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1年間の育休をとった男の末路

はじめに

 数年前に話題になった「宝くじで1億円当たった人の末路」。図書館で見つけ、いまさらながら読んでみた…面白い!

 おおかみも末路なジジィなので、このフォーマットでまとめてみたら少しは読みやすくなるか?…というのが今回の試み。なんだけど、このフォーマット、書きやすくて5千文字を優に超えてしまった…お時間のあるかた、是非…途中まででも…


1年間の育休をとった男の末路

19年前に男性育休を取得したおおかみ氏に聞く

 妻とこどもを愛し、会社を休み、自身の手であかちゃんの世話をする。そんな育休生活に憧れるサラリーマンはごまんといるはず。とはいえ、それを実行できた人はどのくらいいるだろうか。

 出産直後に短期間の休みをとる程度であれば、その気になれば誰でもできる。だが長期間、会社を休んで家事育児を行うには覚悟が必要だ。

 不安の1つは復職後のキャリア。多くの日本企業では、男性育休の前例がまだまだ少なく、復職後のキャリアについては不透明な部分がある。悩んだ揚げ句、リスクを恐れて普通に働き、ほんの少しの後悔を抱えて年を重ねる人もいるはずだ。

 だが本当に育休をとった男性の末路は悲惨なのだろうか。19年前に育休を取得し、今は早期退職、隠居しているおおかみ氏に話を聞いた。


ーーまずはご家族のことについてお伺いしたいのですが。

おおかみ 会社では同期の妻と、長女のブー、次女のフー、長男のウーの5人家族です。

ーー奥様は同期だったんですね。育休はいつ取得されたのですか。

おおかみ 末っ子のウーが1歳の1年間です。そのときフーは4歳、ブーは8歳でした。2004年なので、もう19年前になります。

ーーブーさんが小学生、他の2人はどうされていたのですか?

おおかみ フーは幼稚園生でした。私の前に妻が育休をとっていたので、ウーは保育園には行かずに家にいました。

ーー奥様は育休をとっていたのですね。

おおかみ はい、フーとウーの時にそれぞれ1年間取得していました。ブーの時は産前産後休暇だけで復職しました。


妻が専業主婦になるのがいやだった?

ーーおおかみさんが育休を取得したきっかけは何だったのでしょう。

おおかみ ブーとフーのときは、私の両親も若かったので、週の半分くらいはこどもの世話をしてもらえたのですが、あかちゃん含めて3人となると体力的にもきびしいかなというのがありました。
 そういった背景もあり、妻が専業主婦のカードをちらつかせはじめたのがきっかけだったかも知れません。

ーー奥様が専業主婦になるのが嫌だったと。

おおかみ 嫌というより、とてもとてもうらやましく思えて…。”ずるいぞ!”って感じでした。そこで専業主婦になりたいオーラで話をしてきた妻に言ったんです。「同期で稼ぎもそう違わないんだから、君が専業主婦になるんじゃなくて、僕が専業主夫になるって方法もあるよね」って。

ーー昭和な価値観だとなかなか言えないセリフですね。奥様の反応はいかがでしたか。

おおかみ 私がそんなことを言うとは思っていなかったと見えて、驚いていましたね。しばらく口を開けて沈黙してました。私が家事も育児も妻と同等にやっていたので、反論するのも難しかったのだと思います。このときは自分が家事も育児もやっておいて良かったと思いましたね。好きでやってたんですけど。

ーーおふたりとも専業主婦/夫希望だったのに、専業主婦にも専業主夫にもならなかった。

おおかみ どちらも専業主婦/夫の仕事をこなしていて、どちらも専業主婦/夫になりたかったので、合理的にどちらかを選ぶことが出来なかったんですね。強いて言うなら私のほうがちょっとだけ収入が多かったのですが、妻に「君は育休で2年も休んだんだから、次は僕が休んでもいいよね」と理屈にならない理屈をごねた覚えがあります。

ーー奥様は都合2年間の育休。おおかみさん、ちょっと損してますね。

おおかみ 大丈夫です。その後2年間の短縮勤務をとりました。1日4.5時間の短縮勤務だったので、育休と併せてほぼ2年分になるかと思います。朝9時半に出社すれば、3時には上がれます。小学生は家に帰ってくるか来ないかの時間になるので、親の負担もかなり減らせたと思います。


男性が育休を取得すると、出世に響く?

