見出し画像

承認欲求はサウナで消す。『嫌われる勇気』実践

嫌われる勇気』。アドラー心理学をわかりやすく解説した大ベストセラーです。

特に生きるのが辛い方は、青年と哲人の会話から、人生観を見直すきっかけになるかもしれません。

アドラー(著者の岸見さん?)の言語化が素晴らしく、「課題の分離」「肯定的な諦め」など、象徴的なワードに、承認欲求と付き合い、幸福に生きるためのエッセンスを集約しています。

この珠玉のエッセンスを手軽に感じられ、体に染み込ませることができる場所。
それがサウナだってことに気づいちゃった。

蒸気が培う共同体

もわっと体を包む熱気。

熱い、苦しい、出てしまいたい!
見渡すとオジサンたちも苦悶の表情を浮かべている。

赤の他人なのに、不思議と感じる一体感。

これは『嫌われる勇気』で哲人が説く「共同体感覚」なのです。


『嫌われる勇気』では、「共同体感覚」が対人関係のゴールである、とします。
世界は、自己と「その他」ではない。
多くの共同体に属しており、そこに仲間がいる。

「居場所がある」という感覚を持つことが、自己から他者に目を向け、幸福な対人関係を育むことにつながります。

「共同体」と聞くと何を想像しますか?

地域コミュニティ、会社の仲間に、同級生。
ある程度同じ目的を持った集団を想像するでしょうか。

アドラーの共同体は、より広い概念のようです。
国家や人類なんかも含む多様な共同体の一員である、と感じてしまおう、といいます。

サウナでは誰もが生まれたままの姿を晒し、共に汗を流しながら、耐え続けます。
当然一つの共同体です!

この暑苦しい共通点を皮切りに、「共通点探し」をしてみて、たくさんの仲間を見つけ出してみましょう。

部屋を出る瞬間、他者の課題を分離

僕はサウナの熱さに弱いようで、五分も経つと全身が汗でびっしょり、限界である。

こんなに早く出る人はなかなかいない。少し恥ずかしい気もしてくる。

恥ずかしいのは何故だろう?

サウナに入っている人が「こいつ、雑魚だな・・?」とでも思うのだろうか。
仮に思ったとして、それは私に関係があるのだろうか。

他者の課題は分離し、迷わず辞去。冷たい水で火照った身体を冷まそう。


課題の分離

『嫌われる勇気』を象徴する、重要概念です。

私たちの悩みは、大抵はコントロールできない他者が原因です。満たしても満たしても生まれてくる承認欲求はどう対処したら良いのでしょうか。

アドラーが提唱する解決策は、「誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他社の課題を分離していくことです。

期待されるのは他者の課題。認められないのも他者の課題。子供が宿題をしないのも、その子の課題。

サウナで「こいつ、雑魚だな・・?」と思うのもそいつの課題。知ったことではない。

それが課題の分離。人間関係の出発点だといいます。

所詮私は裸体の一つ。外気と共に浴びる「普通であること」

熱った体に水をぶっかけたあとは、至高の外気浴です。
体を横たえるだけで至福。

体を撫でる風が格別に気持ち良い。

存在しているだけで幸福なんだから、承認欲求なんていらないね。

目を開けると、ととのいベットに並ぶだらしない素っ裸どもがプシューと幸せそうに排気を行っている。
どれも情けない肉塊だが、僕も同じ。

「その他大勢」である自分を感じよう。

もし自分の事を「特別な存在だ」「何か成し遂げなけらばならない」と感じていて押しつぶされそうなら、そんなもの、熱気と共に外気に放出してしまおう。


なぜ子供は非行に走るのでしょうか?
なぜすごいあいつと自分を比べて、苦しくなるのでしょうか?

アドラーは、「特別でありたい」という欲求が原因であるとしました。

非行少年も、特別に「悪く」あることで、安直に特別になり、注目を集めようとするのです。

「特別」の呪縛から抜け出すために、アドラーは「普通であることの勇気」を持とう、といいます。

あなたは普通の人なのです。

平凡なんです。

誰もが普通なのです。

平凡でいいんです。

あなたが優れているという事を、わざわざ誇示することはないのです。

肩の力が抜けましたか?

外気に当たって快感を得よう

サウナに行ったことない人は、よかったら外気浴を体験してみてください。
気持ち良いですよ。
水風呂とか、「ととのう」は気にしなくていいです。
自分が気持ち良い方法を探してみてください。

サウナが好きっていう仲間[共同体]になれたらいいね。

まあ、行っても行かなくてもいいよ。それはあなたの課題だから。

僕は普通の凡人なので、まとまらない文ですみません。読んでいただきありがとうございました。


↓推しているサウナ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?