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自分のルーツを辿ったら昼ドラだった話

今回は文章のスピ記事です。

「カズオの運行日報」最新作を描いたあとに、頭痛やら関節やら胸やら身体中の痛みが酷くなって「あーまたインプットOR描くじゃなく書くほうの時期かな」と思ってますが…。

原因不明の厄介な病気って、酷くなると何故かスピ方面に目が行くんですよね…原因不明・治療法のない病気を抱えている方は皆さん「なんで自分がこんな病気に…?」ってとこからそういうことを考え始めるんだと思います。

「死人に口なし」で、自分の辛さをとっくに亡くなっている人のせいにするのはちょっと違うとは思って普段意識してそういう記事ばかりに傾倒しないようにしてますが…。
実際、「カズオの運行日報」でも解説含めスピネタ・オバケ回のスキが多いんです。
なんだかんだで皆さん興味あるんですかね(^^;;

…で、。

偶然祖父の本籍地がわかったのと、ある霊能者さんに「先祖因縁」だと言われたことがあったのもあり、お正月に、自分のルーツを辿ってみよう…という記事を書きました。

明治19年の原戸籍まで取り寄せられたのですが、
その結果なにがわかったかというとですね…。


先祖が誰も私たちの存在を知らない

まず、我が家は、家系図から葬り去られたというか、同じ姓・血を持つ先祖の誰もがその存在を知ることのない家族だったということです。(たぶん)

つまり父は私生児だったのです。

取り寄せた原戸籍のどこにも父の名はなく、祖父は見知らぬ名前の方と婚姻していました。
父が筆頭の除籍謄本に、苗字の違う祖母が母、Kの名を持つ人(祖父)が父として届け出られているだけです。
祖父は父が産まれる前に亡くなったのですが、正式ではないせよ出産前に認知はしてくれたようで本籍地まで書いてあり、それをもとに戸籍がたどれました。

姉や弟は知ってたみたいですが、父方のK家の祖父には正式に奥様がおり、祖母との不倫の末の父の出生で、苗字を継いだ者として新しい戸籍の筆頭者になった…ということだったんですね。
もう時効だと思うので書きますが。

ただ、「先祖因縁」としては、本家筋の家系の誰にもその存在が知られてないはずなのに、その先祖が犯した過ちでここまで祟りがくるものか?というのは疑問ではありますが…(何百年も前の恨みとのこと)。
豪農だったってのは当たってましたが。

確かに小さいころ、
「なんでおばあちゃんとお父さんは苗字が違うの?」
とは思ってたんですが、単純にお祖父さんが亡くなったから旧姓に戻したんだと思っていました…。

身内の恥を晒していいのか?…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが。

コレ、自分にとってはむしろ誇りです。


シンママとしての気合いがハンパなかった祖母

イマドキでこそ惚れた腫れたで離婚も不倫もシンママも珍しくないけど、児童扶養手当もひとり親家庭への支援も無かった時代に、しかも戦乱の中、女手一つで叔父と父を大学まで行かせた祖母はスゴイと改めてリスペクト。
パトロンさんに出資はしてもらったようですが、仕入れから料理から接客からぜんぶ独りでこなす小料理屋をやって生計を立てていたようで、生前「ばあちゃんは社長から小間使いまでぜんぶ独りでやってたんだ」と自慢げに話していました。
(ちなみに叔父も未婚の子で父とタネ違いらしい。祖母はかつて美人で恋多き女である反面、男の口約束をアテにせず縛られず、自分で生計を立て子どもを育てたかった模様)

そうして生まれ育った父は姉や私、弟をもうけ、それぞれが家庭を築いているのです。
まぁ私は結婚失敗しちゃってますが、血も名前も娘に継がれています。

でも、たとえ父の生まれが私生児でもね。
祖父さんにはそれをしっかり育てる器量のあった祖母とのご縁があり、おかげでその血を引く命がたくさん芽生えている…。
いい恋愛をしましたね」って思うんですよ。

そして、祖父は本妻さんとの間には子どもに恵まれなかったようで、本妻さんの弟さんを養子に迎えて家督を継がせている。
つまり現在正式にKの名を持つ祖父の築いた家庭に、Kの血は流れてないんです。皮肉なことに。

だからこそ、我々という家庭…妊娠した祖母の存在を知っていたら、本妻さんの心中はいかばかりか…恨みの対象になってもしゃあない…。
昔は血が重視されましたから、お祖父さんは内心喜んだろうけどね…。
実際九州に来いとか遺産分けるとかいろいろ祖母に言ったらしいですが、祖母は東京にこだわり独りで育てる心づもりだったようです。