ーー育休を考えている男性が気になるのは、復職後のこと。特に出世への影響は心配される方も多いと思います。

おおかみ そうですね。私は56歳まで働いて早期退職したのですが、出世したとは言えません。そういう点では良いロールモデルにはなれず、後輩の方々に悪いことをしたかなという思いはあります。
 一方で、育休を数ヶ月取得した後輩の中には、しっかり出世した人もいます。これからは減っていくと思いますが、終身雇用を前提とした場合、出世レースは30年くらい続くわけです。仮に1年間休んだとして、レースに参加する期間が29年になるだけです。1cm短くなった30cm定規をみて、「長さがぜんぜん違う!」と思う方はどのくらいいるでしょう。全体からみれば、1年間というのは誤差のようなものです。29cmでしっかり成果を出せば結果はついてくる。
 もし、結果がついてこないとしたら、そういう人事制度や風土を持つ会社を選んだことを後悔すべきでしょう。育休に限らず、病気でもなんでも会社を休む可能性はあります。それが許されず、30年も働き続けることを要求する会社で働きたいでしょうか。出世できなかったとして、育休を取得したことを後悔するのは少し見当違いな気がします。

ーーおおかみさんの会社は優れた人事制度と風土をお持ちだったんですね。

おおかみ そうですね。人事は頑張っていました。育児に優しい制度を他社に先駆けて採用していました。
 ただ、良い制度ができることと、それが正しく運用されることは別の話です。いろいろな人が働いている会社という組織では、本来の意図を理解したうえで正しく運用されるに至るまでには、相当の時間を要していました。
 風土という面では当時はまだまだなところがありましたが、令和になった今では、少なくとも建前上は育休を奨励しようという企業が多くなっているのではないでしょうか。

ーーおおかみさんは、制度が思うように運用されなかった影響を受けたと。

おおかみ その影響が無いとは言えませんが、一番おおきかったのは私がマネージメントという仕事に魅力を感じなかったことだと思います。妻が専業主婦だったら、好きも嫌いもなく、必要な収入のためにそこを目指さなければいけなかったのかも知れませんが、妻もフルタイムで働いてくれました。
 それで2人で1.5人分稼げばいいよねってなったときに、あえて好まないマネジメントの仕事を避けるようになりました。これが出世を遠ざけた一番の要因と思います。
 あとは育休後、数年経ってから2年間の短縮勤務をとったので、フルタイム勤務を継続する期間が切れ切れになったこと、社内公募で2度も別の畑に異動したことも要因だったとは思います。


出世しなくても、2人なら生活は大丈夫

ーー2人で1.5人分稼ぐという話がありました。実際のところ、それで子育ての費用は賄えたのでしょうか。不安はありませんでしたか。

おおかみ 贅沢し放題という訳ではありませんが、私立高校2人+1浪1人+私大3人の費用は捻出できたので合格点ではないでしょうか。
 もちろん心配はありましたが、2人がそれなりにフルタイムで働いて何とかならないようなら仕方がないと。そんな世の中になっていたら、稼ぎを1人で頑張ってる家庭はもっと苦しくなってるだろうなと。

ーー贅沢しないというのは、具体的にはどういったところでしょう。

おおかみ たとえば一番お金がかかる”家”は、広さと新しさは割り切って、利便性にこだわりました。中古の狭い家なので、こども達は高校生になるまでは1人部屋を持てませんでした。そのこども部屋も4.5帖の狭い部屋でベッドも置けません。
 その代わり私の実家と近かったので、あかちゃんの頃からジジババに遊んでもらっていました。また交通の便も良かったので、こども達も学生になり外へ出るようになると、その便利さを実感していましたね。広さを捨てて、時間を買った感じです。
 次にお金がかかる”車”は、もう23年も同じ車に乗っています。

ーー一方で”集中”してお金を投下したのはどんなことでしょう。

おおかみ ありきたりですが教育費は出来る限り削らないようにしました。こども達が興味をもった習い事には積極的に参加させました。幸いなことに、うん百万、うん千万円もかかるような習い事に興味をもたなかったので、何とかなったのかなと。
 あと休みがあれば家族で旅に出ていました。海外旅行のような贅沢はしませんでしたが、車にこども達を乗せて東へ西へ出かけていました。23年ものの車は沖縄と愛媛以外の45都道府県を走破しています。

ーーおおかみさんの子育ては一段落ですね。老後については心配はありませんか。

おおかみ それはもちろん、心配はあります。ただ、こどもを3人育てる中で、シビアにお金を使ってきたので筋肉質な家計になっていると思います。ちょっと極端に言えば貧乏を楽しむ的な。
 今はまだ学費が残っているのと、家にこどもが2人残っているのですが、その分を差っ引いて夫婦2人の生活で考えると、予定されている年金で何とかやっていけそうです。
 将来のことは分かりませんが、それなりにフルタイムで働いてきた2人で何とかならないようなら、その時には世の中がいろいろと大変なことになっていると思うので、そこまで心配しても仕方がないかなと。


リタイヤ後どうする?

