魅力的なのに近づきたくない人。
待つのは好きだけど、待たされるのは嫌いなの。
と常々思っている。
8年位まえに、ふと思いついてツイッターでつぶやいて以来、私にとってお気に入りの言葉になった。( バズったとかではないので、ただの「独り言」で「つぶやき」笑)
自分の価値観を表現する言葉だなと、今でも思う。
私にとって「待つ」というのは能動的でポジティブな状態。どれだけ待てば良いのか把握ができている。待っている間、主体的にその時間を楽しめる。待つ時間、好き。
一方「待たされる」というのは受動的で、「どうなっているんだろう?」と常に気にしなければいけない状態。相手の動きによって、自分の時間配分や行動に影響が出る。それは、振り回されるともいう。待たされるのは嫌い。
「待つ」のは自分がコントロールできる状態で、「待たされる」のは自分でコントロールができない状態ともいえる。
そういえばある本を読んだとき、自分でコントロールができない状態に、人はものすごいストレスを感じると書いてあった。
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近ごろ「人として魅力的だけど、あまり近づきたくない。距離を置きたいと感じる人」について考えていた。
人を惹きつける魅力がある人なのに、私はどうして嫌悪感をおぼえるのかしらと、ぼんやりずっと考えていて。なんでだろう?と自己分析をしていた。
自分の感覚に沿って距離を置いているから、相手との関係に困ったり悩んだりしているわけでは全くないんだけど。ただ、心の中で上手く言葉が出てこなくて整理しきれず、しばらくモヤっとしていた。
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ところが今朝、(冒頭の)お気に入りの言葉を思い出して、あぁそっか!と急に色々つながった。
その相手に対して私は「どうなっているんだろ?」と感じることがよくあった。そっか、「待たされている」ことが多かったんだなー。
それはつまり、その人と関わったり一緒にいると、
自分がコントロールできない状態にあった。
ということに気づいてハッ!となる。
自分がコントロールできないということは(もちろん自分の未熟さもあるとして)「相手のコントロールを奪う人」だと気づいて、さらにハッ!!!となった。
そう、たぶんこれが核心。
「相手のコントロールを奪う人」
だから、私は嫌悪感をおぼえるんだ。ということにたどり着いて、スッキリいたしましたとさ。
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