜怒哀楽はある。

生物としてはその表現法や表情が豊かで、
それを相手に伝えようとする仕草や態度は
人間にとってはとても受け入れやすい。

体を摺り寄せたり、ごろごろ喉を鳴らしたり、
上目遣いで見つめてきたりされたら、
猫好きな人なら完全に支配下に置かれてしまうだろう。

猫は自分の魅力をアピールすることに長けているのだ。
それを自然体でやってのける。


これが人間だったら行動する前にあれこれ考えて迷ったり、
後になってあの時もっとこうすればなどと悔やんだりする所だが、
猫はそんな事お構いなしでその後相手がどんな気持ちになろうが
知らん顔で、もう他の事に気が移ったりしている。

自分の行動に悩んだり後悔したりしないのだ。

猫も何年も生きればそれなりに経験が蓄積されるから、
猫同士または飼い主との意思疎通もそのデータをもとに
自分の都合のいいように利用している。

でもまあそれだけだ。
人間のようにアップデートする必要がない分、
自然体で生きていられる。

                        つづく。。。


本日も読んでくださった方ありがとうございます。



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