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猫のように暮らしてみたい(その22)

それから仏教について考えてみた。

仏教と言えばお寺だ。

お寺は本来お坊さんが修行を積んで
お釈迦様の教えを実践する場所だ。

しかし私たちの認識は少し違うと思う。

お寺はお墓があるところだ。

檀家として付け届けを払い、
葬儀や何回忌のたびにお布施や花や果物を供え、
何世代も受け継いでいく。

家にも仏壇があり位牌を立てて線香をあげて手を合わせる。

では仏教徒かと問われると
念仏を唱えることはあっても朝から晩までお坊さんのように
修行を積んでるわけではないから正式ではない。

もともと神様に対しての許容範囲が広い日本人は
インドやチベットや中国からやってきた神様や仏様たちを
自国の神様と上手く融合させてすべて取り込んだ。

お地蔵さまも庚申様もあらゆるところに存在する
小さな祠もみんな御仏なのだ。

だから信心の気持ちは持っていても
あまり具体性がないのかも知れない。

おおらかなのか、
おおざっぱなのか不思議な国民性だと思う。


うちの三番目の猫はオスねこのまめ。
子猫の頃から甘えん坊だった。
前回引き取ったちょこの兄弟猫の子供だ。

その頃ウチには最年長オス猫のひびきと、
クリーム色のロングコートチワワのしゅうちゃん。

3歳になったくらいのちょこ、
そして時々会社で飼っていた黒いラブラドールのオス、
ぶんを連れて帰ることもあったので、さながら動物王国のようだった。

その中でいわゆる末っ子だったから甘やかされて育ったのだ。


黒ラブのぶんは4か月くらいの子犬の頃から会社で飼い始めたのだが、
会社にひとりぼっちにさせるのが忍びなくて毎日連れ帰り、
一緒に出社するというスタイルで飼い始めた。

ゆくゆくは番犬にするつもりだったのだが、
子犬の頃は臆病で引っ込み思案な性格だったので、
これは番犬にならないかも?と思っていた。


ウチに連れ帰ったら
ひびきがどんな反応をするのかと心配していたのだが、
喧嘩したり威嚇したりすることはなかった。
高い場所から見下ろしじっと観察しているようだった。

動物の世界は年功序列なのだろうか。

犬のぶんやしゅうにトイレを教えたのは最年長猫のひびきだった。
だからおトイレの失敗は少なかった。
カーペットや布団にという事は一度もなかった。

黒ラブのぶんは6か月を過ぎるとさすがに大きくて
室内トイレでは無理なのでお外に散歩に出て用を足すようになった。

しゅうはあまり散歩には連れて行けず、
ほぼ猫のような暮らしぶりだった。


子猫の時にウチにやってきたまめは、
オス猫でやんちゃな性格で犬猫お構いなしに
近寄ってはじゃれついてよく遊んでいた。

黒ラブのぶんの方が巨体なのに
子猫の勢いに圧倒され腰が引けていたくらいだ。

チワワのしゅうはメスだったこともあって
まめの面倒をよく見てくれていた。
遊びの相手もしてくれていた。

ぶんもとても大人しく利口で家で吠えたりもせず、
猫にちょっかいを出されてもじっと耐えていた。

なんでこうなった?と自分でも呆れるが
自分は人間より犬猫たちといる方が安心できた。


               つづく。。。


今日も読んでくださった方ありがとうございます。

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