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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅸー世間一般的な「妊婦像」との乖離ー

前回までのお話
1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2 突然現実化した私の結婚
3 結婚は点ではなく,線である
4 私にとっての「結婚式」
5 そろそろ本題へ…子どもどうする問題
6 突然現実化した私の妊娠
7 どうする産婦人科問題
8  こんなに辛いなんて聞いてない

9  世間一般的な「妊婦像」との乖離

「妊婦」といえば,その周りには満開の花が咲き乱れているような,まさに幸せの象徴といったイメージだった。穏やかに微笑みながら,大きくなったお腹をさするような,暖かいイメージもあった。いずれにせよ,私の「妊婦像」は,人生で最も幸せな瞬間を生きている女性といった感じだった。

おそらく,世間一般的な「妊婦像」もキラキラしたものであり,映画やドラマ,雑誌など,メディアでもそういう描き方をされていることがほとんどだと思う。

そして,私もいつか「妊婦」になった暁には,さぞかし幸せいっぱいなんだろうなぁと思っていた。

しかし,である。
なんだって自分が当事者になってみないと分からないものだ。

私は,妊娠が判明した瞬間でこそ,夫と抱き合って喜んだのだが,それも束の間の幸せだった。すでにその頃にはつわりははじまっていたのだが,その3日後には,「こんなに辛いなんて聞いてない」と叫びたくなるほどのつわりがはじまってしまい,身体的にものすごく辛い日々がはじまってしまった。

それと同時に,このつわりによって,妊娠したという事実が急に私に突き刺さったのだ。そうすると,もう次から次へと根拠のない不安が湧き出て,どっと私に押し寄せてくる。

潰瘍性大腸炎の主治医に,飲んだ薬や飲み続けなければならない薬が胎児に影響することはないと言ってもらえたのに,「私が飲んだ薬のせいで赤ちゃんに悪影響を及ぼしていたら?」「潰瘍性大腸炎のせいで流産したら?」という持病に起因するものや,これまで人ごとだった出産が急に自分のものとして感じられて,これまでママさんたちから聞いていた出産武勇伝を思い出して,出産への恐怖で震えて不安になったり。「妊娠したらいつかは外へ出さなきゃいけないじゃん!…私なんてことしちゃったんだろう!」と,今思えば笑えるが,そのときは,軽くパニックになったりもした。「妊娠や出産をするという運命にありながら今までなんで呑気に生きてこられたんだろう」「女に産まれるんじゃなかった!」とか,この頃,かなり本気で悩んだ。
それから生まれてくる赤ちゃんについても,障害があったらどうしよう,病気になったらどうしよう…など不安でたまらなかった。自分が,五体満足で生まれてきたなんて奇跡だし,潰瘍性大腸炎になったりはしたけど,よくここまで生きてきたな,すごすぎる…なんて思ったりもした。

それから私の不安の最たるものは,「健診に行っていないこと」だった。
潰瘍性大腸炎の主治医を訪ねた帰りに,産婦人科を「じっくり」探そうと思ったのだが,その次の日から,ベッドから起き上がれなくなってしまい,とても産婦人科へ行けるような状態ではなくなってしまっていた。もちろん,何度も数え切れないほど,産婦人科へ行かなければと思った。でも,数歩先のトイレに行くのですら死にそうなのだ。とても,家の外には出れそうにもなかった。
夫に調べてもらったところ,妊娠初期は産婦人科へ行っても赤ちゃんの心拍確認などをするだけで,他に何もできることはないことや,子宮外妊娠の可能性さえ排除できれば,腹痛や出血がなければ,産婦人科へ行かなかったことで問題が起こることはなさそうなことが分かった。そして,幸い腹痛や出血はなく,子宮外妊娠が問題となるような時期は知らないうちに過ぎてしまっていたため,夫と,無理して産婦人科に行くよりは,今はとにかく休んでおいた方が良いという結論に達した(きちんと産婦人科を受診すべきなことは言うまでもなく,あくまでこれは私のつわりに応じてやむなく出した私たち夫婦の結論であり,当然,推奨するものではない)。
それでも,健診にすら行けない自分がとても酷い母親に思えて,赤ちゃんに申し訳なくて,情けなくて,何度も泣いた。健診に行かなければと思い続ける一方で,動くことのできない身体。夫が調べたうえで,2人で話し合って決めたことなのに,それでも,もし,何かあったらどうしようと不安でたまらなかった。1日が過ぎるたびに,「今日も健診には行ってあげられなかった」と,どっと不安が押し寄せてきて,いてもたってもいられなかった。

気持ち悪くて動けない身体に,不安でいっぱいの頭。今まで生きてきた中で一番辛い日々だった。潰瘍性大腸炎が判明する前の死ぬかもしれないという恐怖よりはいくらかマシだったが,身体的辛さは圧倒的につわりの方が辛く,総合するとあの潰瘍性大腸炎の苦しみさえも超えてきたのだ。偶然にも,潰瘍性大腸炎で苦しんでいたときからちょうど1年後だったため,次から次に訪れる人生の試練に心が折れそうだった。

この頃,夫は,仕事では,夫自身多忙なうえに,急に働けなくなった私の分の仕事までこなす一方,家にいるときは,私が寝ていようが私の隣にずっといてくれて,朝早くでも,夜遅くでも,コロコロ変わる私の食べられる物を買いに走ってくれて,不安で泣いている私を励まし続けてくれた。今,こうやって書いていると我ながら最高の夫だと思う。

それにもかかわらずだ。
夫には理不尽に当たり散らした。
夫が元気にしているだけで,腹が立つのだ。
お腹の中の赤ちゃんは2人の子どもなのに,私だけがこんなに苦しむのは理不尽だ,夫は赤ちゃんが生まれてくるのを待っているだけで良いなんてズルすぎる,私はつわりで苦しんで恐怖の出産までしないといけないなんて不公平すぎる…と,夫に対して,夫がどうしようもないことについて,怒りが湧いてくるのだ。
夫が「疲れたから早めに寝るね」と言おうものなら,「こっちのつわりは休みなんてないんだけど」と嫌味を言ったりもした。
今更ながら,ごめんね,夫。

そういうわけで,この頃の私は,これまで抱いていた「妊婦像」からかけ離れていて,幸せどころか,人生で一番辛いとさえ思える日々だった。この「妊婦像」との乖離がさらに私を苦しめた。
幸せいっぱいでいなければならないはずなのに,辛いなんて思っている自分がものすごく酷い人間に思えて,赤ちゃんごめんね,最悪な母親だよね,と何度も何度も泣いた。

自分が生まれてきて良かったのかどうかの結論すら出ていないのに,そんな人間が母親になんてなって良いのだろうか…ごめんね,こんな母親を選んでくれて申し訳ないよ,と何度も何度も泣いた。

つけっぱなしのテレビから,野生の鳥が命懸けで子育てをしているというドキュメンタリー番組のナレーションが聞こえてきたときには,鳥ですら,誰にも教えられることもなく,母性があるのに,私なんて母性のかけらもないじゃん…と落ち込んだりもした。

世間からは完全に隔離され,1人で,出口の見えない,辛くて長い長いトンネルを彷徨っているかのようだった。

つづく

第10話はこちら⇒  妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅹ-私が「母親」になった日ー

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