福祉施設の夜勤9

今日は部屋が無く2階に滞在していた1階レベルの知的障害を持った利用者が1階に移っており、その上透析と統合失調症?発達障害?持ちの人がショートステイで居る日だった。合計11人。食事時のおかわりと「ご馳走様、薬ください」の連打が単純の増え、風呂の介助に洗濯も増える。珍しく忙しかった。モップがけを珍しく担当したのだが、使うのがハイターでなく床洗剤的なものだったらしく、「やっちまった〜」と凹んだ。精神的疲労ものしかかって、勤務前には4時間ほどしか寝てなくて、もう手が空いた頃には頭が動かなかった。

調子に乗ってハイターの残りを補充しとこうとしたら間違えてキッチンハイターを入れてしまい、シャンパンのように泡を勢いよく噴いて手がハイター塗れになった。「混ぜたら危険」の類だったんだろう。一瞬手がとんでもなく熱くなって、ぬめりが酷かった。今日は色々とミスった。


僕は休憩時間中、犬の散歩しなければならないという口実で2時間くらい家で過ごすことが多い。初めて組んだおばさんにその話をしたら「外出って時間決まってなかったっけ」と言い出して残業中の管理長を連れてきた。

「全然良いけど、今日みたいに夜勤3人とかの時は緊急時『ちょっと来て欲しい』みたいな電話しちゃうけれども……鍵置いて行かなきゃだから、まあ本当は連絡先とか交換ダメだけど、LINE交換して戻ってきたら○○(相方)さんにメッセージ送るとかでいいと思うよ。利用者さん寝てるからインターホン鳴らすのはアレだし」

どうぞどうぞという感じだが、まあ口調的に「何あるか分からんしなるべく休憩時間も居て欲しいわ」という内心が伝わってきた。僕はこの短い期間を通じて「この仕事は図々しくならないと心が終わる」とすぐ分かったので普通にこれからも帰らさせてもらう。コンビニバイトでの失敗?がちゃんと活きている。

そんな訳でおばさんとLINE交換した。やったー。ツムツムはやってなかった。今日が初めてと言っても階数が違うだけで同じシフトのことは何回かあり、その時はなんだか素っ気ない印象があった。けれど僕が失敗しても嫌な思いを全く表に出さないし、細かく教えてくれて凄く優しかった。けど所々「使えねえわコイツ」と忙しなくなる時が結構あって興奮した。


食事中、頭に何も異常のない車椅子の人がずっと手を挙げていたので「どうしたんですか?」と聞いたら「んん……?」とよく分からん反応をされた。その数十秒後、その人の米を用意していないのに気づき、「ああご飯でしたね。すみません」と笑いながら渡したら「そりゃそうだよ。飯だから来いって言われて来たのに米がねえんだから」と口調は穏やかながら「はぁ……」となる対応をされた。
シンプルに、なぜ自分から言わないのだろう。僕が新人で、そういう不手際は自分で気づいてやった方がいいからか?精神病も発達障害も無いので他の利用者みたいに「して欲しいけど言えない」性質がある訳では無いのだ。

まあある意味彼らは客なので、お互いはその態度相応の立場にあるのかもしれない。

僕の祖母もそうだけど、何故あの年代の人達は給料も変わらないのに、やっても大して変わらないのに、大方のやることが無くなっても探し続けるのだろう。申し送りの時の「こんなことがありました/しました」自慢みたいなトークや「本当にどうでもいいだろそれ」という作業のルールについて長々と話している空間が1番嫌いだ。くっさい便器を拭いて、利用者の口内の食べ残りが溜まった洗面所を流している時の方が本当にマシである。

好きだから利用者の行動の変化や病状、これからどうなるかの目処の話題は提供できるし面白い。それ以外の「シンクの水が〜」「トイレ掃除の回数が〜」だの、くだらない冗談が挟まれて愛想笑いさせられる時が「同じ仕事してても着眼点ってまるで違うんだな」と明るみになってこの仕事の心理的価値・刺激を一生懸命に啜っているのは僕だけなのかと。ここは「コミュニケーションという意味での支援が1番」などと宣う割にはそれとは程遠い陳腐な懸念点に執着してばっかりいる。まあ今はどっちもその人たちに勝っていない僕が言っても負け犬の遠吠えに感じてしまうが。訪問看護とかの方が1番自分の欲望に添えそうな仕事がありそうだ。

ハッキリ言って僕は身体的障害への興味が全くない。身体なんかどうでもよくて、脳と心のマジックに惹かれている。ジェンダーで分けて語るのは良くないけれど、掃除や料理に洗濯と細々と日常生活を観点にそこを拘る。そりゃ大事だけど、なんかそれをその仕事で軸のようにしてしまうのは何故?となる。多分本当に家事は元々できるから〜みたいなノリで、三障害のことなぞさして着目せず働き始めたんだろうな。今日頓服で出していたリスペリドンが脳のどこに作用して、どんな人にどのように効くかなんて多分9割は知らないだろう。僕が本来味わいたかった世界と微妙にズレてる。

それが普通なのか。右腕に切り線が幾つもあるのもあそこでは僕だけ、利用者より強く多い薬を飲んで働いているのも僕だけ。そんな僕でも完全に上手く関わっていけてるか不安なのに、発達障害・精神病もろくに知らない人がその人にとって深い何かになれるかと。どうせ欠片の同情もできないだろう?ある程度普通の人生を歩んできたんだろうから。

彼女らが「違う人」として接していても鏡に映る僕は「利用者側」の臭いが漏れ出ていて、同じ列に並びながら人員誘導をしているような気分になる。ホーンテッドマンションの入場を待ちながら「ホーンテッドマンションの待ち時間は50分です」と知らせている。意味がわからん。

帰ってすぐ眠剤を4倍飲んだ。花に囲まれたベンチに座って好きな曲を流して薬を好きなだけ喉に流して、タバコをなくなるまで吸って有害物質を世界に流したい。それか名が死体となり父親の存在を魂ごとするりと流したい。人を愛せないし誰も助けられし、愛されないし助けられない。この福祉施設の世話人になんの価値がある?弱者の救済ぶった反社みたいなビジネスだ。それでも彼らはそんなものに縋るくらいにもう先がない。何だこの地獄みたいな構築は。ただ解決策が過度に少ないからこんな状態がずっと続いてきた訳で。

彼らが僕みたいに普通級のフリーターで生活をできるようになれなら極楽浄土。天国の天井がそこだなんてなんて酷い。戦争でも自然災害でもなんでもいい。何かが人を全員殺せ。こんな醜さは愛だとか金だとか創作だとかで補えない。歴史から見てもろくなことしていないのが明白。僕も母親も友達も利用者も他人も等しく死んでしまえば僕はどんな薬でも得られない感動と安心と快楽を得られる。

その内日本は今より犯罪や自殺が横行するだろう。今すぐにでも終われこんな汚い生物生存

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