ーーおおかみさんはすでに会社を辞めているということですが、これからはどうされるのでしょう。

おおかみ 会社で30年以上働いてきたので、もう十分に満喫したかなと。家計が困ったら、働いて収入を増やすよりは、生活を変えて貧乏を楽しんでいこうと腹を括っています。
 老後の心配と言うと、お金と健康かと思います。ただ病気でなければ健康という訳でも無いかと。残念ながら体力は年々衰えていきます。やりたいことに見合った体力が無ければ、それはちょっとつらいかと。

ーー何かやりたいことがあるのでしょうか。

おおかみ 小学生の頃「サイクル野郎」というマンガにハマっていました。自転車で日本一周する話です。家族旅行では車で日本のあちらこちらへ出かけたのですが、やはり車だと”点”の観光にとどまってしまいます。今度は自転車やランニング、ウォーキングで”面”の観光をしたいと思います。
 そのためには体力も必要なので、50代半ばにマラソンに挑戦しました。2回完走してタイムも上がっていたのですが、コロナのため中断。最近、少し走ってみたのですが、思った以上に走れず、休んだ時の体力の下がりかたが、若いころとは桁違いだと痛感しています。

ーー健康であっても、体の衰えは忍び寄っていると。

おおかみ コロナの状況を見ながらチャリ旅にも出たのですが、腰のトラブルであまり走れませんでした。持久力だけではなくて、体の強さも年々衰えるので、時の流れを痛感しています。
 早めにリタイヤしたつもりだったのですが、思った以上に体がいうことをきかず、65歳まで働いていたら…と思うとゾッとします。

ーーそうなると、もっと早くリタイヤすれば良かったとなりますか?

おおかみ 第二の人生だけを考えればそうなりますが、実際には難しいでしょう。たとえば事業を起こして成功すれば、もっと早くにリタイヤできたかも知れませんね。その場合には仕事が楽しくて、そちらにハマっていたかも知れませんが。
 家族との時間を沢山とれたことは、何物にも代えがたいと感じています。これは安定した職についていたから、安心して出来たことです。
 コロナも明けたので、体はまた作り直して旅にでようと思います。


結論

1年間の育休をとった男の末路は?

出世にはハンデがあるかも知れない。
しかし家族で協力すれば、生活は何とでもなる。
過度の心配で、目の前の幸せを見逃すことはない。

解説

 稀に見るスピードで高齢化が進み、女性の社会進出が遅々として進まないなど暗い話題が多い令和の日本ですが、男性育休の制度に関して言えば、実は海外の国々より手厚い保護が受けられる一面もあります。
 しかしながら、その保護を利用して人生を謳歌している人は、まだまだ少数派です。愛する妻と愛おしい子が目の前にいるのに、手厚い保護を反故にしてまで会社へ向かうのはどうしてでしょう。将来に対する漠然とした不安が、無難そうな働きかたへ向かわせているのではないでしょうか。

 おおかみさんの話からも、育児に時間を割くことは、出世の足かせにならないとは言い切れません。しかし真面目に働いてさえいれば出世が約束されたのは遥か昔の話です。出世を前提として人生を設計すること自体がリスキーな時代になっています。もっと言えば、会社に依存すること自体がリスキーです。

 おおかみさんは出世しないことも想定して、したたかに人生を設計していました。安定した妻の仕事をキープしたのです。
 そのために自身は育休や短縮勤務を取得して、妻を援護しています。そうすることで、将来の”稼ぎ”に対するリスクをヘッジしていました。強いて言うなら、奥様が別の会社であれば、さらにリスクは低減できていましたね。

どこまで心配すれば安心できるのか

 もう1点、おおかみさんが良い意味で楽観的だったことが、19年も前に育休を取得できた要因の1つです。

 心配はどこまで行っても尽きないものですが、おおかみさんは冷静に周りを見渡して、「うちがこのやりかたでダメになるようなときには、社会全体が傾いているだろう。そんなケースまで心配しても仕方がない」と、割り切りのラインを明確にしています。
 老後についても同じように割り切ったことで、早期のリタイヤに踏み切れたのでしょう。

 結果として50代半ばで会社をリタイヤして、これからの生活に向けて体力を蓄えているおおかみさん。今が末路というより、次の生活を興そうとしているように見受けられます。


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