先祖因縁があるとしたら本妻さんの恨みって線のほうが考えやすいですが、たとえわたしにお金があっても霊能者に頼んでハイおしまい…ってのもなんか違う気がするんです。
かといって自分たちの存在を「居てゴメンなさい」みたいな卑屈な受け取り方もしたくないし。

「祖父さんやらかしたけどあなたが耐えてくださったおかげでたくさんの命があります、ありがとう。心の平安を願っております」
…と、心から思い手を合わせています。


祖父の足取り

それと、祖父について私に伝わっていた情報には少々間違いがあったようで…。

「熊本出身、歯医者、戦争で父の顔を見る前に亡くなった」

…ということしか聞かされてなかったのですが、実際は福岡の人だったということ。ここまでは以前の記事でお話ししましたかね。
歯科医として勉強するのに熊本へ行ってから上京したのか、地理的に隣接はしているので熊本出身と名乗ったほうが手っ取り早かったからか、あくまでも本籍地しかわからないのでそれは今となってはわかりません。

そして戸籍の死亡届の記載を見ると、どうやら戦火で亡くなったのではなさそうということ。
子どもにわかりやすいようにそう言ったんでしょうね。
自宅にて死亡したようで本妻さんが届け出ていますし、年齢的に徴兵対象から外れてもいます。
それにまだ東京が被弾してない年です。

決定打というか私が、残されたたった1枚の祖父の写真を見て思ったこと…。
当時40代後半だったようで顔はイケオジですが、椅子に傾いて座っている様子はもう少し老けて見え、当時からなにか患っていたような気配を感じます。突然の心臓発作だったとあとで弟から聞きましたが、苦労が多かったのは間違いないかもです。
昔の人だから老け込むのも早かったというのもあると思いますが。

祖父の似顔絵。マンガ等身です

Kの本家筋でのドラマ?曾祖父が天保生まれ

曾祖父さんが祖父を産んだのも遅かったし祖父が父をもうけたのも父が私をもうけたのも遅かったので、なんと曾祖父が江戸時代の天保生まれでした。

当時その付近を仕切っていた豪農一族内の結婚だったようで、結婚・分家にあたり名前をKMからKYに変えています。
次男坊だったからでしょうかね。
当時はこういうことは珍しくなかったようです。
今もその土地の電話帳を調べるとKMさんは大勢います。

そして、曾祖父から家督を継いだ長男のK太郎さん(苗字イニシャルと同じでややこしくてすみません)は、曾祖父がまだ元気であったろううちに家督を継いで弟の祖父とともに分家させています。
曾祖父は当時60歳でそれから16年も生きており、他のパターンではK家だけでも戸主が亡くなってから家督を継いでいます。

なんか…あったんでしょうね。
健在の父親と末の弟を分家させたってのは。

曾祖父の奥様は弘化生まれでした

昔の家督制度

「家督相続(かとくそうぞく)とは、明治31年7月16日から昭和22年5月2日までの間に施行されていた旧民法による遺産相続方法で、被相続人である戸主が亡くなった場合は必ず長男がひとりで全ての遺産を継承・相続するのが原則とされていたものです。」~ネットから引用

サイト・ベンナビ相続より

…ということで、農家でも江戸時代に苗字があったような家だし家督へのこだわりは強かったというのがありありと戸籍から見て取れました。
ましてや曾祖父が生きてる間にですから。曾祖父、精神疾患にでもなったのか、よほど長男のK太郎さんと折り合いが悪かったのか…。

農家を継ぎたくなかった祖父と、それを心配した曾祖父だったのかもしれませんし…。

ちなみに曾祖父の次男(つまり祖父の兄)には甥っ子を養子として入れているし、祖父の家庭も奥様の弟さんを養子にしている。
長男K太郎さんはというとすごい数の子どもをもうけていて、やはり昔のことだからすぐ亡くなってしまった子も多く、それでもとにかく「長男がダメだったときの保険」なのか、家系図がアプリで横にしても表示しきれないくらい産んでるのです。
昔は子だくさんが当たり前だったとはいえ、なにか執念みたいなものを感じるほどです。

しかしその後長男K太郎さんのご子孫がどうなったかまではわかりません。
もうそれは興味がないし関係ないと思っています。


祖父のことを知ることができただけで収穫あった

父親を押し付けられた農家の三男坊で、農家は継がず勉強して、父親の死後上京して歯医者となった。
それからも、結婚しても子どもができないなど紆余曲折あったでしょう。
祖母を愛したけれど息子の顔を見るのは叶わず…。
大変な人生だったことと思います。

