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”共に編む”コンテクストデザインを学ぶ

日が落ちるのが早くなり、茶色の葉が足元で音を立てて、気付けば10月に入っていました。1ヶ月ってあっという間ですね。

今回は、株式会社Takramのディレクター渡邉康太郎さんが自身の肩書きとしている「コンテクストデザイン」について、渡邉さんの著書「context design」を参考にnoteを書きました。渡邉さんのnoteはこちら。

コンテクストデザインとの出会いはちょうど1ヶ月前。
会社の先輩に「岡がやりたいのってこういう仕事じゃない?」と教えてもらったことがきっかけです。

その日からコンテクストデザインの意味、実例、私がコンテクストデザインを実践するにはどうすればいいのか?を考えはじめました。
今回は、私なりの解釈にはなりますが、コンテクストデザインとは何かを書いてみます。少しでも、読んでくださる方の学びになればうれしいです。

コンテクストデザインの意味


まずは、コンテクストデザインの意味から。
本書の中で渡邉さんは、

コンテクストデザインとは、作者が込めた強い文脈をきっかけとして、使い手によって新たに加えられた弱い文脈が表出することを意図したデザイン活動である。


と言われています。


「???」


ちょっと難しい。渡邉さんの言葉をもう少し分かりやすくしてみましょう。
ここでいう、強い文脈とは作品における著者の意図であったり、歴史的な位置付けであったり、社会的に広く認められている読解のことです。
反対に弱い文脈とは、世間一般ではこう言われているけど自分はこう思う、のような個々人の解釈のことです。

要するに、コンテクストデザインとは
読み手が自分ごと化し、他人に語りたくなるものをつくる。そして読み手の解釈と、作り手が持っている強い文脈とを一緒に編んでゆく活動であるといえます。
ちなみにコンテクストとは、よく「文脈」という言葉で訳されますが、渡邉さんは「共に編む」という意味で捉えられています。


「??」


まだハテナが並んでいますが、1つ減りましたね。


語り直すこと


語り直すことってありませんか
?

作品は「時をあけて」語り直されます。
例えば、美術館のあと作品についてカフェで語りあう。
夜にバーの隣の席の人と映画について議論する。
かつて読んだ本のことをSNSに書き込む。
そこで語られるのは実はその作品のことではありません。
いつだって自分自身のエピソードなんです。
生活のこと、仕事のこと、自らの思想を、作品に投影し解釈しています。
それはあくまで個人的なものであって、ときには誤読ですらあります。渡邉さんはよく「誤読」という言葉をつかわれているのですが、ここでいう「誤読」とは受け手側の解釈の幅のことです。間違っているかは関係なく、自分ごと化し、自分なりの解釈をすると、誤読が生まれます。




例えば、会社の仲の良い同期と先輩と、私を含めた3人はマコマレッツ(ラッパー)が好きです。

同期の子は製菓学校に通っていたこともあり、この「KINŌ(キノオ)」のジャケット写真のような、トーストと目玉焼き、ベーコンののったおいしそうな朝食の一皿に惹かれた。

先輩は読書家で、作家になりたいと考えてきたマコマレッツの等身大な歌詞とビートのゆるさが好き。

私は福岡から東京に出てきたという経歴が似ていて近しいものを感じる。

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とか(これは超適当です)。
こうやってその作品について真に語りたい欲求があるとき、人は「誤読」を恐れないんです。

誤読したことをお互いに語り合うことによって、たんなる即時的な「消費」を越えて、読み手は作品とあらたな関わりをもちます。
そして、その瞬間に読み手は書き手に入れ替わる。
こうやって、作者が作品に込めたメッセージやテーマ(=「強い文脈」)をきっかけに、読み手一人ひとりの解釈や読み解き(=「弱い文脈」)が主役にいつの間にかなっている
この弱い文脈を表に出させることを意図したデザインが「コンテクストデザイン」です。


誤読した瞬間に、ものやことは「その人のもの」になります。
届けたものが一人ひとりのなかで独自に解釈されて、咀嚼されて腑に落ちている、自分の持ち物になっている状況です。
大事なのは、主語がちゃんと自分になっているかどうかで、提供する側の文脈と使い手側の文脈が両方存在している。
両方が主語として成立する、バランスの取れた状態を「コンテクストデザイン」は目指しています。
「情報が溢れる現代にはそんな弱い文脈の表出するデザインが必要なのではないか」と渡邉さんは考えられていて、岡もそれに共感しています。


実例


さて、なんとなく理解できてきたのではないでしょうか。
次は実例を持ってきました。

これから渡邉さんがクリエイティブディレクターとして手がけたプロジェクトをご紹介します。

まずは、銀座にある「森岡書店」。


「一冊だけの本屋」をコンセプトに営まれている個人経営の書店です。
森岡書店のオーナーである森岡さんは、これまでの経験により1冊だけの本屋をやりたいと考えていました。
アイデアとしては面白いけれど、「一冊だけ」というのはビジネスとして形にするにはあまりに対象範囲が狭いです。
そんな「一冊だけの本屋」が、現代の社会や経済の文脈においてどんな意味を持つのか。その意味づけを渡邉さんが行いました。

もし「社会」という仮想的な”書き手"がいるとすれば、出版ビジネスについて「今の時代、多くの本屋はつぶれるもの」「場所を持ったらつらい」「在庫が無限にあるECが強い」という強い文脈があります。
場所は持たずに、倉庫に無限の在庫を持つAmazonが唯一の勝者だとか。

