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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅹ-私が「母親」になった日-

前回までのお話
1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2 突然現実化した私の結婚
3 結婚は点ではなく,線である
4 私にとっての「結婚式」
5 そろそろ本題へ…子どもどうする問題
6 突然現実化した私の妊娠
7 どうする産婦人科問題
8  こんなに辛いなんて聞いてない
9  世間一般的な「妊婦像」との乖離

10 私が「母親」になった日


2020年3月27日

もちろん,この日に出産したわけではないし,これを書いている今でもまだ出産はしていない。

しかし,この日,私は,確実に「母親」になった。

想像を絶するつわりとの闘いがはじまり(といっても,完全にやられっぱなしだったのだが),2ヶ月間は,ほとんど寝たきりだった。ただ,その間にも,徐々に食べられる物も量も増えていき,家の中で動ける範囲も増えていき,妊娠判明から図らずしもちょうど2ヶ月後の2020年3月27日。まだまだ船酔いのような気持ち悪さもあり,嘔吐もあり…つわりはまだまだ私と共存していたが,それでも,少しは動けるようになったので,この日,意を決して,ついに産婦人科へ行くことにした。

そうそう,「どうする産婦人科問題」の答えを書かないままここまで来てしまったのだが,私がつわりでノックダウンしている間に,夫がインターネットの口コミを調べたうえで,さらに,実際に知人に聞いたりもして,ついにここぞと言う産婦人科を見つけ出してくれていた。

産婦人科に行ってあげられないことで何度涙を流したか分からないのだが,ついに,その葛藤も終わりを迎え,産婦人科へ行くことができた。すでに妊娠4ヶ月に突入していた。

車で40分ほどかけて産婦人科へ向かったのだが,その道中では,赤ちゃんがもし元気じゃなかったらどうしよう…,赤ちゃんに障害があったらどうしよう…,婦人科健診すら受けたことがない私の子宮や卵巣に異常が見つかったらどうしよう…,初診が遅すぎることで問題が生じていたらどうしよう…,初診が遅すぎるって怒られたら…などなど,もう次から次へと不安が押し寄せてきた。それでも,やっと産婦人科へ行けることの安堵感は大きかった。

そうして,ついに産婦人科の扉が開かれた。
待合室で待っていると,ドキドキが止まらなくなり,緊張と不安で黙ってしまった私に気付いた夫がそっと手を握ってくれた。
大きなお腹を抱えた何人もの妊娠さんが私の目の前を通り過ぎていく。自分が妊娠してはじめて,他の先輩妊娠さんたちがとてもかっこよく見えた。「あぁ,この人たちもいろんなことを乗り越えてここまできたんだろうなぁ」と。過酷なつわりを経験したことで,妊娠は幸せなだけではなく,同時にとても大変なことだと知った私は,妊婦さんを見る目が完全に変わっていた。自分というレンズを通してしか世の中を見ることはできないということを痛感した。

そうしていると,診察室から顔を出した看護師さんが,私の名前を呼んだ。
夫と一緒に立ち上がり,いそいそと診察室に入った。
そこには,評判どおりの優しそうな医師がいて,温かく迎え入れてくれた。

「まずは赤ちゃんが元気か見てみましょう」
ということで,ベッドに横になり,経腹エコーがはじまった。

「どうか赤ちゃん元気でいますように」
心の中で必死に祈った。

実際はほんの数秒のはずなのに,画面に写し出されるまでの時間がとても長く感じ,緊張と不安でいっぱいだった。

「あ,赤ちゃんが…ほんとにいる‼︎」
画面に写し出された瞬間,なんとも言えない,これまでの人生で一度も感じたことのないような不思議な気持ちになった。
妊娠検査薬で陽性になっていたし,つわりをとおして赤ちゃんがいるだろうことは分かっていた。
しかし,実際に写し出された赤ちゃんを見たときに,「あぁ,ほんとに私のお腹の中に赤ちゃんがいたんだ…」と,嬉しさや驚きや,いろんな感情がごちゃ混ぜになって,そして,神秘的な気持ちになったのだ。このときの気持ちは今でもはっきりと思い出せるのだが,うまく文章にできなくて悔しい。筆舌に尽くしがたい感情とはこのことか。

そして,私は覚えていないのだが,横にいた夫が言うには,私は赤ちゃんが写し出された瞬間から「可愛い」を連呼していたらしい。

それから,赤ちゃんのサイズを測ったりして,予定日が最終生理開始日から導き出した日にちどおりで良いことや問題なく成長していることを教えてもらった。

赤ちゃんのために何にもしてあげられなかったのに,この子は自分の力で成長してくれてたんだ…と,赤ちゃんがとてもたくましく感じた。私は妊娠が判明して初めて安堵感に包まれた。

医師が,赤ちゃんに問題のないことを確認した後で,4Dエコーに切り替えてくれた。そのとき,しばしの沈黙があった。
え,何かあった⁉︎
といっきに不安にさせられたが,医師が「そういうことか」とつぶやき,赤ちゃんが胎盤にしがみつくような感じになっていて顔が見れなくて残念というような説明をしてくれた。私たちに赤ちゃんの顔を見せてあげようと思ってくれたようなのだが,肝心の赤ちゃんはというと,胎盤にしがみついて顔を隠してしまっていたのだ。

そのときである。
「この子にとって私はもうお母さんなんだ」
と,ハッとさせられたのだ。
胎盤にしがみつく赤ちゃんは,初めて長いこと車に揺られ,エコー検査をされて,そのことを感じ取って,まるで「ママ,怖いよ」とでも言っているかのような,そんな感じに見えた。
私は「母親」の自覚なんて全くなかったのに,この子は私のことを「母親」だと認識しているのだ。
このとき,私が私でなくなるような,ものすごい衝撃を受けた。

そう,このとき,私は「母親」になったのだ。いや,厳密に言えば,赤ちゃんが私を「母親」にしてくれたのだ。

つづく

第11話はこちら⇒妊娠を機に起こった私のコペルニクス的展開Ⅺ-もうずっと一緒と誓った日-

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