でもその子孫が、ルーツが知られ無くともこんなに拡がっている。

「祖母と恋に堕ちるとは祖父さん、やるな(笑)」と思った一方で、「祖父さん苦労しましたね。でも種をくれてありがとう」と、今は思えるのです。

当然ですが祖母も父も母も苦労しました。

本家とか親戚とかがある家なら、病気でお金に困っても誰かに頼れたろうに、病気がちだった父とその妻となった母は誰にも頼れず苦労しました。
もちろん子の世代である私たちもですが…。
なぜかみんな大病を何度もするんですよねえ…。

冒頭で申しましたようにそれが先祖因縁だと言われたこともありますし、祖父の本妻さんも我々の存在を恨んだかもしれません。

でも、どっこいたくましく生きているのは、祖父や祖母、父の不屈の精神を受け継ぐことができたからだと思っています。


もっと大きな視点で先祖をみると

どこの誰、と特定はできないけれど、もっともっとずっと昔に自分にはどんな民族の血が流れているのかを知る方法もあります。

今ここに自分がいるということは、血は果てしなく辿れるわけで…。

武家や公家の血筋の方だったら何百年も遡ってご供養することもできるかもしれませんが、大半がそこまでできない家なのに先祖供養しないとみんなこんなに苦労するかっていったらそうでもないと思います。

そういえば「ドラえもん」の「バイバイン」回で1つの栗饅頭が延々と増え続ける話は結構皆さんご存知かと思いますが、あんなようなもんで元を辿ろうとしたらキリがないですよね。

でも日本人とひとくちに言ってもどこから来たかはいろいろ説があって、日本の中でも民族はいろいろ…琉球、熊襲、大和、蝦夷、アイヌ…。
なんかそういうレベルで「自分が今使ってるカラダはどこからきたのか」知るのもおもしろいと思います。

我が家もじつは「ロシア人」だか「イタリア人」だかの血が入っていると小さい頃に聞かされたことがあるんですが、姉弟の聞かされた記憶と自分の記憶が違ってるしもう確かめる術がありません。

でも!
遺伝子レベルで「どこ系」かを知る簡単なキットが幾つかあるようで、いつか試してみたいと思っています。

こちらの記事でサクラマスさんがご紹介されているMYCODEというのはもうサービスが終わっちゃったようですが(残念!コレはめっちゃおもしろそうでした)、ほかにご紹介されてる「Haplo」というキットがあります。

このHaploについて、使ってみた方(オムライスさん)の詳しい記事もございまして、使用上の注意点(女性は母系しか辿れない、わかるのはあくまでも親のルーツまで)なども書いてあり、親ではなく「自分の」遺伝上の体質の特徴などを知るのにはまたさらに別のキットがあるのもご紹介されています。

ご興味のある方はぜひ…こういう「先祖」「ルーツ」のたどり方もおもしろいと思います。

こうした遺伝子判定キットのご紹介をしたのは、もし我が家のように先祖がわたしたちを知らない、あるいは天涯孤独に生まれ親の歴史すら持たない人でも、誰かの血は継いでるわけで…こういう視野の広いルーツ探しもいいんじゃないかなと思ったからです。


戸籍を取り寄せるだけでも知れることはたくさんある

「家系図・家系譜」を作るのに、大概の人は専門家に頼むと思います。
行政書士の資格を持っている業者さんです。

まぁそれなりにお高いし、立派な巻物がほしいわけではなくても、郷土史などから原戸籍以前を辿れたり、手書きで読みづらい昔の表記を読んだりも、専門家に丸投げのほうが簡単です。

ただ、今回焦げ猫が取り寄せたモノに関しては幸いなことに「解読不能」な字は殆どありませんでした。
本籍地も変わっていないので代替わりしてもすべて1箇所の自治体で取れました。

誰それがいついつ誰それと結婚した、誰と誰がが産まれた、誰がいつ分家した、養子になった、そしていつどこで亡くなって死亡届を誰が出したか…。

それが読み取れるだけでも、先祖に起きたいろんな事情は憶測でも察することができます。
案外自分が伝え聞いている話と違って「へえ〜」ってなることも多いですしね。

最後に小ネタ。
遠い親戚?に、「サダコ」と「トミエ」がいました…(爆)。
2人並んでるのは珍しいかも…。

ジャパニーズホラーの女王が2人…。

今回はルーツ辿りの実体験でした。

マンガ「カズオの運行日報」第14話は、更新までもう少しかかるかもしれません。
楽しみにしてる方、すみませんが気長にお待ちいただければ幸いです(^^)

連載中「カズオの運行日報」マガジンはこちらです↓


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