でも森岡さんという社会のいち読み手は、それを”誤読"して、「そんなことないはずだ」と言っています。

そこへコンテクストデザイナーの渡邉さんが入り、「デジタル時代の今だからこそ、物理的な場所に宿る価値がある」という文脈を紡ぐデザインをしました。
従来の書店は、本を買って、家に帰って読み、ページをめくりながらまだ見ぬ著者に思いを馳せるプロセスをたどります。
しかし森岡書店では、本の販売期間中に著者と交流できる機会を設けることで、最初に著者にであって著者を通じて本と出会うという逆のプロセスを生み出しました。
また、AmazonなどのECサイトで本を購入すると、自分の嗜好がデータ化され、関連した書籍をお勧めされます。しかし森岡書店では一冊と偶然出会うのです。たった一冊だけを置くことで、それが自分に関係あってもなくても、何かこちらに訴えかけくるような不思議な縁を感じるような設計にされています。

このように森岡さん個人の小さな弱い文脈に、「書店産業の衰退」や「Amazonとの共存」といった強い文脈、今だからこその存在価値を補足しました。

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すると、森岡さんは作り手となり、そこに引き寄せられたお客さんが読み手になります。
そして、またその本を自分なりの解釈をして人に伝える時、お客さんが作り手になります。
こうして作り手と読み手が入れ替わり交わっていく様がコンテクスト、「共に編む」と同じだなと感じます。
弱い文脈に強い文脈を捕捉し、両立させる。
その補助線を引くのがコンテクストデザイナーの仕事だと思います。


「誤読」を促すには「矛盾」が必要


ではどうすれば「誤読」を促すようなものづくりができるのか?
渡邉さんは「矛盾」をはらんでいることがポイントだと話してます。
矛盾のつくり方は「未知の足し算」「既存の引き算」の二通り。
渡邉さんのプロジェクトを二つ紹介します。

まず一つ目。

Message Soap, in timeは石鹸の贈り物で、泡立ちのよいフェイス&ボディソープです。しばらく使うと中からメッセージが現れます。
石鹸+手紙という「未知の足し算」をしています。
石鹸を贈り物にするのはよくありますが、中から手紙が出てくるという矛盾が人の心に引っかかりを生みました。


もう一件紹介します。

ISSEY MIYAKEのテキスタイルで作られた花のコサージュは「未知の足し算」「既存の引き算」どちらも取り入れられています。
このコサージュはそのままでは未完成のギフトで、ブーケをひらくと裏側が便せんになっています。
便せんにはあらかじめ、いくつかの言葉がエンボスされていて、雨、長電話、香水、美術館、コーヒー、など。
送る相手との記憶を回想する補助線が引かれています。
お客さんである読み手側が、クリエイティビティを発揮したくなるような、書き手に回りたくなるようなしかけが矛盾によりつくられています。
(この二件、どちらも素敵なのでぜひリンク先へ飛んでみてください。)

実践

こんな素敵な「コンテクストデザイン」、どうやったらできるのか、、?
岡の考えは2つ。
ひとつは、あえて余白をつくること。

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余白が埋まっていて、完璧につくりこまれた状態だと、読み手側の解釈の余地がないから。
だから渡邉さんも矛盾とか、誤読って言葉を使っているのではないかと思います。

もう一つは、
そのものの本質的な価値を改めて考えること。

これは具体的な手法があるのでご紹介します。
タンジェントスカルプチャーという手法です。
ちょっとここで皆さんにクイズです。
今から、あるものについて説明します。
あるものの名前は言いませんので、それが何かわかったら教えてください。


それは、日常生活の中では回転運動をするものと平行運動をするものの2通りがある。
それは象徴的に、何かの始まりを意味する。
ときに新しい世界へのいざないを表現するが、状態によっては機会の喪失を表現する。
それはある場所と他の場所をつなぎ、そして隔てるものである。
その扱いは容易であり、どんな文化的背景を持つ人にとっても不変の使い勝手を提供する。 だが、それを扱うことを職業とする人もまれに存在する。
人には人のための、猫には猫のためのそれが存在する。
人はその中央をのぞき込むことで裏側の様子をうかがう。
またその下をときにメッセージが潜り抜ける。
人はそれを叩く。
人はそれを通過することで、室内と室外の境界をまたぐ。


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答えは「ドア」です。

これは、何かしらのテーマや対象について、その名前を言うことなく、その特徴を10通りの異なる方法で表現してみるという、エクササイズです。
ものごとの本質的な価値を考える時に有効だそうです。ぜひ日常生活で取り入れたいですね。

コンテクストデザインの今後

現在、解釈を読み手に委ねる、アート的なものづくりをされている印象の渡邉さん。しかしこれはビジネスです。そこがどうやって設計されているのか、どうやって体系化していくのか、その点はまだ課題のように思えました。
語られやすい設計をしているけど、ビジネス的な運用はどうやっているのか?効果はどのくらい生んでるのか?というところですね。

岡ももう少し勉強してみます。

さいごに

今回、noteを読んでいて「???」となる部分が多かったと思います。
あのハテナは私も本書を読みながら感じたものです。そしてこの本自体もコンテクストデザインされているんだと気づきます。
渡邉さんも「本当はいろいろなビジネス的なノウハウのかたちえまとめることもできたかもしれません」と前置きされていて、ぱっとみてわかるものよりも、読んだ人が途中で迷子になってくれる方が面白いんじゃないかと思ったと言われてます。
解釈は読者に委ねる、そんな印象の本でした。まさに弱い文脈を体現している本。
ですので、今回は結論を急がず、ストーリーっぽく書いてみました。
このnoteも岡なりの解釈でできているので、ぜひ自分なりの解釈をすべく、本書を読んでみてくださいね。

おしまい




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