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女子サッカーワールドカップを観て思う。


女子サッカーワールドカップ決勝。

面白かった。気持ちのぶつかり合い。

両国ともに、初優勝をかけた決戦。


なんだろうな、キレイな試合とか

スキルとかすべて超越したところに

勝負が、勝ち負けがあるんだと

あらためて思い知らされた。


選手もみんな、勝ちたいし

負けたくない気持ちが出てた。


アドレナリン出まくりの状態で

フェアプレーを信条になんて

口だけで。むき出しの感情、戦い。


イングランドもスペインも

自国のリーグがあるし欧州での

切磋琢磨、すべてのノウハウが

急速なレベル押し上げになってる。


日本のサッカーばかりだと

はやい、うまい、やすい。

牛丼ですか?いいえ違います。

英文の和訳みたいになった笑


日本のキレイに緻密なサッカー。

これを良しとしてるかぎりは

こういう情熱で戦いを挑んでくる

相手に気圧されてしまうだろう。


想像つきますよね、気持ちの強さが

球際の強さとなり、一歩の出足の

鋭さとなり、競り合いのチカラに。


やっぱりピッチが狭くみえた。

フィジカルのたくましさ、身長も。

ピッチ全体が最低でも1割くらい

小さく見えてしまう。もちろん錯覚。

でも、それはかなり有利にはたらく。


走る一歩の歩幅が広い。

10歩で日本人が走るところを

8歩で走る。


それくらい?と思うかもしれないが

積み重なると全力でのプレーが

連続した場合の疲労の蓄積が違う。


別で考えると200センチの選手が

バレーボールのスパイク、アタック

これを打つとき、一生懸命に

ジャンプしなくてもある程度の高さで

打つことができ、決められる。


一方で170センチの選手が打つとき

200センチの選手以上に筋力を使い

ジャンプして全身で渾身のアタック。

これでラリーが続くと?わかりますね。


肩で息をしてるのは小さな選手。

全力で飛ばなくていい長身選手は

少し使う筋力が総量で少なくて済む。


極端なたとえですけども笑

ひとつひとつのサイズの差があり

それを補うために走る、全力で動く

それを繰り返し、大会途中に限界が。


少なくともパフォーマンスは

低下するのは否めないだろう。


ひとつの試合だけを

勝てる、だけなら。

そういうわけにはいかない。


グループリーグで好調であっても

決勝ラウンドで疲労が重なり

精度が落ちるのは想像がつく。


いくら得点王を優勝国より

持ち上げる記事を書こうが

スペインに勝ってる日本は

実質世界一だとほざこうが。

哀しくなりませんかね?


競り合いで負けるなら

競り合いになる前に

クロスを上げさせなければいい。

日本の対策はそっちにいくが。


そうかな。それを常にやること

なんて無理であるはずだから。

人間であり、調子の波もある。


できること全部、常に出せる

わけでもない、気持ちもそして

精神的、肉体的疲労も精度に関わる。


日本人はいまの延長線上でのみ

すべてレベルアップする事だけ

それで解決の糸口を探ろうと

ばかり考えている、その是否。


根本からの考え方に無理はないか。

考え直す視点も必要なのではないか。


そして人間が人間らしく

気持ちでプレーすることを

忘れていやしないか?


こうすればこうなると

勝手に決めつけてその方法のみに

すがりついていないか?


とにかくタスクをこなすため

各自の活動の総量を増やす。


すべてを付け足せば足りると

信じて疑わないのは、まるで

日本の労働環境のようで。


働けど働けど、暮らしも

何もかも楽にならない。

苦しいだけで楽しくない。

ガマンだけ強いられる。


日本のタスクが多すぎるのは

スポーツだけでなくすべてに

共通してることなんだろうな。


おそらくは一番日本人が苦手な

メンタルの持ち方、状況判断

ペースやプレーの強弱といった

駆け引きや、相手を陥れる狡猾さ。


教えてもらっていない分野を

個人が自然と大事なことだと

理解し体験し、意識して感覚を

身に付けないと無理なのでは?


それをやってしまうと

日本人が日本人でなくなる

そのおそれがあるけれどね笑


長期的にはサイズの大きな

選手や外国にルーツを持つ

恵まれた体躯を持った選手を

発掘していかないといけない。


そちら側の選択肢も常に

視野に入れていかないと

すべてレベルアップしたとて

跳ね返されるばかりではないか?


裾野を広げることも大事だが

勝つことを大会を制することを

目標にするならば、小柄な

スピードや技術だけでは限界も。


ライバル国は環境を整えた上に

フィジカルでもメンタルでも

優位に立ったことが証明された。


そしてスキルも向上し続けてる。

限界まで活動量を高め続けて

スキルと型をマスターし続けて

対抗できるのだろうか?


日本はいつも大事なところで

活動の限界を迎えてしまう。


それしかやりようがないと

信じて疑わずに改善できずに

失敗を繰り返しているのでは?


それを私たちはさんざん

いろんな分野で何度も

見てきているはずだから。


本当にスキルや活動量を

タスクを増やし続けるのみで

私たちの問題は解決に向かって

進めるのだろうか。






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